帰宅と終幕
エリックとポリッチ侯爵によって完膚なきまでに拒絶されたトリュー夫人は、抵抗する気力を失ったのか、最後は呆然とした顔で憲兵に引きずられていった。
スカーレットは事情聴取を受けた結果、帰宅は深夜にまで及んだが、みんな寝ずに帰りを待ってくれていた。
スカーレットが帰ってきた時は屋敷のあちこちで歓喜の声がとどろき、メイドは勿論、筋肉自慢のコックや経験豊富な執事も盛大に男泣きする事態となった。
怪我の治療を受けていたジュリアと再会した時などは、お互い抱き締め合って淑女の振る舞いも忘れて、堰を切ったように泣いたものだった。
ジュリアは馬車から飛び降りた際に複数の打撲と擦り傷を負っていたが、手当てをすれば痕も残らないそうだ。
深夜にも関わらずロイマー邸はお祭りのような騒ぎになったが、本格的に騒ぐのは朝になってからにしようと、エリックのかけ声で解散となった。
今日は本当に怒涛の1日だった。恐怖を押し殺して頑張ったスカーレットを安心させる為か、エリックは彼女がベッドに入った後でも眠りにつくまで手を握ってくれていた。
翌日は朝から、屋敷にいる者全員で飲めや歌えやの大騒ぎとなった。使用人達は同性異性問わず、ある者は手を取り合い、ある者は肩を抱き合って陽気に踊る。スカーレットもジュリアやメイド達と滅茶苦茶なダンスを楽しんでいた。
気がつけばスカーレットはエリックとも踊っていた。ステップも振り付けもない、ただクルクルと回るだけの拙いものだったが、エリックの前で心の底から笑えたのは初めてだった。
なおフローラとソルロ伯だが、ニュースを確認してみると、エリックの言った通りに2人の再婚が発表されていた。
そもそも離婚の原因もソルロ伯の親戚が金銭トラブルを起こし、フローラに被害が及ばぬようにとの配慮からだった。
2人が離婚しても心で繋がっていると知られたら、親戚がフローラの所に突撃してくるかもしれない。それを避ける為にも2人は接触を控えていたらしい。
2人にとっても社交界で流れている噂はきっと心外だったのだろう。「せめて君には事情を説明していれば」と話したエリックに、「本当よね」と少しトゲを返したのはご愛嬌である。
後日、スカーレットが狙われた事件の裁判が行われた。
主犯のトリュー夫人の動機は、予想通りスカーレットに対する私怨だった。エリックへの恋が叶わぬならと侯爵に想いを寄せるようになったが、ある時期からスカーレットが急接近してきて、嫉妬の末に犯行に及んだと供述している。
そして共犯のダトレム伯爵だが、夫人に「スカーレットが密かに思いを寄せている」と唆され、あの建物に来たそうだ。
騙されていたのは本当だとしても、嫌がる女性に対し力ずくで事に及ぼうとしたのは紳士の風上にも置けない。
意気消沈したのか、公判の場にてすっかり大人しい様子のトリュー夫人に対し、伯爵はあろう事かスカーレットの方から誘って来ただのと、とんでもない悪あがきで無罪を主張した。
だが、現場に明らかな抵抗の跡があった事。伯爵の身体に物がぶつかった時に出来た痣と、事情聴取でのスカーレットの証言が一致している事。
更にはホテルスタッフが暴れる音や叫び声を聞いていた事。以前から嫌がるスカーレットに、しつこく付き纏っていたという第三者からの証言。
これらの証言や状況証拠が合わさり、伯爵の言い分は全面的に却下された。
補足すると、被害者のスカーレットがどのように抵抗をしたのか本人に確認した際に、急所を強かに蹴り上げた部分で、傍聴席に座っていた男性達は一様に顔色を悪くしていた。
判決は勿論2人とも有罪。両名はキーン家への公的謝罪命令の他、以下の刑罰が下された。
トリュー夫人は「誘拐・監禁」「虚偽流布」「名誉棄損」により、社交界から永久追放。私的財産を没収し、二度と財産を持てない措置を取らされた上で、年の半分は雪で覆われる神殿にて巫女となる事が決定した。
貴族や裕福な家の娘などは、神殿に一定の金額を納めて肉体労働を免除してもらうのが一般的な対応である。しかし彼女の場合はそれが叶わない。
なので平民の巫女達と共に、水汲みや畑仕事などの重労働を毎日無給でこなさなければならない。
貴族にとって社交界から追放される事は社会的な死を意味する。夫に見限られて離婚され、実家からの援助も望めない彼女は、完全に名ばかりの貴族となってしまった。
また彼女の夫のトリュー伯爵は、監督責任を問われて財産の一部没収と爵位を伯爵から子爵に降格される処分となった。しかし彼の場合は周囲に同情されており、社会的な傷は浅くて済みそうなのが救いである。
共犯者のダトレム伯爵は、「猥褻未遂」「傷害」「虚偽扇動の教唆」で爵位は一時停止。数年間の王都追放。財産の一部を没収し、キーン家に賠償金として支払う措置が下された。
こうなると罪もない彼の子どもが気がかりだが、爵位に関しては子どもが成人すれば相続を前提とした復権が成されるとの事だ。
今回の件で伯爵の妻はついに堪忍袋の緒が切れ、伯爵側の有責離婚に踏み切った。子どもと一緒に実家に帰り、もらった慰謝料でストレスのない独身生活を送るそうだ。
今後一時的に領主不在となるダトレム領には、国から派遣された代理領主が管理を行う事が決定した。
爵位を名乗れなくなった彼は、例え王都への帰還を許されても税収を受け取れず、財産も国の管理下に置かれる為に自由に動かせない。
これからは貴族としての体面を保つ事さえ叶わない、惨めな暮らしを強いられるだろう。
そしてこれは判決とは関係ない補足だが、スカーレットはホテルに対し、壊した備品の支払いを命じられた。勿論一括で弁償したが。
こうして誘拐事件から公判の終結まで、慌ただしい日々を送ったスカーレット達は、やっと落ち着けたのである。
なお共犯を疑われたレック夫人だが、彼女はスカーレットがあの茶会の席で演劇のチケットをもらった事をトリュー夫人に話しただけで、事件には関与していなかった。
しかし腰巾着が板につきすぎて他に知人や友人がいないのか、社交に馴染めず今も周りから遠巻きにされている。
諸々の世間の変化はありつつも、彼女らが穏やかな日々を取り戻してから半年が経過した。




