初邂逅
西暦2168年、日本。
地方分権の要望の波の高まりにより、道州制が導入されて久しく、十の道州が置かれており、ここ信越州は、旧四県の集合から成る。
州都は地理的観点から金沢とされ、行政特区が置かれているが、その他の都市部にも第二行政区が敷かれ、各地方の特色に応じて、農業特区、商業特区など、独自の区割りがされている。
東西に幅広い地形であるが、各都市間を結ぶ高速移動手段として、超伝導機構を採用した新リニアモーターカーが網羅され、地方格差の解消に一役買っている。
都市部は他国からの人口流入が多くなり、他民族国家の様相を呈しており(もちろん全国的な時代の流れによる)、英語教育が完全に第二言語として行われているが、移住者は基本的に皆日本語を習得しており、言語による軋轢は起きていない。
但し、一般的に田舎と呼ばれる部類の地方はまだまだ純粋な日本民族だけの集落が多い。
ここ、新魚沼市もそんな地方都市の一つで、農業特区として米作が盛んないわゆる田舎である。
面積の多くが山間地で、平野部は昔と比べると大分都市化が進み、高層ビルも何棟か建ってはいるものの、少し街を離れると、一面の田園風景となっており、山間地にも広大な棚田が形成されている。
第二都市の新潟市からはかなり遠く離れているが、ここも新リニアの駅があり、駅前はそこそこ栄えている。
私立大学の誘致が功を奏し、交通の利便性もあって、都市部は若者の街として活気づいている。
しかし、山間部は限界集落も多く、その面の解決にはまだ至っていない。
山岳や河川の観光資源化などに力を入れてはいるものの、主要交通の利便性向上は、人口流出にも一役買ってしまうのが苦しいところだ。
信越州警察新魚沼署は、町の中心部からやや外れた場所に位置する、総ガラス張りの印象の良い施設である。
刑事の滝沢はここの刑事課に所属している。
主に傷害や殺人などの凶悪犯罪の捜査が担当であったが、近年増加する、未確認生命体による殺傷事件の主担当となって久しい。
この事件そのものは全州的規模であるか、なぜか新魚沼付近での発生件数が多いため、捜査本部が新魚沼署に置かれてしまった。
中堅どころの刑事である滝沢は、土地勘や野性的勘(本人に自覚は全くない)を買われ、主担当に抜擢された。相棒を組むのは五十嵐という若い刑事である。
今日も滝沢は五十嵐を伴って、通報のあった現場の検分に訪れていた。
そこは、今までのパターンに漏れず、郊外の明かりの乏しい路地だった。
もちろん昼間は十分明るい。
稲作は農閑期で田んぼには何も植わっておらず、非常に見通しがよい。
しかし、街灯があまりにも少ない。
ほぼ農耕車優先の農道となっており、夜間は人通りが極端に少ないからだと思われるが、そんな道を夜中にジョギングする者がいた。
それがよくなかった。
もちろん、被害者には落ち度はない。
ちゃんと反射板を手足など至る所に貼り、ヘッドライトも装着していた。
悪かったところがあったとするなら、そこを通りかかったことと、運だろう。
見ると、アスファルトの切れ目はすぐに田んぼの畔であり、一歩踏み外せば田んぼの中である。
ここは長く離れた街灯と街灯の中間点で、おそらく光が届いていない。
その畔と乾いた田の土が、大量の血を吸った形跡が残されていた。
現場の状況は、それはもう酷いものだった。
一言で言えば、食い散らかした、だろう。
おそらく、鋭い爪で後方から襲いかかって背中を切り裂き、衝撃で段差を転がった被害者に貪りついた、といったところか。
恐ろしい怪力で、全身の大きな骨はほぼ粉砕骨折、握りつぶしたか、噛み砕いたのか、知りたくもないが、知らなければならない。
どんな構造を持つ生物なのか、そろそろ断定しなければならないからだ。
生物学者の先生に何度も協力を仰いだ。
しかし、未だに未知の生命体である。
生態がわからなければ、次善の策の採りようがないのだが、気持ちは焦れども、解明には至っていないのが実情である。
いっそ州軍に出動を要請したい。
しかし、次の出没地点を予測できねば、彼らを有効に配備してもらうことなどできやしない。
また、そんなことはないとは思いたいが、州軍が動いた場合、民間人の犠牲を減らすことは二の次になるのでは、との疑問が拭えない。
いずれにしても、今は我々でなんとかするしかないのだ。
監視カメラは市民からあまり歓迎されないが、事象を鑑みて何カ所かの設置に目を瞑ってもらうこととなった。
ネットでは多少炎上したが、市民の安全が脅かされているのも周知の事実である。
背に腹は代えられないとの声も多かった。
監視カメラの映像を昼夜交代で見張る部署が設置された。
滝沢と五十嵐も交代要員に組み込まれた。
泣き言は言ってられない、刻一刻と切り替わる画像との睨めっこが始まった。
そして何週間か過ぎた頃、ついに尻尾を捕まえた。
署からさほど離れていない小道に設置していた暗視カメラが、人とは思えぬ生き物を捉えていた。
それまでにも何件か通報はあったが、それらはどちらかというと後手である。
今回、初めて先手を取れるかもしれない、期待は高まる。
滝沢は仮眠をとっていた五十嵐を叩き起こし、現場へ急行した。
ちなみに装備は甲一種、ショットガン装備である。
警察のメンツにかけて、万に一つも被害者を目の前で出すわけにはいかない。
現場はやはり暗い夜道だった。
前の街灯、後ろの街灯が非常に頼りない。
左右からはいつ怪物が襲ってきてもおかしくない状況、心臓の鼓動がいやにハッキリ聞こえる。
ショットガンをいつでもぶっ放せるよう、腰だめに構えて周囲を見渡す。
五十嵐はパトカー内で、いつでもヘッドライトを燈火できるようにスタンバイしている。
滝沢は、先ほど見ていた映像を映し出したカメラの付近を、音を立てないようにゆっくりと探った。
開けてはいるが、何分明かりが足りない。
目を凝らして辺りを見回す。
不意にザザッと乾いた土や稲の切り株を蹴る音が響いた。
慌ててそちらの方に体の正面を向けるが、振り向くより音の方が速い。
音は螺旋を描くように、旋回しながら徐々に滝沢の方に近づいてくる。
不意に大きく地面を蹴る音が聞こえた。
一足飛びに襲い掛かってきたに違いない。
どこだ!?
頭上から空を切る音が聞こえる。上を仰ぎ見ると、目の前に巨大な爪が・・・
と、次の瞬間、何か大きなものがぶつかる音がして、頭上の爪が弾き飛ばされた。
地面に着地する音が二つ響く。
滝沢は地面に伏して転がるようにその場を離れ、五十嵐に指示を送った。
五十嵐はパトカーのヘッドライトを点灯させる。
すると、手足のやたら長い、腹の膨らんだ異形の生き物が一体、そしてそれに対峙するように、全身黒づくめのやや小柄な、それでいて筋肉の非常に発達したフルフェイスのヘルメットを被った人物が立っていた。
両者、間合いを計るようにお互いの中間を中心として同方向にゆっくりと弧を描くように足を運び、ある程度進んだところで止まる。
そして、両者が同時に大地を蹴って急接近、異形生命体は手の爪を、黒づくめは回し蹴りを繰り出した。
それはほんの一瞬の出来事だった。
滝沢は何が起こったのか、あまりの速さに目と頭が追いついていなかった。
軍配は黒づくめに上がった。
黒づくめの最初の蹴りが相手の腹部に決まるや否や、さらに回転して、もう一方の脚も振り抜いた。
異形は、空中で真っ二つに裂けると、赤黒い液体をばらまきながら、上半身と下半身が別々の方向へ飛び散った。
黒づくめはそれを見届けると、踵を返して、これまたすごいスピードで走り去って行ってしまった。
同時に、どこかで車のエンジン音が去って行く音も聞いた。
滝沢は我を忘れていた。
今のは何だったんだ。
未確認生命体が、もう一体増えて、内輪揉めでも始めたのか。
それでも収穫はあった。異形の上・下半身である。
これを研究所に持ち帰ることが、今日の最大の仕事になる。
滝沢は、なんとなく情けなさをかみしめながら、駆け寄ってきた五十嵐とともに、異形の死骸の確認を行い、署に連絡を入れるのだった。