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1つ1つ着実に

 2頭のゴールはほぼ同時、観客席からでは判別できない程の綺麗な並びだった。着順はその場では付かず、審査員による判定へと移る。


「どっちが勝ったんだ?」

「凄いレースだったなぁ」


 判定が出るまでの間、観客達は口々にひときわ凄いレースだったと興奮気味に感想を述べる。

 大人でも興奮するような白熱のレースだったから、子どものウィリアムにとっては尚更だ。柔らかな頬を赤く染めて、しきりに両隣に座る大人を交互に見上げている。


「父上!ロイマー夫人!凄かったですね!」

「ああ。きっと後に伝説と呼ばれるかもしれないぞ」

 

 長年見てきた侯爵が言うのならそう言う事なんだろう。長い判定が終わり、順位が確定する。1位はアレクサンダーだった。しかもレコードである。

 その日の歓声は、この瞬間が最高潮だったのは言うまでもなかった。



 あれからあっという間に楽しい時間は過ぎていき、スカーレットは侯爵家の馬車の前で親子を見送っていた。まだ幼いウィリアムにあまり夜更かしをさせる訳にはいかないので、彼等はこの時間で帰宅となる。

 対するスカーレットは久々にファンクラブに顔を出したかったので、名残惜しいがここでお別れだ。


「侯爵、今日はありがとうございます。ウィリアム君も、一緒に観戦出来て楽しかったわ」

「私からも礼を言う。息子に色々教えてくれてありがとう」


 侯爵が先に馬車に乗り、ウィリアムも続くかと思いきや、その場に留まってスカーレットを手招きする。

 屈んで顔を寄せると、彼は内緒話をするようにこう言ったのだ。


「僕、父上からロイマー夫人の事を聞いた時に、大丈夫かなって思ってたんです。怖い人だったらどうしようって」


 やはりウィリアムはあらかじめスカーレットの事を知らされていたのだ。

 侯爵からの話は保留にして良かったと胸を撫で下ろす。再婚の可能性を聞いて不安にならない訳がないのだから。

 

「でも会ってみたら優しい人で、安心しました。今日は凄く楽しかったです。あ、でももし新しい母上にならなくても、時々一緒にお話し出来れば僕はそれだけで嬉しいですから」


 ウィリアムは一息に話すと、照れ臭そうにお辞儀をして父親の待つ馬車に乗り込む。

 これは彼に認められたんだろうか。何故だろう、母親になると決まった訳ではないが、妙に(くすぐ)ったかった。





 スカーレットはあの日のウィリアムの可愛らしい顔を思い出しながら、手を擦る気持ち悪い感触とねめつくような視線から必死に戦っていた。

 あれから数日後、また例の変態に見つかってしまったのだ。


「いやぁ、お美しいロイマー夫人とこうしてお話していると、何だか自分が10年若返ったような気がしますよ」

「勿体ないお言葉ですわ。申し訳ございませんが、そろそろ夫の所に戻らなければなりませんので」

「まぁ、まだ良いじゃありませんか。ロイマー伯もこれくらいで目くじらは立てないでしょうし」


 せっかくウィリアムに癒されてきたと言うのに、台無しだ。

 最近はいなかったから、すっかり油断していた。まさかこのパーティーには出席していただなんて。


 近頃はコバンザメのように彼女にひっついているエリックも、この時ばかりは近くにいなかった。長い付き合いのある伯爵と込み入った話をする必要があったので、その隙に自由にさせてもらおうと思い離れていたのだ。


 こんな事になるくらいなら傍で待っていれば良かった。夫を理由に切り抜けようとしても、全く効力が無い。


(困ったわ。お父様のお友達もこの場にはいらっしゃらないみたいだし)


 どうやって躱せばよいのか考えあぐねていると、不意に伯爵の手が彼女から離れた。


「申し訳ない。妻が世話になりました」

「は?ロイマー伯爵?何故ここに?」

「私が妻を迎えに来ておかしい部分でもありますか?」


 普通であれば夫が妻の迎えに来ても何もおかしいところはない。しかし妻を冷遇していると有名なエリックが、まさかの迎えに来たから仰天しているのだ。

 彼はそんな事は知らないとばかりに不遜な笑みを浮かべる。


「ところで随分妻の手に触れておりましたが、あまり私を嫉妬させないでください。私でさえ触れるのに勇気がいるというのに、羨まし過ぎます」


 ズイと整った顔を間近まで寄せると、いくら顔が良くても男は遠慮したいらしい。伯爵はよく分からない事を言いながらそそくさと退散した。

 スカーレットは意外な人物の登場に目をぱちくりさせる。


「もうお話は終わったんですか?」

「まだ途中だが、バートン夫人が教えてくれたんだ」


 エリック曰く、お互いの領地経営について深く話し込んでいる最中に、慌てた様子のバートン夫人が教えてくれたのだそうだ。知人の伯爵も早く行くように促してくれたとも。

 あとで夫人にお礼の品を送らなければならないなと思っていると、エリックは「少し聞きたい事がある」と難しい顔を向ける。


「バートン夫人が『また絡まれている』と言っていたんだが。『また』とはどういうことか教えてくれないか?」


(そこに気付いたか……)


 はぐらかそうにも、聞き出すまで絶対引かない顔をしている。黙っている方が面倒なので仕方なく全てを話せば、顔はそのままに面白いほど蒼褪めていった。


「どうして教えてくれなかったんだ……。知っていたら、君から離れるなんて事はしなかったのに……」

「私も油断していましたから……」

「それよりも……。いや何でも……。違う、君が私を信用していないのは理解している。だけど今後は私がいる時は短時間でも絶対に離れないようにしてくれ」


 彼女の両肩に手を置いて懇願するエリックに、スカーレットは「はあ……」と一見つれない返事をした。

 

 だが頭の中は驚きでいっぱいだった。

 あの時の彼は確実に「何故言わなかったのか」と聞こうとしていた。その次は「何でもない」と。

 でも彼はどちらも言わなかった。代わりに自分がまだ彼を信用しきれていないのを承知の上で離れるなと伝えたのだ。以前の彼からは考えられなかった台詞である。

 

 これまでになかった変化に、もしや彼は本当に変わろうとしているのでは……。と考えが浮かび、慌てて心の中で首を振る。

 以前は直ぐ絆されたから痛い目に遭ってきたのだ。何度も同じ轍は踏まないと決めている。


「ちなみにいつ頃から絡まれ始めたんだ?」

「一月半前かしら?街に出かけた際に落とし物を拾ってあげただけなんですが……」


 スカーレットの返答にエリックは一瞬目眩を覚えた。彼女が大変な目に遭っている間に自分は妻を放って置いたとは。

 本当に今までの自分は考え無しの能天気のボケナスだ。彼の罪がまた1つ増えた瞬間だった。


「今までどうしていたんだ?ずっと耐えていたのか?」

「お父様の知人が出席している時は、その方に守っていただいておりました。いらっしゃらない時は、立場の強い夫人に何度か……」


 実の両親には相談をしていてホッとする反面、自分はつくづく信用されていなかったのだと思い知る。

 要注意人物として頭の中にあの伯爵の事はメモしておいた。もうあんなのに妻が絡まれないよう、帰ったらスケジュールを見直しておかなければ。


 エリックが妻からの信用を得るまで、まだ先は長いのである。

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