2 「ヘスティアに立つ」
地球から約三十光年、漆黒に浮かぶ青い光。
惑星「ヘスティア」は、太陽と酷似した恒星を擁す惑星系に属している。
恒星からの距離、直径、質量、そして1日の長さが地球とほぼ一致し、大気と水の存在も示唆されている「ヘスティア」は、二十七年前に発見された当時、「奇跡の惑星」あるいは「地球の双子」とも称され、探査や移住の計画が進められていた。が、地球から離れ過ぎていることや、計画に膨大な予算が必要であったことなどからそれらは頓挫し、それから間も無く「ヘスティア」は忘れ去られた。
そして九年前、地球で「色消失」が起こると、発見から十八年が経過していた「ヘスティア」に再び大きな注目が集まることとなった。今度は、地球が元の姿を取り戻すための「希望」として。それから間も無く有人探査が計画された後、六年足らずで実行に移されることになった。
……ここまでが今回の「キャンバス」打ち上げの経緯である。
–––––––そして今、人類は初めて「ヘスティア」の大地を踏んでいた。
「……地球、じゃないんだよな?」
と、独り言のように呟いたアルの眼前には、どこまでも青い空と広大な緑の草原が広がり、その奥には頂を白く染めた山脈が連なっている。三年ぶりに頬を撫でる風は、アルにとってはこの上なく心地良かった。
「ああ、ここはヘスティア。間違いねえ。何しろ、色が付いてるからな」
アルの呟きに男が反応した。
「あ、ウッド教官、ご無沙汰してます!」
ジャクソン・ウッドは、アルの海軍時代の教官だ。教官としては相当厳しかったらしく、十四歳だったアルが朝礼に四十秒遅刻したことを理由に、罰として腕立て伏せ四百回を課したという逸話は、海軍で知らぬ者はいないと言われるほど有名だ。アルのふた回りは大きな体格、口元に蓄えられたヒゲ、そして眼光。初対面の人間なら確実に怯むような凄みがあった。
「ご無沙汰、じゃねえ。昨日も会ったばっかだ。……そんなことよりな、やっとソラの意識が戻ったんだ」
「本当ですか?」
「ああ、行ってやれ。あとな、今は教官じゃなくて、隊長だ。次間違ったら、腕立て四百回、だからな」
「……っ!気を付けます!!」
教官の言葉に一つとして嘘がないことを、アルはその身をもって知っていた。
|ソラは「キャンバス」内の医務室のベッドに横たわっていた。
「僕は、どのくらいの間、気絶していたんですか?」
ソラは、医務室にいた看護師と思わしき女に尋ねた。
「ここに運ばれてきたのが三日ほど前ですから、それくらいですね」
「三日……?あの、ヘスティアにはもう着いてるんですよね?」
「はい。外ではもう、色々な作業が始まっていますよ」
その言葉を聞くやいなや、ソラはベッドから飛び起き、立ち上がろうとした。が、飛び起きた勢いでバランスを崩し、そのままベッドから落ちた。
「いっ……てぇ……」
「だ、大丈夫ですか?!」
幸い、背中から落ちたようで、頭を打ってはいなかった。
「無理しちゃダメです。三日間気絶してたって、さっき教えたじゃないですか!」
少し怒っているような、焦っているような様子で、女はソラを|たしなめた。
「う……すんません」
ソラは見るからに悔しそうな顔をした。
「ソラっ!起きたか?!」
医務室では聞くことのないような大声に、ソラも女も振り向いた。
「アル……!」
ほんの三日ぶりの再会だったが、ソラは心底嬉しそうな顔を見せた。
「おう、ソラ、よかった……って、姉さん!何でここに?」
……姉さん?ソラは目を丸くした。
「なんでって、医者だからに決まってるじゃない。あなたこそ、なんでここにいるのよ?仕事は?」
「ソラが目を覚ましたっていうから……」
「あ、あの、僕はその、アルバート君の友達……なんです」
何か言い争いになりそうな気がして、ソラは会話に割り込んだ。そしてソラとアルは、お互いの関係についてアルの姉に語った。
「……そういうことね」
しばらくして、アルの姉は取りあえず納得したらしい。
「そういえば俺、姉ちゃんのこと、話してなかったか?」
ふと思い付いたかのように、アルはソラに尋ねた。
そうだ、話されてない。兄弟がいることすらも。そう思いながら、ソラが黙って頷くと、アルは姉について語り始めた。
彼女の名は、セレナ・フローレス。アルの四歳年上の二十一歳で、「キャンバス」に三人しかいない医者のうちの一人。「キャンバス」が地球を飛び立つ少し前に、十八歳で特例として医師免許を取得し、その後「キャンバス」の医務室で、搭乗者の診察や健康管理を行なってきた。アルと同じく長身で、スタイルも良く、セミロングの髪は白く染まってもなお、艶を失っていなかった。その上、日本語はアルよりずっと流暢で、日本出身のソラにも違和感を感じさせなかった。
「ところで、ソラはもう動けるのか?」
アルはひとしきり語り終えると、ようやく、本当に聞きたかったことを尋ねた。ソラにとっては待ちに待った質問だった。すぐさま、動けることを伝えようとした、が。
「まだ無理よ。さっきだって、ベッドから落ちちゃったんだから」
セレナに即答されてしまった。……確かに、事実だけど。ソラは肩を竦めた。
「じゃあせめて、車椅子とかないのか?」
ソラが外に出たがっているのを察したのか、アルは食い下がった。
「そうだ、車椅子!セレナさん、ありますよね?」
ソラはここぞとばかりに、精一杯の意思表示をした。
「あるけど……」
二人の様子に少し呆れながらも、セレナは医務室の物置から、一台の車椅子を運び出してきた。その車椅子は、三年間使っているわりには傷や汚れが少なく、ほとんど新品のような状態だった。
「予備は一台しかないから、絶対に壊さないでね!」
セレナが念を押したのに気づいたかどうか、アルはソラを車椅子に乗せるやいなや、かなりのスピードで医務室を飛び出していった。二人の楽しそうな声は、どんどん医務室から離れて行った。そして時々、何かに擦れるような、嫌な音がした。
「It is just as I thought……」
やっぱりね。止めても無駄だった。セレナは自分に、そう言い聞かせた。
ソラとアルは、医務室から一番近くにある船尾部タラップに向かっていた。
「もうすぐだぞ、ソラ!」
「うん……!」
そして二人はタラップに辿り着くと、五十メートルほどあるスロープを駆け下り、ついに船外に出た。
「ああ、ここが、ヘスティア……」
ソラの視界には、雄大なヘスティアの景色が広がっていた。地球と酷似していながらも、鮮やかに彩られ、未知の香りを漂わせる冒険の舞台。ソラは無意識に車椅子から降り、素足でヘスティアの大地を踏んでいた。
「ところで、ソラ。気絶したときのことは、覚えてないのか?」
ヘスティアの景色にすっかり見とれているソラに、アルが尋ねた。
「気絶したとき?どうだったかな……」
「船がいよいよヘスティアの大気圏に入るってときに、ソラは気絶したんだ。突然、フラッ……と倒れてな。その後すぐに、着陸に備えろっていうアナウンスが流れたから、とりあえず俺がソラをシートに固定して……」
その後、アルは覚えている限りのことを伝えたが、ソラは何一つとして覚えていないらしかった。
「そっか、覚えてないのか……」
覚えてない、とソラは頷いた。
「まあ、無事だったんだから、良いんだけどな」
「アルが助けてくれたんだね、ありがとう」
空が礼を言うと、アルは少し照れた様子で、空から目を逸らした。
今回も読んでいただきありがとうございますm(_ _)m
今回少し長くなってしまいました。
次回も是非、読んでみてください。