思いがけない誘い①
「あら!ポリッチ侯爵。貴方も呼ばれていたんですね!」
あるパーティーに出席したスカーレットは見知った顔に声をかける。彼はアレクサンダーの古参ファンでもあり、子どもの頃から父親に連れられて競馬場に行っていたという、ある意味で英才教育を受けた競馬ファンでもある。
ファンクラブで聴いた彼の話はとても面白く、新参者であるスカーレットも快く迎え入れてくれていた。
「奇遇ですなぁ、ロイマー伯爵夫人」
呼ばれたポリッチ侯爵はスカーレットを視界に入れると、表情を和らげる。彼の尊顔がたまたま目に入った若い令嬢が、頬を赤らめた。
エリックはロイマー領を賜っているので、外では「ロイマー伯爵」と呼ばれている。なので彼の妻であるスカーレットも「ロイマー伯爵夫人」や「ロイマー夫人」と呼ばれている。
まぁ、その呼称もあと1年足らずで終わるのだが。
「そうだ、夫人はお聞きになりましたか?私これから仲間達と引退馬に関する事業を始める予定なんですよ」
「引退馬の事業……ですか?」
スカーレットは引退馬と事業が結びつかず。首を傾げる。馬主になってレースで自分の馬を活躍させようとする貴族や裕福層は多いが、レースから引退した馬を使ってどうするのだろうか。
「夫人はご存じですかな?引退した馬の売却先に悩んでいる馬主がいるのを?」
「あっ……。そうなんですね……」
スカーレットはファンクラブの会員から聞いたり、あれから自分で勉強してみて競馬の厳しい一面を少しは知っている。
馬の所有や育成は兎に角金がかかる。馬自体が希少で値段が高額なのと、厩舎などの設備や世話などの人員がそれ相応に必要である事。他にも飼い葉や、水、蹄鉄などの消耗品にも金がかかり、維持も大変なのだ。
また馬は購入した日から使役出来るものではない。人に慣れて人の言う事を聞けるように訓練をしなければならないし、その訓練も一朝一夕とはいかない。
だから馬を所有できるのは貴族や一部の富裕層に限られる。乗馬や馬車用に所有するのであれば必要な数を揃えれば良いのだが、競技用となると事情はまた異なってくる。
競馬に使われる馬は血統が重要視される。速い馬同士を掛け合わせて、より速い馬を作るのだから当たり前なのだが、両親が速く走れるからといって子どもも速く走れるとは限らない。
その逆も然りで、あまりパッとしない血統なのにとても速く走れる馬が生まれてくる事もある。
要は生まれた子の能力については、蓋を開けてみないと分からないのが競走馬の難しいところである。
究極的には数撃ちゃ当たる方式で沢山馬を所有すれば良いのだが、考えてみてほしい。馬は所有や維持に金がかかる。
なので馬主としては赤字な人も多く、成功している馬主は一握りなのだ。
レースで活躍した馬は引退後も種馬として活躍出来るし、牝馬は繁殖用として手元に置いておけるが、問題なのは成績が振るわないまま引退してしまった馬だ。
経済的に余裕のない馬主は引退した馬を売ろうとするが、売却先を見つけるのは馬主自身なのである。その結果、中々売却先が見つからずに厳しい決断を下す人も少なくない。
「ですから、馬主と引き取り先を仲介する事業を立ち上げようと決めたんです。地域によって起こり得る需要と供給の格差も埋められる筈ですから」
「まあ!それは素晴らしい考えですね!」
スカーレットは彼が行おうとしている事に深く感服した。アレクサンダーのような人気者だけでなく、引退馬の将来まで考えているとは。心の底から馬や競馬を愛しているのだと。
「是非私にも協力させてください!微力ながらお手伝いいたします!」
この事業についてスカーレットが出来る事は少ない。馬の需要が多くありそうな学校や、軍、騎士への伝手を持っていないのだ。
それでも金銭面での援助なら彼女にも出来る。ポリッチ侯爵から寄付をお願いされれば直ぐにでも応じるつもりだった。
しかし彼は少し言い難そうな顔をし、「この話は断っても良いんだが……」と前置きした上でこのような事を話し始める。
「実はロイマー夫人には別の事業について関わっていただきたいんだ。勿論馬とは関係がある」
「はい?」
まさか事業に関われるとは思わず、スカーレットは目を白黒させる。侯爵はこれだけでは話が見えないだろうと更に詳細な内容を続ける。
「新たな郵便形態の為に騎馬での郵便を復活させたいと思っているんだ」
「騎馬での郵便……ですか?」
スカーレットが困惑するように眉根を寄せる。
「しかし馬に乗っていた時代での郵便は効率が悪かったと聞きました」
彼女の指摘は尤もで、騎馬の状態では運べる郵便物の量にも制限がかかり、尚且つスピードもあまり速くはない。
それに最も懸念だったのが盗賊の襲撃である。自衛手段を持たない配達人が盗賊によって命を落とし、荷物が全て奪われる事例も多かった。
だが時代と共に道路状況が改善し、馬車も利便性が向上した事で、次第に馬車で運ぶ方が効率が良いと移行していった。
馬車ならばより多くの手紙や尚且つ護衛を乗せられ、安全性と効率性が増す。それに灯りが使えるので夜でも走っていられるのだ。
だからポリッチ侯爵が行おうとしている事は時代に逆行しているとも言える。疑念が顔に出てしまっていたのか、侯爵は声を上げて笑う。
「全ての手紙を騎馬で運ぼうとは考えておりませんよ。馬車で運ぶ通常の手紙とは別に、より早く郵便物を届けたい人の為でもあり、レースから引退した馬の次の活躍先の開拓の為でもある事業です」
「まぁ、それは失礼いたしました。詳しくお聞かせ願えますか?」
侯爵はスカーレットの不作法にも特に気にした素振りもなく、子どものように無邪気に説明してくれた。




