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お姫様、魔法書はおやつには入りません。  作者: 浮夜海月


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一皿目 献立は魔法書づくしで

 王女が本を食べていた。

 比喩ではない。

 エレオノール王女——この国の第三王女にして、リュドヴィック・アンディセンブルの仕える主——が、彼の大切なメモ帳のページを一枚ちぎり取り、細く折りたたみ、口に入れ、目を閉じて、咀嚼していた。

 ゆっくりと、実に美味しそうに。

「——おいしい」

 独り言まで聞こえた。

 リュドヴィックは扉の隙間から、その光景を凝視していた。

 置き忘れたメモ帳を取りに戻っただけだ。何年分もの魔法の研究が詰まった大切なノートだ。それが今、王女の口の中で咀嚼されている。

 ——話は数十日前に遡る。

 リュドヴィックがこの厄介な王女の従者になるはめになった、あの馬鹿馬鹿しい会議の日から語らなければならない。





 国王が年に一度開くその会議は、どう考えても異様だった。

 長い楕円卓を囲む顔ぶれは、宰相、財務大臣、近衛騎士団長、王宮侍女長――と、国の中枢を担う面々ばかりではない。末席には、最近採用されたばかりのメイド見習いや、王立図書館の下っ端司書まで座らされている。

 去年参加した者が落ち着いた様子で会議が始まるのを待つ一方で、最近入ったばかりの新顔は何が起こるのかと不安そうに震えている。

 何しろ国王が同じ部屋の同じテーブルについているのだ。さらに、身分順に座っているとはいえ、高い身分の顔ぶれの何と豪華なことか。しかも政治、軍事、外交の重鎮が一堂に会しているのだから、誰もが国家の危機を覚悟するしかない。

 そんな中、リュドヴィック・アンディセンブルは周りの視線などお構い無しに読書を楽しんでいた。彼は近頃王立図書館に司書として雇われたばかりの青年だ。他の司書とのジャンケンで負けて仕方なく会議に出席することになったのだが、国の危機には全く興味がなかった。退屈しのぎにと持ってきた魔法書を見ながらニヤニヤしているというわけである。

 魔法書ほど素晴らしいものをリュドヴィックは知らなかった。世界で最も美しい芸術品とは、魔法書のことであると断言できた。

 色とりどりに輝く魔法言語。

 インクに使われる竜の血の匂い。

 古い紙のザラザラとした手触り。

 いつかこの世で最も美しい魔法書を作りたい。

 彼がそんな思いを胸に抱いていると、宰相の咳払いと睨みつけるような視線で我に返る。

 周りのリュドヴィックを見る目は様々だった。叱られるのではないかと心配そうに見る侍女たち、馬鹿がここにいると呆れる騎士たち。ただ一直線に国王のみを見つめる者たち。

 彼は注意される前に素早く魔法書をテーブルと膝の間に押し込む。そして、国王の信奉者のように上座に少し体を傾けた。ついでに、もともと会議に集中していました、という顔まで作ってみせる。たぶん無駄だが、やらないよりはましだ。

 茜色の髪を持つ国王はリュドヴィックが想像していたよりずっと若かった。とても2人の子がいるとは思えない。もっとも、その顔には威厳よりも疲労の方が色濃く出ていた。眉間には深い皺が刻まれ、目の下には隠しきれない隈がある。

 よほど重要な案件なのだろう。

 それにしても、これほど赤に近い髪を見るのは初めてだ。実験用に血を分けてはくれないだろうか。いや待て、相手は国王陛下だぞ。

 リュドヴィックはつい研究者的な思考になったところで、国王は重々しく口を開いた。


「諸君、今年も集まってくれて感謝する」


 室内には緊張が走る。


「とんでもございません、陛下。今年も酷く悩まれたご様子。私どもで少しでもお役に立てれば嬉しい限りです」


 宰相が代表して一礼する。


「そうなのだ。今年ばかりは自分で考えようと思ったのだが、少しも決まらなくてな……」


 やはり国家機密級の案件だ、とリュドヴィックは思った。戦争か、外交か、あるいは王族に関わる重大な問題か。


「エレオノールの誕生日プレゼントが全く決まらないのだ!」


 沈黙が落ちた。


 リュドヴィックの隣でメイド見習いが小さく「はあ……」と情けない声を漏らす。まさかこんなくだらないことで収集をかけられたとは思ってもみなかったのだろう。

 まったくもって同感だった。

 国王は本気で悩んでいるらしい。だが、国政の要人と下働きまで招集して決めるようなことでは断じてない。

 すっと侍女の一人が手を上げる。


「陛下。そうではないかと思い、エレオノール殿下に仕える私が調査をしてまいりました」

「そなたのような心構えを持つ側近が欲しかったものだ。申してみよ」

「殿下は近頃、魔法書にご執心です」

「魔法書? あの読み物とは到底言えない分厚さで、中の言語もさっぱり分からないあの代物をか?」


 散々な言い様にリュドヴィックは国王に膝の上にある魔法書をぶつけてしまいたい衝動に駆られる。しかし、すぐに貴重な魔法書を血で汚すと台無しだと思い直し本を撫でた。

 侍女は自信満々に自分が手に入れた情報を語る。


「その通りです。歴史書や物語などには全く興味がない様子なのですが、魔法書は毎日のように商人から三冊ほど買い付け、食事の時間よりも隠し部屋で読書する時間を優先していらっしゃいます。隠し部屋は魔法書で一杯になっているでしょうね」


 話が合いそうな王女だとリュドヴィックの中でまだ見たこともないエレオノール王女の評価が上がっていく。彼には魔法書好きならどんな人とでも仲良くなれる自信があった。


「なんと。我が娘は勤勉であったか」


 国王は感心したように頷いたが、すぐに渋い顔になった。


「しかし、魔法書をプレゼントにするというのは単純過ぎる。毎日のように手に入れている魔法書をわしが与えたところで、特別感がないではないか。もっと豪華で、派手で、父としての愛が伝わるものがよい」

「10冊ほどまとめて贈るのはいかがでしょう?」

「その程度ではわしがケチだと思われる」

「王立図書館を差し上げるのはどうでしょう?」

「おお、それは素晴らしい!」


 嘘だろう。あの楽園が私物化されるのか。

 リュドヴィックは知っている中で一番攻撃的な呪文を記憶から掘り起こす。既の所で財務大臣が止めに入った。


「お待ちください、陛下。王立図書館は国が管理するもの。第一、エレオノール殿下は魔法書のみに関心をお持ちとか。他の書物はいらぬのではありませんか?」

「そなたの言う通りだ。他に妙案を思いつく者は?」


 リュドヴィックはピンと腕を伸ばして真面目そうな表情を心がける。周りの誰もが案を思いつかなかったようで、国王はリュドヴィックを選ばざるを得なかった。


「そこの若いの」

「王立図書館司書のリュドヴィック・アンディセンブルと申します。司書の立場から一つご提案があるのですが、予算を無視した発言は許されますか?」

「許す。自由に申してみよ」

「魔法書だけを集めた図書館を作るのはいかがでしょう? 魔法書がお好きなら一度は望むものかと存じます」


 完全に欲に塗れた発言だった。宰相が小馬鹿にしたような顔をしてこちらを見ている。


「おやおや。そなたのことは知っているぞ。最年少で司書試験に合格したとか。ああ、それと、魔術関連の書物に詳しいそうだな。その図書館を望んでいるのはそなたではあるまい?」


 図星を突かれてリュドヴィックは黙りこんだ。意外なことに国王が彼を庇う発言をする。


「そう問い詰めることもない。妙案なのは確かであろう」

「それでしたら、ちょうど王立図書館の隣が空いております。図書館を増築すれば管理も簡単にできますが、いかがです?」

「ふむ。それならば、予算もあまりかからぬな」


 リュドヴィックは魔法書のみが集められた夢のような図書館に想いを馳せていたが、ふと我に返って首を傾げた。

 エレオノール王女は本当に魔法書が好きなのだろうか。

 彼は記憶力が良い方で、王立図書館に来た人のことは皆覚えている。しかし、リュドヴィックが図書館で働き始めてから1ヶ月以上は経っているというのに、彼女を館内で見たことがなかった。

 さすがに考えすぎか、と思い直す。

 王女という身分だ。侍女やメイド見習いに図書館で本を借りさせている可能性も否定はできない。リュドヴィック自身は自分の読む本は自分で選ぶのが当たり前だが、彼女は違うのだろう。


「…………アンディセンブル。それで良いな?」

「え?あ、はい。大丈夫です」


 まずい。何も聞いていなかった。

 宰相がこちらを鋭く睨みつけている。


「よろしい。それでは、会議を解散する」


 ざわ、と空気がゆるみ、人々が立ち上がり始める。

 呆然としているリュドヴィックのもとへ、顔見知りの文官が駆け寄ってきた。


「おめでとうございます、リュドヴィック!」

「今日は僕の誕生日じゃないけど」

「違いますよ。王立図書館レオノール館の館長就任と、エレオノール王女付き従者へのご選出です!」


 リュドヴィックは目を瞬かせた。


「……今なんて?」

「ですから、エレオノール殿下の従者です。大出世じゃないですか!」

「待て。僕は司書だ。どうして従者になる」

「だって、図書館を管理するなら殿下のおそばにお仕えするのが自然でしょう?」


 どこが自然なのか、まったくわからない。

 侍従はなぜか少しだけ気の毒そうな顔になった。


「まあ……頑張ってください。エレオノール殿下はお気難しい方ですから」

「気難しい?」

「はい。従者をすぐにお辞めさせることで有名でして」

「どのくらいで?」

「最短一分です」


 一分。

 それはもう解雇というより事故ではないだろうか。

 リュドヴィックはしばらく黙り込んだあと、そっと膝の上の魔法書を撫でた。

 一分でもいい。

 もしその一分で、王女の隠し部屋に積まれた魔法書をこの目で見られるのなら。

 そんなふうに考えてしまった時点で、自分がろくでもない人間だということは、彼にもよくわかっていた。


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