待ち伏せ
ウザいと思えるくらいの人が、身近にいる方がいいのかもしれない。
「とりあえず生!」
「ピニャコラーダ」
「バター・ド・ラム、シナモンスティック添えで」
金髪だが落ち着いた雰囲気のマスターは、カウンターに座った私たちをさりけなく見ると、注文と人物の雰囲気に納得したようだった。
「ヨシタカは低体温症だったね。無理して飲まなくてもいいのに」
だからホットカクテルを頼んだのだろう。
「皐月さんは、ココナツミルク系が好きですね」
新宿で、お互いの情報は結構交換できていた。
静かに宏基の前へ生ビールが置かれた。
「ふたりはいつ知り合ったの?」
宏基はグラスに触れることなく、私を挟んでヨシタカの横顔を眺めている。
「まだ10日経ってないです」
何でもないようにヨシタカが答えると、私の前に乳白色のピニャコラーダが差し出された。
「たった!?」
私はふたりを気にすることなく、夏の海辺で飲みたくなるような、パイナップルがあしらわれたカクテルを、味わいながら飲み干した。
「それにしてはお互いを分かりあってるっていうか、通じあってる感がハンパないですね」
「そう? 趣味が似てるせいかな」
最後に置かれた湯気の立ち昇るバタードラムには、シナモンスティックがマドラーのように刺さっていた。私はこっそり白ワインをカラフェで頼んだ。そしてふたりがつまめるよう、カリビアン串焼きの盛り合わせも注文した。
「趣味? 俺とサツキさんの趣味も一緒だよ」
「へぇー、児玉さんもヲタ系なんだ」
いやいや、コイツは自分探し中のファンタジー系、勘違いナルシストだよ。
「ヲタ? 誰が?」
宏基はビールを吹き出す寸前だった。今更気づいたが、ふたりが初対面にも関わらず乾杯をスルーしていた。
「ヒロ、女の子には秘密の2つ、3つ、4つくらいはあるんだよ」
「BL同人誌描いてたり、コスプレしてたり、サバゲしてたり、女子にモテてたり、モデルだったり」
ヨシタカは呪文を呟くように、熱々のダークラムにバターと角砂糖を放り込み、シナモンスティックで渦を作っていた。
「ヨシタカ、ヒロが拗ねてストーカー頻度がアップしたら、私のこと絶対に守ってね」
「うぃーす」
「サツキさんコスプレするの? 前みたいにEカップだったら、白ビキニ着てほしいなー!」
殺す! やっぱりコイツは死ぬ前に殺す!
「Eカップ……? このCが?」
マスターが笑いを堪えながら、ワイングラスとカラフェを空のグラスと取り替えてくれた。
「去年なんか拒食症がひどくて、スカートも履けないって、日暮里で布買ってきてパレオみたいに巻いてたんですよ」
何なんだコイツら、ひとの情報公開交換しやがって。
「でも、オレが出会った頃は94、56、87だったから、アメ横歩くだけで目立ってましたね」
アメ横と築地は、スーツで仕事しに行ってたから目立ってたんだ!
「ちなみに、レン君の情報だと、再従姉妹が98のFカップで、相当有名なグラビアアイドルみたいです。誰かは教えてくれないんですけどね」
「……童顔系ボンキュッボンなら、何となく絞れたわァー」
オトコって奴は、そんな話しかしないのか!? 安定剤をそっと取り出し、さり気なくワインを飲んだ。マスターが灰皿を出してくれた。彼らと楽しく飲むつもりははなからなかったので、これ幸いとトレーを借り、ワインと灰皿を乗せ入口のテラス席へ移動した。
低層マンションとビルの間から見える狭い空。それでも1等星が力強く輝いている。この時間、この位置、何座の星だろう。ん……南魚座のフォーマルハウトかな? この時期は目立つ星が少ないから、夜空も見上げていなかったなぁ。
立て続けに葉巻をくゆらせながら、2等星や3等星を探した。見えそうで見えないもどかしさ。
東京だから見えないわけじゃない。明るすぎる位置から見ようとするから見えないだけだ。
「ネェーちゃん発見!」
「お帰りレン、早かったね」
「星見てんの?」
「ほとんど見えないけど」
「嬉野の茶畑はよく見えたなぁ」
レンもイスに座り、すぐに駆けつけた若いボーイへ「コーラとナンピザ」をオーダーした。
「帰りたい?」
レンは、放浪癖の強い叔母が、川崎から尼崎、長崎、そして流れ流れてたどり着いた佐賀で産んだと言っていた。父親は彼女が2歳の時に車で海へダイブしたらしい。レンは、交通事故で他界したと刷り込まれている。
「帰りたくはないけど、カノジョが心配」
「遠距離恋愛は、若いとすぐダメになるからね」
「アイツは水瓶座だなぁ」
「確か、南の……あの辺りに4等星の三ツ矢があるはずなんだ。それが水瓶座」
「へぇー」
指差しながら説明していると、コーラが運ばれてきた。
「で? どうしてここにいるってわかったのかな?」
「なんとなく」
レンとヨシタカが通じていることはわかっていた。
「ネェーちゃん、ひとりなの?」
ヨシタカから現在地を聞いて来たのは確実だ。
「カウンターに変なのが2人座ってる。巨乳や爆乳の話をしてるから、挨拶くらいしてくれば?」
「2人?」
レンは顔をしかめてストローを咥えた。男っぽいなりをし、厳ついシルバーの指輪を両中指にはめ、夜でもサングラスをかけているが、両手でグラスを包み込んでコーラをチューチューする仕草は可愛らしかった。
「駅に着いたら色々あって、ヒロにヨシタカを『彼氏』って紹介して追い返そうと思ったんだけどね」
安直な作戦過ぎた。ヨシタカはフリを楽しんで演じているし、ヒロは全然堪えていない。
灰皿で強く揉み消し、ワインを煽った。アルコールのせいだけじゃなく、薬との相性や体調の状態も良くないらしい。ふらふらというより、くらーっときてぐるぐるして来た。
「ネェーちゃん? 目がヤバそうだよ」
レンが本気で心配しているのがわかった。
朦朧としながらも、バックから手探りで財布を取り出しレンに渡した。
「2万しか入ってないよ。できればゼロコーラとアイスも買ってきて。ヨロシク」
そう言って立ち上がったが、直ぐに膝をついてしまった。
「皐月さん、具合悪いのに無理してたんでしょう! さぁ、掴まって……駄目か。仕方ないな」
中からヨシタカが出てきて、早口で捲し立てた。と、体が少しだけ楽になった。アタマは感覚がおかしいままだけど、フワッと軽くなった体が温かい。
「ネェーちゃん、会計済ませて児玉は置いてきた。コンビニ寄ってから帰る。吉岡さん、後は頼みます」
「了解しました」
何で了解してるんだ?
「周囲公認の恋人になれましたね」
「ふじゃけんにゃ……ヒリョ避けできたかりゃお終い!」
「ハイハイハイ、呂律が回って立てるようになるまで大人しくしてて下さい」
畜生、覚えてろ。踵落としからのラリアットで追い出してやる…………
ダンダン! ダン! ダンダンダン!
「マーさん、うるさい」
まだ夜が明けきっていない、薄暗い時間。雄ウサギのマーブルが後ろ脚でケージの床を踏み叩く。いつもなら大人しいロップイアーパパだ。別のケージにいる奥さんのバニラか仔ウサギに何かあったのでは!?
ベットから這い出て、3個のケージを覗き見た。バニラも子どもも普通に眠っている。マーブル自身の問題らしい。
「マーさん、どうしたの?」
クレオパトラアイメイク柄の目が、不機嫌そうだった。ケージを開け出してやると、今度はフローリングの床をダンダン叩く。
「待ってて、直ぐ掃除してご飯あげるからね」
手際よくトイレを片付け、新しい水とチモシー、ドライフードを与えてケージの中へと戻した。
洗面所で手を洗ったついでに洗顔も済ませ、部屋へ戻った。と、マーブルがチモシーを加え、放って咥え、放っては咥えを繰り返しケージの外まで散らかしていた。
「どーしたのマーさん?」
「多分、俺がいるから機嫌悪いんじゃないかな」
背後からの掠れた声に、血の気が引いてゆく。マーブルはドライフードの器も引っくり返し、文句を言っているようだ。
「動物に好かれにくいんですよ。子牛以外は」
長い欠伸が神経に障り、イラっとした。なぜ、なぜヨシタカがこの空間に居るんだ!?
窓辺のベットを振り返ると、「おはよう」とキスをされた。
これは夢の中の出来事なのか、リアルなのか、判断に苦しんだ。目を見開いたまま、キスをやめない彼の瞳を見つめる。彼は慌てて枕に突っ伏した。
「ん、夢じゃないみたいだな」
背後に立ち、Tシャツの背中を素足で踏みつける。ヨシタカは苦悶している様子だ。
「10数えて収まってなかったら、次は正面から踏み潰す」
「洒落にならないから! 襲わないよ、大丈夫、約束するって!」
命乞いするように、男とは、股間を死守したいのだろうか。
「ところで、何で一緒に寝てたわけ?」
「え? だって、途中で気を失ったからベッドまで運んだんですよ! そうしたら抱きついてきて離してくれないくて……寝るしかないでしょ、不慮の巻き込まれ事故でも何もしてないし我慢したし」
上背を起こして弁明するヨシタカが、嘘を言っているとは思えない。朧げな記憶と彼の言葉を整理すれば、問題はないがとんでもない状況下ではある。
「仕事、同じ服で行くの?」
下着はコンビニでどうにかなる。ワイシャは……? ここが山手線内の駅周辺なら格安で手に入るのだが……。
「コンビニで着替え一式買ってきて。パンでいいなら朝食作るけど」
「食べさせてくれるの!? じゃ、直ぐ買ってきます!」
飛び起きたヨシタカはワイシャツを羽織りスラックスを履き、裸足に革靴で飛び出して行った。
心臓に悪い朝だ。これだけうるさいにもかかわらず、レンは熟睡しているらしい。寝たふりなら、壁を蹴るくらいの嫌味は欠かさないヤツだ。
冷蔵庫を覗き、バター、モッツァレラチーズ、ヨーグルト、プロシュート、牛乳を取り出した。隣の野菜ボックスにある、トマトとアボカドを並べ、鉢植えのバジルを2枚千切った。
冷凍庫から取り出したバケットを、トースターへ放り込み、そうしながら作り置きの野菜スープを温め、並びでお湯を沸かす。トマト、アボカド、モッツァレラチーズは食べやすい大きさに切りそろえ、ガラスのボールにオリーブオイル、バルサミコ酢、黒胡椒を粗めに挽き、岩塩もそこへ挽きながら加える。蜂蜜をちょっと垂らして撹拌したところへ、切った野菜とチーズ、適当に千切ったバジルを投入し、軽く混ぜ、ボールのまま冷蔵庫へ。そうして大きな紅茶ポットにお湯を注ぎ温めておく。そのお湯を二脚のティーカップへ注ぎ、今度はカップを温める。カラでも湯気の立ち上るポットにハロッズの茶葉を入れ、沸騰したお湯を景気よく入れ蓋をした。
その間に、焼いている途中のバケットにエシレバターをひとかけらずつ乗せ、追い焼き。
「ただいまです」
ドアの鍵は掛けていなかった。
飛び出して15分で戻ってきたヨシタカの息は弾んでいた。
「いい匂い……」
それは良かった。先輩とやらとのルームシェア生活で、彼がどのような朝を迎えているのか聞いていなかったので、少し心配だ。カリカリベーコンに目玉焼き派だったら、今朝はヘルシー過ぎるかもしれない。
「貰い物のボタンダウンシャツ、既製のMで誰も着てないのがあったから、それあげる。ネクタイは、夫のだけど、何本か出して置いたから適当に合うやつ絞めて」
「あ、はい……」
「着替えたらそこに座ってね」
「ありがとう」
彼は何か言いたそうだったが、私の部屋に入り扉を閉めた。奥からまた、マーさんが床を叩く音が響いた。ウサギにも、好き嫌いがあるのだろう。
ココット皿にヨーグルトを移し、蜂蜜を垂らす。
大皿に焼きあがったバケット、大ぶりの生ハムを1枚、軽く冷えたイタリアン風のサラダを盛り付ける。
4人がけのリビングダイニングテーブルに、ランチョンマットを敷き、プレートとヨーグルト、ティーカップ、カトラリーをセッティングする。牛乳をピッチャーへ注ぎ、ティーポットと一緒にテーブルへ置いた。
「うわぁ、朝食だ」
「私はコーヒー苦手だから、ミルクティーだよ」
つっけんどんに言いながら、席へ着くよう促し、カップに紅茶を注ぐ。
「砂糖はその蓋付きココットに入ってる」
死んだ夫は、ゲロ甘のミルクティーが好きだった。アルコールは飲めなくて、その分煙草をよく吸った。おかげで、私の髪はいつも煙草の匂いがした。私より細い指が、ティーカップに添えられたり煙草を持つ仕草が好きだった。栗色のサラサラの髪が綺麗だった。少年のまま大人になったような顔をしながらも、低くてよく通る声が心地よかった。小柄なのにスーツ姿が最高の戦闘服だった。勝負強くて数字に強くて、どんな相手を前にしても、余裕ぶって口説く横顔が好きだった。
「ーー皐月さん?」
ティーポットを持ったまま、立ち尽くしていたことに気づいた。
「おかわり?」
「あ、じゃあ、半分だけ」
ヨシタカの視線が、不気味なくらい誠実っぽく感じられた。
「皐月さんは食べないの?」
「レンと食べる。ブランチだけどね」
自分の分のミルクティーも入れ、彼の斜向かいに座った。
「あのね、ヒロの前で恋人のフリをしてくれとしか頼んでないんだから、名前で呼ばないでよ」
「えー!? 使い分ける自信ない……だからメイちゃん」
「は?」
「5月生まれなんでしょ?」
「1月だけど」
会話が途切れ、窓の向こうを京成線が通過する音が響く。線路沿いだから、好物件の割に家賃が安めなのかもしれない。
「パパが5月生まれだから、じゃないかな?」
ヨシタカは「ご馳走さまでした」と言って、食器をキッチンへ運ぶ。
「置いておいて。顔洗ってさっさと職場行きやがれ」
「今日は椿山荘なんで、早く帰ってこれます」
「ふざけるな。京成に乗らないで京王電鉄で帰れ」
今朝のミルクティーは、いつもより美味しかった。
人は独りで生きることが出来ない
どんな形でも、誰かと関わって生きている
文明は残酷だ
そしてありがたい