三皿目 お姫様の料理人
魔法書専門図書館の建設が始まって、十日が経った。
王立図書館の隣に用意された敷地では、石工たちが朝から晩まで槌を振るっている。リュドヴィックは館長として設計の監修を任されていたが、建築のことなど何も分からない。分かるのは、本棚の配置と、書庫の温湿度管理と、魔法書の保存に適した木材の種類くらいだ。
それでも毎日が楽しかった。
自分好みの——もちろん自分のものではないが、魔法書専門図書館が日に日に形になっていくのだ。壁が立ち、屋根が架かり、書架が運び込まれていく。完成すればこの国で唯一の魔法書専門図書館になる。
ただ、一つだけ気がかりなことがあった。
エレオノール王女のことだ。
図書館の設計を進めるにあたって、リュドヴィックは王女の蔵書を正確に把握する必要があった。何冊あるのか、どんな分類が適切か、特に貴重な本はどれか。そのためには王女の読書傾向を知らなければならないし、彼女に仕える者たちからも情報を集めなければならない。
つまりは、聞き込みである。
リュドヴィックは図書館の工事を見守る合間に、王宮の侍女やメイド見習い、料理人、庭師、果ては警備の兵士にまで声をかけて回った。
最初に話を聞いたのは、初日に案内をしてくれた侍女だった。
「殿下のご様子ですか? そうですね……。殿下は食が細いんです。お食事をほとんど召し上がらない日もあって、料理長がいつも頭を悩ませています」
「食が細い? あの年頃なら食べ盛りだと思いますが」
「ええ。お菓子もあまりお好きではないようで。果物を少し召し上がる程度のこともあります。なのにお元気なんですから、不思議なものですわ」
食が細い。だが元気。不思議ではあるが、体質の問題かもしれない。
次に、エレオノール王女の部屋を掃除するメイド見習いに聞いた。
「あのお部屋、紙くずがすごいんです。本の切れ端みたいなものがあちこちに落ちていて。殿下は読書に夢中になるとページを破いてしまうのかしら、と最初は思ったんですけど」
「破いてしまう?」
「でもおかしいんです。紙くずはあるのに、破れた本が見つからないんですよ。ページが欠けている本はあるんですが、その欠けた分の紙がどこにもないんです」
紙が消えている。リュドヴィックは眉をひそめた。虫に食われたのかとも思ったが、それなら粉状の痕跡が残るはずだ。
さらに料理人にも話を聞いた。
「ああ、あの方は料理長泣かせでございましてね。どんな高級食材を使っても、決まって『味がしない』とおっしゃる。最高の子牛肉のローストも、白トリュフのスープも、殿下には不評でした」
「味がしない?」
「ええ。味覚がおかしいのではと医師に相談したこともあるのですが、特に異常はないと。ただ……一つだけ不思議なことがありまして」
「何ですか」
「ある日、殿下がご自分のお部屋でお食事をされたいとおっしゃったんです。珍しいことでしたので、特別にお盆でお運びしました。ところが、戻ってきたお盆を見ると、料理はほとんど手つかずなのに、敷紙だけがなくなっていたんです」
「敷紙とは?」
「お盆に敷く装飾用の紙です。薄い羊皮紙でできていて、料理が冷めない魔術式が書いてあるんですよ。何の味もしないものですが」
料理が冷めない魔術式の紙。
食が細いのに元気な王女。
消えるページ。味がしないと言われる高級料理。
一つ一つは些細な話だ。しかし並べてみると、どれもが一つの仮説を指し示しているようで——いや。
リュドヴィックは首を振った。
いくらなんでも、それはない。
断片的な情報は集まったが、それらが指し示す答えがあまりにも突拍子もなくて、まとめることができない。
まさか、な。
*
それから三日後。
リュドヴィックはエレオノールの部屋を訪れた。図書館の書架の配置図を見せるためだ。
「殿下、配置図をお持ちしました」
「入って」
今日は扉が最初から開いていた。小さな進歩だ。
エレオノール王女は相変わらず本の山に囲まれた机についていた。
「こちらが書架の配置案です。蔵書は属性別に分類しようと考えています。火、水、風、土、光、闇。それぞれの属性に専用の部屋を設けます」
「ふうん」
エレオノール王女は配置図にさっと目を通す。興味がないわけではなさそうだが、やはり熱意は薄い。
「属性ごとに部屋を分けるのね。いいんじゃない」
「殿下のご希望があれば反映しますが」
「特にないわ。あなたの好きにして」
「……本当によろしいのですか。殿下の図書館なのですが」
「わたしの図書館は、わたしの好きに使えないのでしょう? なら、管理者が好きにすればいいわ」
棘のある言い方だった。リュドヴィックは言い返しかけたが、配置図の説明を優先することにした。
書架の寸法、通路の幅、閲覧机の位置。説明しながら、メモ帳を広げて補足の数字を書き込んでいく。
配置図の説明が終わり、次回の打ち合わせの日取りを決めたところで、リュドヴィックは鞄を持って立ち上がった。
「では、また五日後に」
「ええ」
彼は一礼して部屋を出た。
廊下を半分ほど歩いたところで、鞄の軽さに気づいた。
革鞄を開ける。魔法書は八冊、すべてある。配置図の筒もある。
メモ帳がない。
リュドヴィックの顔から血の気が引いた。あのメモ帳は何年分もの研究が詰まった、代えのきかないものだ。テーブルの上に置き忘れたに違いない。
彼は踵を返し、早足で廊下を戻った。
エレオノール王女の部屋の前に着く。ノックしようとして——手が止まった。
扉が、ほんの少しだけ開いている。
隙間から声が聞こえた。
エレオノール王女の声だ。小さく、独り言のように。
「——おいしい」
聞き間違いかと思った。
リュドヴィックはそっと隙間から中を覗いた。
エレオノール王女は机に向かっていた。彼のメモ帳を開いている。
読んでいるのではなかった。
ページを一枚、丁寧にちぎり取り、細く折りたたみ、口に入れていた。
咀嚼している。
ゆっくりと、目を閉じて、味わうように。
時間が止まった。
噂の断片が一気に繋がった。食が細い。紙が消える。味がしない料理。
全部これだ。
全部、これだったのだ。
リュドヴィックは扉を押し開けた。
「殿下」
エレオノール王女の肩が跳ねた。
振り返った顔は、初めて見る表情だった。あのふてぶてしい笑みも、冷めた視線も、計るような間も——全部消えて、ただ一つの感情だけが剥き出しになっていた。
恐怖だ。
見られた、という恐怖。
口元にはまだメモ帳の紙片がわずかに覗いている。彼女はとっさにそれを手で隠した。
「な、なんでもないわ」
「なんでもなくはないです」
「見間違いよ。わたしは読んでいただけ」
「口に紙がついています」
エレオノール王女の手が震えた。
小さな指がメモ帳を強く握りしめている。目が泳ぎ、唇が引き結ばれ、そしてまるで城壁を築くように表情が硬くなっていく。
「……出て行って」
「メモ帳を返していただけますか」
「出て行きなさい!」
声が裏返った。椅子から立ち上がり、リュドヴィックを睨みつける。だが、その目の端はわずかに潤んでいた。
「誰にも言わないで。お父様にも、侍女にも、誰にも。言ったらあなたを——あなたをクビにするから!」
「殿下」
「聞いてるの!? 黙って出て行って、今見たことは忘れ——」
「泣かないでください」
エレオノールの言葉が途切れた。
「侍女に言われたんです。殿下の前では泣くな、と。でも殿下が泣いてはいけないとは聞いていません。僕が困ります」
支離滅裂な理屈だった。だが、エレオノール王女の勢いは止まった。
彼女はしばらく黙っていた。手の甲で目元をぐいと拭い、小さく鼻を鳴らす。それから、ふてくされたように椅子に座り直した。
「……泣いてないわ」
「はい」
「わたしは泣いてないわよ」
「承知しました」
沈黙が降りる。
リュドヴィックは扉を閉め、ゆっくりと部屋の中に戻った。本の山を避けて歩き、机の向かい側に立つ。
エレオノール王女はメモ帳をまだ握りしめたまま、俯いていた。観念したように、ぽつぽつと言葉が零れ始めた。
「……わたし、普通のものが食べられないの」
声が小さかった。ふてぶてしい王女の声ではなく、秘密を抱えた少女の声だった。
「お肉も、パンも、果物も、お菓子も。口に入れれば飲み込めるけど、何の味もしない。ただの塊を飲み込んでいるだけ」
「……生まれつきですか」
エレオノール王女は首を振った。
「違うの。小さい頃は普通に食べられた。お菓子も大好きだったし、料理長の焼くアップルパイが一番の楽しみだった。バターの香りがして、シナモンがぴりっと効いて、りんごの酸味と砂糖の甘さが口の中でとろけるの。今でも覚えてる。味は覚えてるのに、もう感じられない」
「いつからですか」
「七つのとき。ある朝、目が覚めたら何もかも味がしなくなっていた」
ある朝突然。
リュドヴィックは眉をひそめた。病気や体質の変化であれば徐々に進行するのが普通だ。一晩で味覚がすべて消えるというのは、医学的にも魔術的にも聞いたことがない。
「きっかけは何か」
「分からない。お医者様にも診てもらったけど、どこも悪くないって。原因不明。それからずっと——朝食も昼食も夕食も、ただ体を動かすために飲み込んでいるだけ。みんなが美味しいとか不味いとか言っているのを聞いても、何のことだか全然分からなくなった」
エレオノール王女の指がテーブルの上を無意識になぞっていた。
「お菓子を食べても砂を噛んでるみたい。お肉を食べてもぶよぶよしてるだけ。スープは温かいだけの水。何を食べても同じ。友達が楽しそうにお茶会をしているのを見て、わたしだけ何も感じられなくて——」
言葉が詰まった。一度、深く息を吸う。
「……それで、ずっと食事が嫌いだった。食べることが苦痛だった。でも」
エレオノール王女はメモ帳に視線を落とした。
「八つのとき、偶然、古い魔法書のページが口に入ったの。お父様の書斎で魔法書をめくっていたら紙の端が唇に触れて、少しだけ破れて、そのまま」
彼女は少しだけ口角を上げた。苦笑とも微笑ともつかない表情だった。
「一年ぶりに、味がしたの」
リュドヴィックは黙って聞いていた。
「最初は信じられなかった。でも確かに味がした。舌の上で何かが広がる感覚が確かにあって——嬉しくて、泣きそうになった」
「それで、魔法書を集め始めた」
「ええ。お父様やみんなには、魔法書を読むのが好きなんだと言ってある。嘘ではないわ。好きなのは本当。ただ、好きの意味が……みんなとは違うだけ」
リュドヴィックはようやくすべてが繋がった。
あの会議で侍女が報告した「魔法書に御執心」の意味。毎日三冊買い付ける理由。隠し部屋にこもる理由。術式の話に乗れなかった理由。そして、図書館をプレゼントされて落胆した理由。
図書館に入れたら保存される。保存されたら食べられない。
彼女にとって、あの図書館は宝箱ではなく檻だったのだ。
「殿下。一つ聞いてもいいですか」
「……何」
「僕のメモ帳は、どんな味がしましたか」
エレオノールは面食らったように目を瞬かせた。
怒られると思っていたのだろう。あるいは気味悪がられるか、哀れまれるか。どちらにせよ、この質問は予想していなかったらしい。
「……怒らないの?」
「怒ってないわけではありません。あのメモ帳は大切なものです。ですが、その前に聞きたいことがあります」
「変な人」
「よく言われます。それで、どうでしたか」
エレオノール王女は少し間を置いた。言葉を探しているというよりも、記憶を味わい直しているような沈黙だった。
やがて、小さな声で語り始める。
「……最初にちぎったのは、あなたが火属性の術式を書いたページ。口に入れた瞬間、舌の上で何かがぱちっと弾けたの。炭火で焼いた栗みたいな——殻を割った瞬間にふわっと広がる、あの香ばしくて甘い熱。でも栗よりもっと鮮やかで、喉の奥にじんわり残る。胡椒を少しだけかけたカスタードプディングに近いかもしれない。甘さの中にぴりっとした刺激があるの」
「……カスタードプディングに胡椒」
思いもよらない喩えだった。
リュドヴィックは瞠目していた。魔法の属性特性と、かつて味わえた食べ物の記憶とを、舌の上で重ね合わせている。
「あなたが比較研究のために火と水の術式を並べて書いたページがあったでしょう?」
「ああ、相反属性の構文比較の——」
「あれはすごかった」
エレオノール王女の目が輝いた。秘密を語る怖さを忘れたように、言葉が溢れ出す。
「最初に火が来るの。栗の甘さとぴりっとした胡椒が舌に乗って——と思ったら、すぐに冷たさが追いかけてくる。クリームの冷たさが火を包み込んで、二つが溶け合うところで、どっちとも違う味になるの。焼き栗にかけた冷たい生クリームみたい。熱いのと冷たいのが同時に来て、舌の上でとろけて、最後に蜂蜜みたいな余韻がふわっと残る。今まで食べた何百冊の中で一番美味しかった」
その言葉の重みにリュドヴィックは少しだけ目眩がした。しかし、それ以上に彼の中では別の感情が猛然と頭をもたげていた。
学術的な興味だ。
火属性と水属性は相反属性であり、同じ紙面に並べると魔力場が干渉し合う。その干渉を——味として知覚できるだけでなく、「焼き栗に冷たい生クリーム」という精度で言語化できる。
これはもはや味覚ではなく、魔力の知覚だ。
「ちょっと失礼します」
リュドヴィックは鞄から白紙のメモ用紙を取り出した。竜血インクの小瓶と細い筆も出す。
エレオノール王女が怪訝そうにこちらを見ている。
「何してるの」
「実験です」
彼は紙の上に、小さな術式を一つ書いた。風属性の基礎的な浮遊術。魔法言語の構文は正確に、筆運びは丁寧に。魔法書の写本を作るときと同じ手順で、ただし規模はずっと小さく。
インクが乾くのを待って、紙をエレオノール王女に差し出した。
「これを味見していただけますか」
「…………正気?」
「大真面目です」
エレオノール王女は信じられないというように眉を上げた。だが、差し出された紙を受け取り、端を小さくちぎって口に含んだ。
目を閉じる。咀嚼する。
数秒後、エレオノール王女の表情がふわりと綻んだ。驚きと喜びが混ざった、無防備な顔だった。
「——軽い。メレンゲみたい。舌に乗せた瞬間にしゅわって溶けて、ほんのり甘い風が口の中を吹き抜けていく。でも市場で買った風属性の魔法書とは全然違う。あっちはもっと粉っぽくて、焼きすぎたクッキーみたいだった。あなたのは……出来立てのスフレに近いわ。膨らみたてで、中がまだふるふるしてる感じ」
リュドヴィックは急いでメモ帳の無事なページに書き留めた。
風属性基礎術式、被験者評「メレンゲ、出来立てのスフレ」。市販品との比較「粉っぽい、焼きすぎたクッキー」。書写精度が味覚に影響する可能性あり。
次に光属性の治癒術を書いた。
エレオノール王女が紙を口に含んだ瞬間、表情が一変した。
「あ——」
目を見開き、ゆっくりと咀嚼しながら、彼女の頬がほんのりと赤くなった。
「これ……アップルパイに似てる」
「え?」
「完全に同じじゃないの。でも、似てる。バターの代わりに蜜蝋みたいなまろやかさがあって、シナモンの代わりに日向の匂いみたいな温かさがあって、りんごの酸味の代わりに——泣きたくなるくらい優しい甘さだわ。七つの頃に、最後に食べた——」
声が詰まった。
エレオノールは慌てて口元を手で覆った。泣いてはいなかった。でも、目の奥が揺れていた。
「……ごめんなさい。変なことを言ったわ。忘れて」
「いえ」
エレオノールは不安そうな顔でリュドヴィックを見ていた。
「殿下。一つ提案があります」
「何」
「図書館には、殿下の蔵書をすべて原本のまま収蔵します」
エレオノールの表情が曇った。予想通りの反応だった。
「……そう」
「その上で、僕が殿下のために写本を作ります」
曇りが止まった。
「写本を? でもそれだと、図書館に本物があって、わたしの手元には偽物が来るってこと?」
「写本は偽物ではありません。内容は原本と同一です。ですが、殿下にとって大事なのは原本かどうかではないのでしょう?」
エレオノール王女は口を開きかけて、閉じた。
「さきほどの実験で、殿下は僕が書いた術式を市場の魔法書より美味しいとおっしゃいました。出来立てのスフレだと。つまり、味は原本かどうかではなく、丁寧に書いたかどうかが優先される。であれば、僕が丁寧に書き写した写本のほうが——」
言葉を選ぶ。
「——お口に合うのではないかと」
沈黙。
エレオノール王女の目がゆっくりと大きくなっていった。
「……原本は、図書館に置くのね」
「はい。完全な状態で保存されます」
「わたしの手元には、あなたが書いた写本が来る」
「はい」
「その写本を、わたしがどうするかは——」
「僕の管轄外です」
リュドヴィックは咳払いをした。
「もっとも、管轄外とはいえ、写本の作り手として品質には責任を持ちます。属性ごとに最適な紙とインクの組み合わせを研究し、術式の書写精度を可能な限り高める。殿下の味覚特性を踏まえて、いわば——」
ここまで言って、自分が何を口にしようとしているのかに気づいた。だが、もう遅かった。
「——献立を考えます」
「……それ、あなたがわたしの専属料理人になるって言ってるのと同じよね」
「司書です」
「料理人よね」
「司書と呼んでください。僕の尊厳のために」
エレオノール王女は呆れたように眉を上げた。だが、その口元は隠しきれない笑みの形をしていた。
「じゃあ、注文していい?」
「注文、ですか」
「まず、火属性の術式をたくさん。あの栗みたいなぱちぱちする味が好きだったの。それと、さっきの光属性の治癒術をもう一度。あと、火と水を並べたものも。あの焼きりんごに冷たい生クリームの組み合わせみたいなものをまた食べたいわ」
「殿下、写本はそんなに速く作れるものでは——」
「わたしは味に飢えているの。五年分くらい」
五年。
七つで味を失い、八つで魔法書に味を見出し、それから今日まで。まともな「食事」と呼べるものをどれだけ口にできたのか。リュドヴィックには想像もつかなかった。
市場で買った魔法書は焼きすぎたクッキーの味だった、と彼女は言った。食べられはするが、美味しくはない。それでも他に何も味がしないから、食べ続けるしかなかった。
「……分かりました。まずは火属性の基礎術式集から写します。一日一ページくらいなら、すぐに渡せます」
「ええ、明日のティータイムの時間に間に合わせて」
「魔法書をおやつ代わりにするおつもりですか」
「本当は三食全部がいいけど、それは難しいでしょう」
リュドヴィックはため息をついたが、面白そうな仕事にやりがいを感じていた。魔法書の中から特に「美味しそうな」ページを見つける必要がある。
「……約束して」
エレオノール王女が急に声のトーンを落とした。さっきまでの注文の勢いが嘘のように、彼女は再びテーブルの木目を指先でなぞっていた。
「誰にも言わないって。お父様にも、侍女にも、誰にも。わたしが本を食べてるなんて知られたら、もう魔法書を買ってもらえなくなる。それに——」
少しだけ言い淀んだ。
「——気味悪いって、思われるから」
「言いません。約束します」
リュドヴィックは迷いなく答えた。
「それと、殿下」
「何」
「気味悪いとは思いません。殿下がさっき、僕の風属性の術式を出来立てのスフレだと言ったとき、これ以上ない褒め言葉だと思いました」
少しだけ間を置いて、続けた。
「僕は今まで、自分の写す魔法書が誰かの役に立つとは思っていませんでした。図書館の書架に並べて、いつか誰かが手に取るかもしれない。でもそれは遠い話で、実感はなかった。自己満足でした。殿下は——僕の書いたものを、世界で一番近くで味わって褒めてくれる人です。複雑ですが、嫌ではありません」
「……変な従者」
「褒め言葉ということにしておきます」
エレオノール王女が期待を持った顔で彼を見つめていた。
「ねえ」
「はい」
「今日もう一枚くらい書けない? おやつの時間なのよ」
「魔法書はおやつには入りません」
「写本でしょ。おやつでいいじゃない」
「写本もおやつには入りません」
「けち」
まったく、とリュドヴィックは思った。
だが彼の手は、もう新しい紙を引き寄せていた。




