第三十六話★ 二日目/錯覚? 青い瞳から金色の瞳。母娘が見た月光
「お母さん……」
ピアノの直ぐ間近で簡素な椅子にテーブル越し。
カミラはベルチェに抱かれ、不安気な表情で消え入りそうな声で母親を呼ぶ
すぐ間近に大きな川でもあるかのようにゴーゴーと流れる濁流。
おとぎ話に出てくるような狼に一息で吹き飛ばされてしまいそうなあばら家。
ピアノの音色で吹き飛ばされることはないと思うけどそこは安心だ。
だけど、唸りをあげる濁流を掻き消すような力強い演奏が求められる。
本音を言えば、彼女、盲目のカミラに月を見せてあげたい。
天板をあげて音が直接二人に届くように力加減に気を配る。
心に響く左手の伴奏に右手の旋律が次々に絡み、複雑な音色が響く。
弾きはじめた直後は天板の内側からベルチェの胡乱気な視線に無言の厚力を感じた。
ベートーベンの楽曲は感情に刺さる事に関しては突出している。
鍵盤の上では僅かにしか動かない左手の薬指が光りを反射させて瞬く。
「母さん……」
視線の定まらない瞳が母親を見詰めて不安気に話しかけてる一方、眉間をピクピクさせる母親。
ピアノの音色に何かを感じているのだろう。
ゆっくりとしたリズムで奏でられる音色は二人に何を想起させているのだろうか?
第一楽章は聴く人にもよるけど、切なさや悲しさ、孤独感に重なる。
眉間にシワを寄せていたカミラがいつの間にか瞼を閉じて聞き入っている。
今! “母さん” と呼んだ娘をギュット抱きしめ、それに応えるように優しく頭を撫でている。
ここだけの話しだけど、月光に関しては元の世界で死ぬほど練習したのは懐かしい記憶。
納得できる演奏ができるようになるまでに随分と時間がかかった。
第一楽章のラスト……。
汚れた譜面台に古ぼけたノートとはいえ、開いて置くのには少し抵抗はあった。
だけど、こればかりは仕方ない。盲目のカミラにお月さまをみせたいという一心。
第一楽章の最後のフレーズを弾き終えると、足元のペダルを踏んで全ての音を止める。
そしてピアノの作法にのっとり、鍵盤蓋を閉めて礼。
…………。
第一楽章が終わり天板の映り混む母娘をみるのではなく、直接ベルチェとカミラを見る。
ベルチェが娘を抱きしめ、カミラもまた母親に抱きつくようにうっすらと涙を流している。
この月光を作曲した彼もまた耳を悪くしながらも孤独感と不安を抱えていた。
それらの感情を抱えながら作曲したのだから何か刺さるものがあったのかも知れない。
グスッ……。 「目がみえなくて迷惑かけてごめんなさい」
カミラが涙をながしながらグズり出す。
そして、「生きててごめんなさい」 と……。
「良いのよカミラ……。 生きてていいのよ」
第一楽章の感想とお月さまが見えたかどうかの確認をしたかったけど……。
「うううううううう……。」
「良いのよ、カミラ」……。
ベルチェはカミラの頭を何度も撫で下ろす。
あれ? ベルチェはカミラに生きてて良いのよ。 なんて言った?
ちょっと待って!
そんなやりとりを聴いてしまったらこの続きが弾けないんだけどどうしよう?
嗚咽を盛らしながら抱き合っている二人。
譜面台に置かれたノートを捲り第二楽章を確認していた時だ!
感じられなかったカミラの視線。 ついさきほどまで、焦点が全く会わなかった瞳からの視線を、感じる。
金色の瞳?
拘束されていた腕をほどいて貰う直前、カミラ自身が自分の目隠しを外した時は青い瞳だった気がする。
記憶の間違い? 目の錯覚?
カミラの瞳に目を奪われていた時だ! ボクの両腕が誰かに持ち上げられる感触。




