現実という名の異世界
「あら? 総一くん、来なかったの?」
エプロン姿のお母さんが、帰ってきたわしを見て言いました。
「うん。来てくれなかった。でも彼はわたしに最高のプレゼントを置いて、わたしの魂に新たな灯火を与えました」
「結乃、そのちょっとオタクっぽい発言を直さないと、彼氏できないわよ?」
「どこが! 今のどこが、オタク発言! お母さんも偏見だ!」
「やだ、反抗期?」
「違うのだよ! 反抗期ではなく、これは抵抗だ! レジスタンス!」
「ほら、そういうところよ」
わたしはゼェハァと息を吐きながらお母さんに対抗した。16歳の誕生日を迎えた今、わたしにとってお母さんは敵だ。
朝からわたしはお母さんの一挙一動にビビってる。
「まあ、でも総一くんがいないのは、それはそれで好都合ね。総一くんなら別にいてもかまわなかったけど」
「意味わからないことを言って、わたしの気を引こうって作戦だね、お母さん」
探るようなわたしの視線をお母さんは半目で見ている。実の娘をなんという目で見てるんだ、この母親は!
「言ってたでしょ。今日は結乃にとって特別な日だ――って、何してるの。結乃」
やだ、聞きたくない! お母さんがわたしにとって不都合な話を始めたことは分かってる。
わたしはまず冷蔵庫の中に首を突っ込んだ。そして次にゴミ箱の中へ。でもどこにいっても、異世界へ通じる扉はない!
「ちくしょう! やっぱりトイレに流されなきゃダメですか!」
「流れるわけないでしょ。結乃、落ち着いて」
「落ち着けるか……ぁ」
わたしはお母さんのほうをものすごい形相で振り返って固まった。
わたしはきっと幻覚が見えるようになったんだ。
16歳は特別な日。
そうか、わたしは16歳にして謎の力を手に入れたんだ。
「奥様、この子が?」
ほら、幻聴だって聞こえる。
黒髪のイケメンが、ものすごくかっちりしたスーツで現れて、お母さんの背後に立っている。
しかも、親しげにお母さんの肩を触っていた。
「そうそう。結乃、あいさつしなさい」
あいさつ? 意味わからない。意味わからないけど、イケメンを前に下手こけない。鈴くんの前では下手こきまくってたって? 鈴くんは別にブサ男じゃないからな! イケメンっていうか、鈴くんはショタ顔だから! 仲良くなったときにはすでにオタ趣味ばれてただけで! 鈴くんにも隠せたなら隠してたよ!
「萩本結乃です。はじめまして」
静かにあいさつをした。
外向きの顔はちゃんと持ってる。これが腐女子だ。どこでも節操なく腐語りしてるわけじゃないんだからな。
「……さっき騒いでたの、この子じゃないんすか?」
イケメンがお母さんに困り顔で尋ねてる。母よ、ここは娘の意図をくんで隠してくれよ? どうせなら腐女子じゃなくおとなしめな娘として紹介したいだろう? 母よ。
て、いうか、このイケメンはいったい誰だ。……もしかしてお母さんの再婚相手?!
たしかにお父さんは蒸発したって聞いてたけど。聞いてたけど! わたしが16歳で結婚する予定だったとか?!
え、じゃあいつから……。でもお母さん、今までそんな素振り見せたことなかった。……ま、まさか、わたしが眠りこけてるあいだに夜這いして……っ。膨らむ、妄想が! ね、ネタ帳! あ、だめだ。今、ここで書いてはいけない。いけないけど!
「騒いでたのはこの子ですよ。ちょーっとオタク入ってるの」
お母さぁぁぁぁん! 何暴露してるの! え、何? これからお父さんになる人に嘘ついてどうするの、とかそういう感じですかい?
まじか、まじでか。なんだこれ。今ちょっとキメ顔であいさつしたわたし、きめぇ。
「はあ……。まあ、とりあえず自己紹介を。俺は高瀬斗夜と言います。……結乃お嬢様」
「……え?」
今なんと? 今、お嬢様って言った? 執事? まさかの執事? やばい、妄想が……! 止まれ、執事と聞いてたぎるわたし、鎮まれよい! あ、れ? てかよく考えてみたら、お母さんのこと奥様って言ってたよね。
え、え、このイケメン、なに……。
「16歳のお誕生日おめでとうございます。その祝賀とともに、《ラスティア》の後継者と決まりましたことをお伝えにあがりました。つきまして……」
待った、待った。この人なに言ってるの。日本語だけど、なんか知らない単語出てきてるし。なにこれ、どうなってるの。え、お母さんの新手なプレゼント? ちょっと二次元チックな芝居をプレゼントされて喜ぶわけねぇだろ、母よ。むしろ困惑だよ。
「ら、らすてぃあ?」
わたしがマヌケ面で問いかけると、高瀬さんというイケメンが不審げな顔で母に視線を向けた。
「奥様、ご説明は?」
「16歳になるまでしないって約束だもの。わたしの口からその話をするわけないでしょ? ボスから聞いてないの?」
お母さんはわけ知った風に言っている。「ボス」って言った? なに、ボスって。お母さんも十分オタクっぽいっていうか、厨二病な発言してるよ? え、本当に話についていけない。
イケメンはそんな母の返しにため息を吐いて、淡々と語り始めた。
「ラスティアとは、日本の有力五大マフィアのひとつです。現在ラスティアのボスは、お嬢様の父、萩本幸佐様が任についておいでです」
「ち……父ーーーー?!」
父って、父って。わたしはお母さんの顔を見る。でもお母さんは何食わぬ顔して話を聞いている。なんで……え、まじでなんで?
「お、お父さんは……いないですよ、わたし。だって、蒸発したって、お母さんが。ね、ねぇ、お母さん?」
わたしがそう答えると、イケメンはものすごい顔でお母さんを見た。完璧なジト目だ。イケメンに視線を向けられたお母さんはやれやれといった顔をしている。
「これも約束なのよ? 父親がマフィアのボスなんて幼いうちにバレたら、結乃が生活しづらくなるから」
「世間の偏見が激しいだけで、今のマフィアは警察機関と大差ないですが」
「ええ、そうね。そうじゃなきゃ、結乃を後継者にする件ももとより認めたりしないわ。でも偏見がある以上、結乃がちゃんと自分で取捨選択して行動できる歳を待ったの」
それが16歳ってこと? もしかして今からわたし大変なことになるんじゃない? 待った待った! 本当に異世界の扉探さないとやばいんじゃない、わたし!
「お嬢様、どこに行かれるんですか? 今、ご説明の途中ですが」
「と、トイレに……」
「ああ、高瀬くん、そのまま説明を続けて? どうせ結乃はトイレに流されようと試みるだけだから」
「流れるわけないでしょう。何を言っているんですか、奥様」
流れるかもしれないだろうが、このイケメンめ! イケメンだからって何言っても許されると思うなよ? 世界にはトイレに流されて異世界に行けること夢見てるやつが大勢いるんだからな! ……なぁんて心の中でしか言えない自分が悔しい。
「話を続けます。現在、血縁関係を考えまして、結乃お嬢様が幸佐様の後継者として位置づけられております。まだ幸佐様は健在ですから、問題ありませんが……きたるときにお嬢様がそんなふうにトイレに流されることを試みるような人間であってはいけませんので。本日、お迎えにあがりました」
淡々と、台本を読むみたいにして高瀬さんが言った。いや、これきっと台本だわ。作家さん誰だ?
話についていけないし、いつまでこんな茶番続けてるのさ。この人はいったいなんなのさ!
「もう、わけわかんない。お母さん、もういいよ! わたしが二次元二次元って言ってるからこんな意味不明なお芝居用意してくれたのかもしれないけど! 話ついていけないから! 置いてけぼりだから!」
「置いてけぼりじゃないわよ、結乃。今から連れていかれるの」
「話聞いてくれやい、母上ぇ! だーかーらぁ……うぐっ」
わたしがお母さんに文句を言おうとしたら、高瀬さんがわたしの口を塞いで……ごえっ。
首に走った激痛とともに、わたしは意識を手放した。