分不相応の願い
「可愛い、御主人にそっくりね」
スカーレットはベビーベッドの中で不思議そうに自分達夫婦を見る赤ん坊に目尻を下げる。
赤ん坊の方は見慣れない顔に少し緊張しているようだが、泣き出すような素振りは見られない。今はご機嫌なんだろう。
「しかし、目の色はアリシアを継いでいるな」
スカーレットの言葉に大方同意したエリックが、妹にそっくりの目の色を指摘して笑みを浮かべる。
基本的にスカーレットの前では鉄面皮のエリックも、初めての姪は可愛いのか先程から全く顔がしまっておらず、普段のイメージと大違いだ。
「でしょう?みんなそう言うのよ」
自分の前で見せたことのない顔に、隣にいるのは誰だと落ち着かない気持ちになっていると、緩いドレスを着たアリシアが幸せそうに笑う。
アリシアはエリックの3つ下の妹だ。去年嫁いだのだが夫婦仲が良いのか早々に妊娠し、出産したのが先月の事である。
義理の両親は初孫にもうメロメロらしく、プレゼント攻撃が止まらなくて困っていると以前にアリシアからの手紙に書いてあった。
彼等夫婦もすぐにお祝いしに駆けつけたかったのだが、出産直後は色々ごたごたしているだろうからと、日を置いての訪問となったのである。
「すみません、お義姉様。順番が逆になってしまって」
「良いのよ。こういうお祝い事は順番も何もないんだから」
申し訳なさそうにするアリシアに、首を横に振って気にしなくて良いと暗に示す。そもそも自分達は初夜も済ませていないんだから、子どもが出来なくて当然なのだ。
初夜の事は今でもスカーレットの記憶に鮮明に残っている。
結婚式を終えた夜、エリックは彼女の寝室には一応来ていた。だが彼の手が彼女のと重なる直前に、いきなり「無理だ」と言い出して部屋から出て行ってしまったのである。
置いてけぼりにされた彼女は茫然としながらも、それでも落ち着いたら戻って来てくれるかもしれないと、一晩中寝ずに持っていた。
しかし彼は戻って来る事なく無情にも朝を迎え、それ以来エリックは彼女の寝室にさえ訪れていない。
だから両方の両親に孫の顔を見せてあげるのは無理な話なのだ。
しかし新しい命の誕生自体は本当に喜ばしい事だし、何より赤ん坊はとっても可愛いのだ。見るだけでこちらも幸せな気持ちになってくる。
アリシアは美人だし、彼女の夫の伯爵も顔立ちが整っている。きっと産まれてきた子は美しく成長するだろう。
「こんなに可愛いと、ご主人も猫可愛がりしちゃうでしょう?」
「ええもう。まだ産まれたばかりなのに、もう『嫁には絶対やらん』って豪語していて。気が早過ぎるったら」
予想通り、父親は早速親バカを発動させているらしい。アリシアも表面上は仕方がないなと呆れたように笑っているが、内心は嬉しさで一杯なんだろう。
「私は伯爵に挨拶してくる。君はゆっくりしていなさい」
「はい」
スカーレットと面と向かって会話する時でさえ、いつもの仏頂面が発動しないとは。今日の彼は余程ご機嫌なようだ。
メイドに案内されたエリックが部屋を出ると、彼が見ていない隙に赤ん坊と沢山触れ合おうと、スカーレットはぬいぐるみを使ってあやし始めた。
「こんにちは。ボクはウサちゃんです」
この日の為に購入したぬいぐるみは彼女のお気に召したらしい。キャッキャと笑う声に手応えを覚えたスカーレットは更に寸劇を続ける。
暫くはご機嫌に手足を振っていた赤ん坊だが、不意に動きを止めるとワァッと火が付いたように泣き出す。
「あ、あら?怒らせちゃったかしら?」
「大丈夫です。よいしょ……っと」
アリシアは傍に控えていた乳母が抱き上げようとするのを制し、ベビーベッドから赤ん坊を抱き上げた。慣れた手つきで背中をトントンと叩きながら彼女の状態を確かめる。
「ミルクはさっきあげたばかりだし……。やっぱり」
アリシアは少し何かを考えた後、赤ん坊のお尻に触れる。泣き出した原因が分かったのか、「おしめみたい」と乳母に手渡した。
乳母は恭しく赤ん坊を受け取り、テキパキとおしめを替え始める。
「凄い。何で泣いてるのかも分かるのね」
「最初は分からなかったんですけどね。でも泣き声を聞いているうちに、何となく」
アリシアは気恥ずかしそうに笑うが、子どものいないスカーレットにとっては立派に母親をしているように見えた。
(さっきのアリシアさん、綺麗だったなぁ……)
スカーレットは先程の、子どもを抱いてあやしていたアリシアの姿に想いを馳せる。母親の顔をした彼女はとても綺麗だった。
自分にも彼との子どもが出来たらあんな風に綺麗になれるんだろうかと、ありもしない事まで考えてしまう。
彼女は彼女の悩みがあるだろうに、幸せそうで満たされているように見えたからだろうか。意図せず「羨ましい」という言葉が過ぎってしまった。
「良いなぁ……」
「あ……」
失敗した。心の中で思うだけの筈だったのに、うっかり口を滑らせてしまった。気不味い顔をしたアリシアと目が合う。慌てて口を塞ぐも、もう遅い。
「ごっ!ごめんなさい!」
「大丈夫ですよ。お姉様もそのうち子どもができますって」
平謝りするスカーレットを、彼女は許すだけでなく気を遣って励ます。
(馬鹿っ!産後間もない身体に負担かけてどうするのよ!私)
スカーレットは、心の中で目いっぱい自分を叩く。いくら願ったところで、彼との子は望めないと分かっているのに。
それにたとえ何かの間違いでできたとして、その後は子どもが不幸になるだけである。いずれは離婚するのに、子どもを父無し子にしてどうするのだ。
アリシアも他の義理の家族も何も言わないが、本当は自分よりもフローラとの子を求めているに決まってる。だって、ポッと出の女よりも家族ぐるみで付き合いのある女性との子の方が嬉しいんだから。
それなのにこうして自分に歩み寄ろうとしてくれている。良い人達だ。本当に。
「そうよね、気長に待てばそのうち出来るものね……」
これ以上良い人達に気を遣わせる訳にはいかない。スカーレットは曖昧に微笑み、気不味い空気を流そうとした。




