第二十七話 「強敵」
「あばよ」
ビスマルクが眼前の老人にとどめを刺そうと拳を振り上げたところ、死角から飛んできた人間の体ほどある戦斧が彼の思考を攪乱し、その動きを妨害した。
「自分に任せろと言っておいて負けそうになっているではないか。……だが、彼らをおびき出したことは評価しよう。よくやったぞ」
その場にいた全員が、戦斧の飛んできた方向に視線を向ける。そこには、体のシルエットを隠すような黒のケープフードを纏った人物と、頭から足元まで漆黒の鎧に身を包んだ人物が佇んでいた。声の主はケープフードの人物であり、その容姿や詳細な体格は分からないが、声質から判断するに10代後半の男性だろう。
「何者だ!?」
「……何者だ……か。もうここでお前たちの命は途絶えるのだ、教える必要はなかろう。ネルソン後は頼んだぞ」
ビスマルクの問いかけに答えることなく、フードの少年は隣にいた右腕に指示を下す。「御意」とだけ呟いた右腕は、背中に抱えた自分の身長ほどはありそうな大剣に手をかけ戦闘態勢を取る。
「MBTIを舐めていたわい。後は頼みましたぞい」
その姿に意識を取られたビスマルクの隙をつき、フランクリンは後方へと下がっていく。
「ビスマルク! その老人は後でどうとでもなる、今は増援に注力するぞ。……見るからに強敵だ、加護の出し惜しみはしない。僕も参戦する!」
フランクリンと入れ替わるように後方待機していたグラーフが戦線に加わる。ビスマルクと意思を統一し、戦うべき対象を明らかにしながら。
「……時間はかけない。……すぐに終わらせる」
各々距離を詰め、誰に指図されるわけでもなくビスマルク&グラーフVS鎧に覆われた人物━━ネルソンの構図が浮かび上がる。……そして、先に仕掛けたのはビスマルクの方だった。
「来ねえんならこっちから仕掛けるぜ! そんなに重そうな鎧を着て、オレの速度に着いてこられるかな?」
改めて分身を繰り出したビスマルクは、瞬時に間合いを詰め連撃を繰り出す。相手の装備を見て適切な戦闘スタイルを判断したのか、威力よりも速度を意識したコンビネーションを選んだようだ。……もっとも、攻撃にはグラーフの加護も乗っているため、意識していない威力の方も怪物じみたものだったが。
「……この程度か。……舐められたものだな」
グラーフやフランクリンといった観測者には軌跡すら見えない速度での連撃だったが、一撃たりともネルソンに命中することはなかった。ネルソンは、軽々と担いだ大剣を的確に動かし、ビスマルクの攻撃を完璧に受け流す。その動きに必死さは微塵も感じられず、赤子の手を捻るようにという言葉がピッタリなものだった。……だが、ビスマルクの思惑は別にあったようだ。
「へっ、舐めてるのはそっちじゃないのか。大事なご主人様がガラ空きだぜ!」
どうやら、ネルソンが本体と分身だと思って戦っていた相手は両方とも分身だったようだ。
日々の修行により、分身を1体でなく2体まで作り出すことができるようになっていたビスマルクは、2体の分身でネルソンの視界を遮り、本体による隠密行動を画策していた。死角をたどりながら歩みを進めていた隠し玉は、誰にも気づかれることなくターゲット近くまでたどり着いており、流石のネルソンと言えども対応不可能な状況だ。そして、隠し玉の渾身の蹴りが不意打ちのようにターゲットに牙を向ける。だが、
「!? ネルソン頼む! 分身は1体までと聞いていたが成長していたとは……」
その攻撃は、瞬時にして現れたネルソンによって受け流される。……フードの少年と入れ替わるようにして現れたネルソンによって……。
「何が起きてやがる!?」
「ネルソン、悠長にしていると危険だ。すぐに始末しろ! ……イラストリアス、君のおかげで助かった。感謝する」
フードの少年がいた場所にネルソンが、ネルソンがいた場所にフードの少年が立っている。そんな摩訶不思議な状況を前にし、一瞬動揺したビスマルクにわずかな隙が生まれてしまった。そして、その隙を見逃さなかったフードの少年は右腕にとどめを刺すよう指示する。……自身の胸に手を当て、何かを思い返すような表情と共に。
「御意」
大気にかき消されるようなか細い返事と共に、ネルソンは大剣による垂直斬りを繰り出す。……そして、その軌跡はビスマルクの体を切り裂いた。
「ガ、ガハッ」
その攻撃は体の奥深くまで届くほど鋭く、百戦錬磨の雄は辞世の句を残す間もなく絶命した。そこには、フランクリンの屍兵たちを蹂躙していた勇ましい姿ではなく、徹底的にいたぶられた敗者の姿があった。
「……ビ、ビスマルク……。君ほどの男が……」
敗北する姿どころか苦戦する姿も見たことのない男が目の前で倒されたのだ。グラーフが茫然自失となりその場にへたり込むのも無理はない。
「……鬱陶しい奴は始末した。……だが、ヒュウガ様の目的はお前だ。……戦闘能力はないのだろう、抵抗しなければ楽に逝かせてやる」
ネルソンの足音が静かな洞窟にカツカツと響き渡る。焦点の定まらないグラーフとの距離が一歩、また一歩と近づき、……大剣が振り下ろされた。
「……ヒュウガ様、ご命令を遂行しました」
「ご苦労だった。フランクリンは……、もう既に自分の世界に入っているか」
戦闘の末、その場に残ったのはフードの少年━━ヤマモトヒュウガとその右腕ネルソン、そして、「危ない危ない、あと少しで肉体が消滅するところだったわい。MBTIの死は面倒じゃのい」などと呟きながらビスマルクの死体を嬉しそうに弄っているフランクリンだけだった。
「これが、擁護者の精神核。これで、我が野望にまた一歩近づいたな」
ヒュウガはネルソンを引き連れ、グラーフの絶命した場所へと近づく。そして、彼がそこに転がる擁護者の精神核を拾うと、……瞬く間に自身の体内へと吸収した。
「……これが【指揮官】の加護、【精神核の譲受】。……さすがです」
「ああ。管理者に次ぐ二つ目の精神核、擁護者。……この加護があればお前をもっと強化できる。この世界で最も信頼するお前をな」
「……有難き御言葉です。……ですが、本日は危険な目に合わせてしまい申し訳ございませんでした」
「構わない、イラストリアスから受け継いだ加護のおかげで何とか助かったのだから。……実戦で使ったのは初めてだが管理者の加護がこのようなものとはな」
目的の物を手に入れ一段落した二人は改めて戦闘を振り返る。……イラストリアスが持っていた【管理者】の加護、【場所交換】についても。
「いくつか条件があるようだが、俺はこの加護を味方にしか使わないから、視界にとらえるという条件さえクリアできれば問題ないだろう」
視界に映っている自分に対して警戒心を抱いていない相手との場所交換、それが管理者の加護だ。だが、ヒュウガの使用用途━━窮地の際のネルソンとの場所交換に限れば、さほど支障はない条件だろう。
「だが、これで俺が使える加護は2つ、管理者と擁護者となった。お前がいる限り、俺に戦闘用の加護は必要ない。今のところ、このふたつさえあれば十分だろう。……それでは次の目的地に向かうぞ」
目的を達成した二人は、悦に浸るフランクリンをそのままに、洞窟を後にする。次の目的地は決まっているのか、足取りははっきりとしたものだ。
「そろそろランドルフが任務を達成しているころだろう。組織拡大のためには、安定的な資源供給が必須だったから、今から報告を聞くのが楽しみだ」
目的地はここから西南西に位置する村、チハ村のようだ。




