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香織の場合



 眠りを妨げる電子音が遠くから聞こえる。部屋は薄暗い。まだ夜明け前だろうか。

 たかしは頭から布団をかぶり、音のする方に背を向けた。

 すると前から肩を揺さぶられた。

「崇くん崇くん、ケータイ鳴ってるよ」

 言われて仕方なく布団から頭を出し、枕元の時計を見る。時刻は7時5分。

「誰だ、こんな朝っぱらから」

 毒づきながらも布団から這い出し、壁際にかけてある上着のポケットから携帯電話を取り出した。

 相手を見た途端、昨日置き去りにされた記憶が甦り、怒りが込み上げてきた。

久治きゅうじ! てめぇ!」

 壁に向かって怒鳴りつけた時、後ろからクスクスと笑い声が聞こえてきた。振り返るとさっきまで崇がもぐりこんでいた同じ布団から、女の子が顔を出しておもしろそうに笑っている。

 携帯電話を握ったまま女の子を凝視する。徐々に頭が働き始め、彼女が誰だか思い出した。笑っているのは香織かおりだ。

「ねぼけてるの? 丸見えだよ」

 香織に指差され、自分が全裸であることに気付いた。一気に目が覚め、それと同時に昨日の記憶が全て蘇った。

 崇は旅行会社で、ツアーの添乗員をしている。今回、過疎に悩む田舎町が、町おこしの一環として主催するお見合いツアーに、同僚の久治、のぼると共に同行する事になった。

 参加者は結婚を意識している独身男女各二十名ずつ。夜バスに乗り込み出発して、車中泊の後、翌日は終日主催する町で、町内観光や農業体験などを通して意中の相手と親交を深めてもらう。

 そして午後、町役場で告白タイムの後、最初の集合場所に戻って解散、という内容だ。

 主催した町としては、カップルとなった二人が町に移り住んでくれる事を期待している。一応、町の思惑を説明し、田舎暮らしに興味のある人、という条件で募集をかけてあるが、思惑通りに行くかどうか、崇自身は疑問に感じていた。

 普通の観光ツアーと違い、お見合いツアーだけに男性陣は理性のタガが緩んでいる。車中泊の最中、女の子にちょっかいを出す奴がいてはまずいので、バスの車内、最前列に崇、最後列に久治が座って見張る事になった。

 昇は主催者の意向で、撮影機材と共に、バスの後ろから車でついてくる。

 何度目かのトイレ休憩に立ち寄ったバスターミナルで、心配していた事件が起きた。

 深夜のバスターミナルは売店も閉まっていて、人影も自分たちのツアー客しかいない。

 缶コーヒーを買いに行った自動販売機コーナーの死角で、何やらもめているような声を聞き、崇は様子を見に行った。

 見ると、ツアー客と思われる男女がもめている。どうやら男が女の子を強引に口説いていたようだ。

 崇が声をかけると、二人は同時にこちらを向き、男が慌てて女の子の手を離した。

 崇は男に注意を与える。男は気まずそうに笑って頭を下げ、バスに戻っていった。

 残された女の子は、胸元に手を当てホッと 息をつく。その姿をしげしげと眺め、崇は妙に納得した。

 なるほど、頭が悪そうで隙だらけな軽い女に見える。男がちょっかい出したくなるのは、分かるような気がした。

 フワフワした丈の短いワンピースにヒールの高いサンダルを履いて、伸ばした爪にはネイルアートまで施している。今から田舎町に行って、あぜ道を歩いたり農業体験をするような格好ではない。

(そもそも車中泊でミニスカートってありえねぇだろ! こんな奴が電車の中で足を広げてパンツ丸見えのまま、だらしなく眠ってたりするんだ)

 偏見も交えて内心毒づきながら、崇は女の子にも注意を与えた。

「君も。軽率な行動は控えるように」

 女の子はムッとした表情で崇を睨んだ。

「どうして私が怒られなきゃならないの? 私は被害者よ。あいつにちょっと来てって言われたから来ただけなのに」

 崇はここぞとばかりに言い返す。

「知らない男に来いって言われて、のこのこついて行くなんて充分軽率だろう」

「私が軽い女だって言いたいの? いつも下心があるからそんな風に考えるのよ。男なんてそればっかり! エッチなんて大嫌いよ!」

 下心があったのは自分ではなくさっきの男だ。なぜ八つ当たりで絡まれなければならないのだろう。軽く苛ついた崇は、またしても言い返した。

「エッチ嫌いなら、なんでこのツアーに参加したんだよ。結婚を意識している男女が対象のはずだ。結婚してエッチ嫌いだからってダンナを拒否るのか? 即離婚されるぞ」

 女の子は黙って俯いた。彼女の目に涙が浮かび始める。しまったと後悔した。相手はお客様だった。彼女の態度に苛ついて、ついきつく言い過ぎてしまった。

 詫びようと口を開きかけた時、後ろから頭を叩かれた。

「こぉら、崇。お客様を泣かせるな」

 振り返ると、眉を寄せた久治に睨まれた。久治はすぐさま愛想のいい笑顔を浮かべ、崇を押し退け女の子に優しく話しかけた。

「ごめんね。こいつ口が悪くって。でも悪気はないんだよ」

 久治とは中学生の頃からの腐れ縁だ。崇が女の子と口論になって、うっかり泣かせてしまう度に同じセリフを聞いた。

 またやってしまったと、崇は思わずため息を漏らす。

 女の子は俯いたままつぶやいた。

「帰りたい……」

「へ?」

 キョトンとする久治の隣で、崇は再び声を荒げる。

「途中でそんな事できるわけないだろう!」

「だから、女の子を脅すな!」

 久治に再び頭を叩かれ、崇は口をつぐむ。そこへ別の女の子が、慌てた様子でやって来た。

「香織、何があったの?」

 どうやら彼女の友人のようだ。女の子の後ろから、昇までやって来た。

 出発時間になっても友人が戻ってないと言うので、一緒に捜しに来たらしい。

 崇は久治と昇、そして香織の友人に経緯を話した。

 崇が話し終わると、香織は友人に詰め寄った。

有紀ゆき、これってお見合いツアーだったの? 知ってたら私、来なかったのに」

 隙だらけの割に男が苦手そうな香織が、ツアーに参加しているのを不思議に思っていたが、知らずに連れてこられたというわけか。だがそれはツアーの性質上問題がある。

 病気やケガならともかく、途中で帰りたいというのも、崇たちの間では前例がない。

 有紀が苦笑しながらなだめたが、ツアーの正体を知った香織は益々頑なに帰ると言い張った。

 どうすればいいのか自分たちでは判断できないので、久治が会社に問い合わせた。

 協議の結果、香織は帰ることになった。

 見合いする意思がない者を参加させても本人も楽しめないだろうし、ハズレくじを引く男性も気の毒だからだ。

 当日キャンセル扱いなので旅行代金の返却は出来ないし、自腹で帰ってもらうことになるが、それでもよければ帰ってもいいと言うと、香織は二つ返事で了承した。

 友人の有紀はそのままツアーに残る。

 ただ、今は真夜中だ。朝になれば始発のバスがやってくるが、人気のない田舎のバスターミナルに女の子をひとり置き去りにするわけにもいかない。

 タクシーを呼んだとしても出発地点からはかなり距離があるので、料金がかかりすぎるだろう。

 三人のうち誰かが、香織を適当な町まで送っていくことになった。

「先ほどのお詫びも兼ねておまえが行け」と久治たちに押しつけられ、崇がその役目を負う。納得はいかないが、ここで食い下がって更にスケジュールを遅らせるのもまずいので、崇は黙って従った。

 その結果、香織はあからさまに不服そうな表情を浮かべた。

「崇くんなの……」

「オレで悪かったな。ほら、行くぞ」

 ムッとしながら強引に腕を掴むと、激しく振りほどかれた。

 そういえばこいつ、男嫌いだった。さっきの男の事を思い出したのかもしれない。身を硬くして緊張した表情が、男に対する警戒心を物語っている。

「悪い。もう触らない」

 崇が軽く手を挙げて詫びると、香織は少し赤面し、苦笑しながら言い訳した。

「違うの。私、トイレがまだだったから」

「じゃあ、ここで待ってるから」

 香織がトイレに向かい、崇を残して他の者はバスへ引き上げた。

 当初の目的通り、崇は缶コーヒーを買い、壁にもたれてそれを飲んでいた。するとトイレから戻ってきた香織が、自動販売機コーナーの入口で大声を上げた。

「あぁっ!」

 そちらに視線を向けると、香織は外を凝視したまま固まっている。

「何だ?」

 怪訝に思い尋ねる崇に、香織は外を指差しながら悲愴な面持ちで叫んだ。

「バスが行っちゃった!」

「何?」

 慌てて香織の元に駆け寄り外を眺めると、黒煙を上げてバスが遠ざかっていくのが見えた。その後ろを昇の乗った車もついていく。

「どうしよう。私の荷物、バスの中なのに」

「オレだってそうだよ。あいつら何考えてんだ!」

 崇はすかさず携帯電話で久治に連絡を取った。しかし何度かけ直しても、留守番メッセージが流れるだけで久治には繋がらない。昇は運転中だから、どうせ電話には出られないだろう。

 軽く舌打ちして、崇は携帯電話をポケットに収めた。

 てっきり昇の乗った車を置いていってくれるものと思っていた。手持ちの金は手帳に挟んだ一万円と小銭入れだけ。深夜料金のタクシーで、町まで出られるか微妙だ。

 一応香織に確認すると、彼女はハンカチ以外何もかもバスに置いてきていた。友人がバスに残っていたので、何も持たずに出てきたらしい。

 他人のことを、とやかくは言えない。崇自身も財布は荷物の中だ。最前列の運転手から丸見えの席で、荷物をまさぐる奴もいないだろうと考えたからだった。

 このまま始発バスを待つのも疲れるので、周りに何かないか探るため、香織と一緒に道路脇まで出てみた。見事に何もない。

 道路の向こうは田んぼで、その向こうにはすぐ側まで山が迫っている。バスの通ってきた道路は、街灯も疎らで、暗闇の中に消えていた。

 少し先に林の中へ続く脇道があり、その先で赤や黄色の灯りがチラリと見える。何か店でもあるのかもしれない。夜通し開いている店であることを祈りつつ、灯りに向かって歩く。

 たどり着いた先にあったのは、小さなラブホテルだった。車が停まっているので利用者がいるようだ。

 入口横に提示された、宿泊七千円の文字が目に入る。田舎だからか、施設が古いからか、やけに安い。これなら宿泊してもバス代は残るだろう。

「朝まで寝て待つか」

 崇はつぶやいて入口に向かった。

 中に入ろうとして何気なく振り返ると、香織が立ち止まったまま一歩も動いていないことに気付いた。

(あー。めんどくせぇ)

 ひとつ息をついて崇は言う。

「安心しろ。泊まるだけだ」

 だが香織は未だに疑いの眼差しを向けながら、警戒心を露わにして尋ねる。

「本当に何もしない?」

「しないしない。する気にもならない」

 投げやりに言うと、香織はムッとした表情で口をとがらせ、ふてくされたようにズンズンと崇の側までやって来た。

 何もしないと断言しているのに、何が気に入らないのかわけがわからない。本当は何かして欲しかったのかと勘繰ってしまう。

 元々香織は、警戒しているようで隙だらけというか、思わせぶりなところがある。他人を名前で呼ぶのもそうだ。

 崇に限らず、久治たちも友人も名前で呼ぶ。今日会ったばかりの他人に対して、それは馴れ馴れしすぎるんじゃないかと尋ねたら、その方が早く打ち解けられるからだと言う。

 大方、ちょっかい出してきたあの男の事も、名前で呼んでいたのだろう。

 計算なのか天然なのか、男が勘違いしても仕方ないような気がする。

 ホテルの薄暗い部屋に入ると、二人はそれぞれ風呂に入り、備え付けの寝間着に着替え、無駄に広いベッドの両端に別れて一緒に寝ることになった。

 崇はベッドを香織に譲ろうとしたが、金を出したのは崇だからと、香織は突っぱねた。そのため折衷案として、一緒に寝ることになったのだ。

 合意したくせに、香織は全く警戒を解いていない。崇が少しでも動くとピクピク反応し、こちらに向けられた背中から、ひしひしと緊張が伝わってくる。

 しばらくそんなことが続き、たまりかねた崇は身体を起こした。香織が一際大きく、身体を震わせる。

「あのさぁ。オレが寝返り打つ度にビクつくのやめてくれないか? こっちだって気になって眠れやしない」

「ごめん……。わかってるんだけど、でも……」

 涙声に少し焦りながら、崇はため息をついた。

「まぁ、おまえ、男苦手みたいだし。嫌いなオレのこと信用できないのはわかるけど……」

 香織がクルリとこちらを向いた。てっきり泣いていると思っていたら、あっけらかんとして言い放つ。

「ううん。崇くんの顔は割と好き」

 思わず苦笑する。

「あ、そ。"割と"ね」

「崇くんこそ私のこと嫌いでしょ。怒ってばかりだもん」

「おまえがうかつで隙だらけだから、ついつい口出ししたくなるんだ。別に嫌いで怒っているわけじゃない」

 少し沈黙した後、崇は気になっていたことを思い切って尋ねた。

「なぁ。おまえセックスが嫌いだって言ってたけど、前に何かあったのか?」

「何もないよ。ただ、好きになるほど気持ちいいって思ったことがないから。イクっていうのわからないの。だから面倒くさいだけだし。でも男の人って付き合い始めたら絶対求めてくるでしょ? 面倒だから付き合いたくもないの。それに相手だけ気持ちいいなんてシャクじゃない。男の人って好きでもない女の子相手でも気持ちいいんでしょ?」

「ま……あ……そうかな」

 ストレートに訊かれて、崇は少し口ごもる。女の子とこんな話をするのは、やはりちょっと照れくさい。

「でも心まで気持ちよくなれるのは、好きな子が相手の時だけだ」

 香織は少し寂しそうな笑顔を浮かべて崇を見つめた。その笑顔に胸がざわめく。

「そうなんだ。私、今まで自分から好きになった人と付き合ったことないの。だから気持ちよくならないんだね。せめて顔だけでも自分好みだったら違うのかな。でも多分もうだめだね。苦手意識が先に立ってるから」

 そういって香織は、再び崇に背を向けた。

 自分の中で何かがはじけ飛んだような気がして、気が付くと崇は香織の肩を掴かみ、身体をこちら側に引き倒していた。

「なんでもう諦めてんだよ」

 驚いたように目を見開いて、香織が崇を見上げる。胸の奥で警鐘が鳴り始めた。

 今ならまだ引き返せる。けれどそれに目を背け、崇は微笑んだ。

 自分じゃない誰かが、崇の口を借りて言葉を発したような気がした。

「割と好きな顔のオレで、気持ちよくなれるか確かめてみないか?」

 硬直していた香織の身体から力が抜ける。それと同時に彼女は、甘い笑みを浮かべ崇の首に両腕を回した。

「違うよ。今の笑顔はかなり好き」

 香織の腕に導かれるように、ゆっくりと互いの顔が近付き、唇が重なった。

 香織を不快にさせないように気遣って、最初は静かだった口づけも、次第に熱を帯びて激しくなっていく。

 互いの着衣を全てはぎ取り、手の平と唇で香織の全身を味わう頃には、夢中で彼女に溺れていた。

 香織はお客様だ。分かっているのに、もう止められない。止める気もない。

 理性のタガか緩んでいたのは、他ならぬ自分自身だったようだ。

 罪の意識は存分にある。だが崇は、あえて背徳に身を委ねたのだった。




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