ウィリアムとの対面
「まぁ、ポリッチ侯爵。貴方も来ていらしたんですね」
今日は偶然が多い日だ。しかも1人で見に来る事の方が多い彼が、今回は可愛らしい連れと一緒だった。下に視線を向ければ、侯爵の背中に隠れるようにして、栗色の巻き毛の男の子がスカーレットを見上げている。
「もしかしてお子さんですか?」
「ええ。そろそろ競馬に触れされようかと思いまして。ウィリアム、挨拶しなさい」
「ウィリアムです。父がいつもお世話になっております……」
少し恥ずかしがり屋なのか、両手をモジモジとさせながらもしっかりと挨拶をする少年はとても可愛らしかった。庇護欲を擽られそうだ。
果たして弟達は10歳だった頃はこんなに可愛かっただろうか。もっと生意気だったような気がする。
スカーレットもスカートを摘まんで略式のお辞儀をすると、侯爵からどうせならと観戦の誘いをされる。
彼女はドキリとしながら頷いた。侯爵はこれを機に息子と自分の相性を見ようとしているのかもしれない。ただあくまでスカーレットの推測でしかないので、普段通りに振る舞うよう意識をする。
それでもパドックへ向かう自分達の姿は、何も知らない人から見れば親子のようなんだろうかとか、そんな事をつい考えてしまう。
パドックでは予想通り、既に沢山の人が詰めかけていた。だが侯爵が丁度良い場所を見つけてくれたので、落ち着いてチェック出来る。
子どものウィリアムでも見渡せるように彼を前に立たせると、周囲も気を遣って合間を空けてくれた。
(レースを観るのは初めてと聞いたけど……)
周りの空気に触発されて興奮するのか、それとも気圧されて戸惑うのか、反応を窺っていると彼がチラリとスカーレットを見上げてきた。
「どうしたの?」
「僕、どんな馬が勝つのか分からなくて……。どうやって選べば良いですか?」
照れ屋な印象のウィリアムが、初対面の自分に積極的に話しかけるのは意外だった。
侯爵とは単なる知人であれば気遣いだと思っていたかもしれない。だが、彼の表情は初対面特有の緊張だけでなく、ある種の期待も混じっていた。
恐らく父親から、新しい母になるかもしれない人だと伝えられているのかもしれない。
大丈夫、子どもの世話は弟達で慣れている。スカーレットは彼の緊張をほぐすように、努めて柔らかい雰囲気を出した。
「慣れている人はパドックの様子を見て色々予想するけど、初心者のうちは好きな馬を応援する気持ちで券を買うと良いわ」
スカーレットもあれから馬や戦略について勉強してきたが、高い確率で的中させるまでには至っていない。予想よりも好きな馬を応援するくらいの気持ちが性に合っていた。
「ロイマー夫人はどんな馬を応援してるんですか?」
「私はアレクサンダーっていうあの馬を応援しているの」
スカーレットは丁度手前に来た彼を指差す。今回も元気があるし落ち着いている。良い調子だ。
「黒っぽいんですね。カッコイイや」
「ウィリアム君にも好きな馬が見つかると良いわね」
「父上はどんな馬がお好きなんですか?」
「私は逃げ馬かな?間隔を詰められた時は頑張れ、粘れとつい応援したくなってしまう」
会話を交えながら暫く眺めていると、ウィリアムがある馬を指差した。
「僕、この馬が好きかもしれない」
前足だけ靴下のように白い大柄の栗毛の馬は、奇しくもアレクサンダーの最大のライバルであるファルコンだった。
「良い目を持ってるのね。あの馬はアレクサンダーの最大のライバルって言われてるファルコンよ」
ファルコンも彼と同じく、後方から他の馬を指すのが得意な馬だ。この2頭が終盤で他馬を置き去りに熾烈な1着争いをするところは、毎回大いに盛り上がるシーンでもある。
「それじゃあ僕達もライバルですね」
「ええ、ライバルね」
笑みを交わすとパドックを歩いていた馬達が、騎手を背負ってウォーミングアップへと移る。
観客席へと移動する際に、スカーレットは屈んで素早くウィリアムの耳元に口を寄せた。
「今のうちに騎手の帽子の色を覚えておくと良いわ。そうすればレース中でも見失わないから」
「はい」
レース中は馬群に埋もれて目当ての馬が見えにくい時も往々にしてある。そんな時はあらかじめ騎手の帽子の色を覚えておくのだ。
いよいよ出走の時間になり、ファンファーレが高らかに鳴り響く。その時にウィリアムが不思議そうな顔で彼女の袖を引っ張った。
「あれは何してるんですか?」
彼の声に視線を向けると、中年の男性が胸の前で手を合わせて祈るようにしていた。彼だけでなく、他にも男女問わず同じポーズをしている人があちこちにいる。
「あれはレースに出る馬や騎手がみんな無事にゴールまで走れますようにっていうお祈りね。レースってとっても華々しいものだけど、事故も起きる事があるから」
馬はとても繊細な生き物だ。あの巨体だから自力で立てなければ自重で衰弱死してしまう。ましてや競走馬は脚が細い作りをしているから、事故が起きた際に重度の骨折に陥りやすい。
治療不可能な程の骨折を負えば待っているのは残念な結末だ。
騎手だって危険と隣り合わせだ。花形騎手になれば富も名誉も得られるが、レース中に落馬すると後方から走ってきた馬に蹴られたり踏まれたりするリスクが起きる。
過去に怪我が原因で引退を余儀なくされた騎手も何人もいる。危険と華々しさは表裏一体なのだ。
「父上から聞きました。怪我が治ってもレースを引退しなきゃならなくなった馬もいるって。そんな馬をまた活躍させる為にロイマー夫人と事業の計画を立ててるって」
「お父様から聞いた事を覚えてるのね。凄いわ」
どの馬も騎手も、老いによる引退がくるまで怪我なく活躍出来るのが1番だ。だけどその時の運や状況で避けられない場合もある。
侯爵が目指しているのは、そんな場合でもちゃんと受け皿が用意されているシステムだ。
2人が話している間にも馬達が一頭、また一頭とゲートへと入っていく。これが開かれる瞬間までが緊張の時だ。
スタートは2頭とも良い出だしだった。ファルコンがアレクサンダーの少し後ろの位置をキープしていて、徹底的にマークしているのが素人目に見ても分かる。
最後のコーナーを曲がる途中で2頭がスピードを上げ、一気に前へと出て並走する。
あとはこの2頭の世界だ。お互いしか見えない激闘。己の脚とスタミナと勝利への執念の全てをぶつけてゴールへの坂を駆け上がる。




