無愛想の裏
「夫に関する事とは一体……?」
スカーレットは訝し気な表情をする。エリックに何かしたのであれば本人に謝罪すれば済むだけの話だ。それを何故わざわざまどろっこしい事をするのだろうか。
「あいつが貴女に対し無愛想な顔をするようになったのは、元はと言えば我々の所為なんです」
それを聞いたスカーレットは密かに眉を顰める。彼の自分だけに向ける愛想の無さに、本当に理由なんてあったのか。
もしかして彼等が当て馬の妻に期待を持たせないよう、無愛想でいろとでも助言したんだとしたら大成功だ。
「まだお二人が結婚前だった時に、我々がエリックに言ってしまったんです。『そんなだらしのない気持ち悪い顔をしていると、スカーレット嬢に引かれるぞ』って」
「は?」
彼の口から聞いた事情は思いもよらぬものだった。スカーレットの脳内に、あの時のエリックの「だらしない顔を見られたくなかった」という、馬鹿馬鹿しい筈の言い訳が呼び起こされる。
「我々としては少し揶揄っただけのつもりなんですが、あいつ大真面目に受け取ったようで……」
目を丸くさせるスカーレットの顔に彼の中の罪悪感がより増していく。彼等のすれ違いの元凶は自分達も同然なのだから。
同世代の令嬢からモテるくせに、女に興味が無い勿体ない奴。それがエリックに対する彼等の見解だった。
それがある日から急に、熱に浮かされたかのようにボーッとしてるかと思えば、急にニヤついたりする。正直言って傍から見ると、彼の行動は不気味の一言に尽きた。
彼が恋をしたのは明白だった。間もなくして、先日ダンスパーティーで見かけた令嬢の事を知りたいと相談された時は、手を叩くほど愉快だった。
だってあの多くの令嬢の視線を集めておきながら、恋愛なんてよく分かりません。モテているとか興味ありません。みたいな世のモテない男の敵を体現しているような彼が恋をしたなんて。
恋は人を変えるとはよく言ったもので、スカーレットに恋した彼はそれはもう面白い男になった。顔が良かろうと所作がスマートだろうと、惚れた女の前では形無しになるらしい。
こんな面白いのを見られるのはそうそうにない。だから言ってしまったのだ。「締まりのない顔をしていると愛しの彼女に引かれるぞ」と。
まさか大真面目に受け取って顔を引き締めようとするあまり、常に仏頂面になるとは思わなかった。
そこはもう少し上手く取り繕えよと思わないでもないが、変なところで不器用なエリックの性質を深く考えなかった自分達にも責任はある。
「少しはこっちを責めれば良いのに。あいつったら全く言い訳をしなかったので、我々も気づくのが遅れました。申し訳ありません」
彼のつむじを見つめながらスカーレットはしばし呆然とした。子ども染みた馬鹿馬鹿しい言い訳だと思っていたのが、本当だったなんて。
いや、まだ絆されるのは早い。友人達の口から説明してほしいと、エリックが泣きついてきたのかもしれない。
「……それで、なぜ謝罪するに至ったのでしょうか。夫が話をしたのですか?」
彼が自分達夫婦の事情を知るには、エリックないしは彼の家族から話を聞くしかない。もしエリックが彼等に相談したのであれば怒るつもりだった。
「エリック本人から聞きましたが、あいつは自分から話していません。我々が聞き出したんです」
結婚したというのにずっと「眩しい」「女神より美しい」「近くにいると心臓が持たない」そんな理由で遠くから眺めていただけだったエリックが、ある時期から急に彼女の隣から離れなくなったのだ。
どういう心境の変化なのか、友人としては当然気になる。もしややっと慣れたのかとニヤニヤしながら絡んでみたら、まさかの離婚危機一歩手前というとんでもない爆弾が投下された。
一体夫人に何をしたんだとしつこく問い詰めれば、出てくるわ出てくるわ。彼のやらかしに何処の思春期の少年だと叫びたくなった。
その中に件の仏頂面があったのだ。自分達も一端を担っていたのだが、エリックはそれに関しては全く追求しなかった。
「あいつは決して貴女に言い訳をするつもりはないのでしょう。しかしだからといって何もしないままでは我々の気が済みません。直接謝罪したく機会を窺っていたところに、こうして偶然貴女とお会いしまして……」
「そういう事ですか……」
スカーレットは扇子で口元を隠しながら考え込む。
あの時の苦しい言い訳に聞こえたアレが事実なのは理解出来た。しかし頭で理解するのと心から納得するのは別の問題だ。
ニコリともしないエリックと、ひとつ屋根の下で暮らすのはずっと苦しかった。
格好つけられるよりも、だらしなくて良いから温かみのある顔を向けられたかったと彼をなじってやりたかったし、彼等が余計な事を言わなければと罵ってやりたい気持ちもある。
だけど少なくとも彼から嫌われている訳ではなかった。それだけでも何処か救われたような気がした。
「あいつの全てを許してやれとは言いません。我々のした事も許してほしいとも言いません。ただこういった経緯があったんだと知ってほしかっただけです」
スカーレットの気持ちを汲んだのか、許さなくて良いという言葉に甘える事にする。
「……私も今すぐ謝罪を受け入れる余裕はありません。ですが、事の経緯については覚えておきましょう」
そう、覚えておくだけだ。許すかどうかはエリックの今後の行動次第だ。
それでも彼にとっては良い返事だっただろう。ホッと緊張を緩ませる。
会話の終わりを察したのか、彼の父親らしき中年の男性が「そろそろ行かないと」と、移動を促す声をかける。
すっかり時間を忘れてしまっていたが、随分と待たせてしまったようだ。彼は「いま行く」と返事をし、スカーレットに向き直る。
「長くお引き止めしてしまい申し訳ない。どうかレースを楽しんで下さい」
「ええ、そちらも家族との時間を過ごして下さいね」
別れの挨拶をして家族の輪の中に戻る彼を見送る。理由を知れたのは良かったが、離婚の撤回までには至らない。
なにせここ最近の言動だって、単に離婚の単語を持ち出されて慌てているだけかもしれない。釣った魚に餌はやらないタイプだったら、離婚を撤回した途端元通りになるかもしれないし。
(私も行かないと……)
スカーレットは意識を切り替える。もうパドックは解放されている時間だ。きっと既に沢山の人がチェックしに行っているだろうし、早く行かないと混雑で馬がよく見えなくなってしまう。
急ごうとしたその時の、親し気な声が彼女を呼び止めた。
「おや、ロイマー夫人。やっとレースに顔を出せるようになりましたな」
振り返るとここ数カ月ですっかり見慣れた彼の姿があった。




