エリックの変化
その日のパーティでは、ある意味主催者より目立つ夫婦がいた。通常であれば何か問題が起きた際は主催者が対応するのだが、こればかりは主催者さえもどうする事も出来ずに傍観に徹するしかなかった。
「……これはロイマー伯爵。今日も奥様とご一緒なんですね……?」
「コルツ子爵お久しぶりです。美しく着飾った妻を遠くから眺めているのも至高ですが最近隣で自慢するのも乙なものだと気付きましてね。こんなに美しい妻の傍にいるのはあまり慣れませんが隣にいられる特権を駆使しないのは勿体ないと思いまして」
緊張しているのかかなり早口で喋るエリックに、話しかけた子爵もスカーレットも若干腰が引けてしまう。
妻を冷遇していると有名なエリックが、どういう風の吹き回しか。あるいは何処かで頭を打ってきたのか。パーティの始まりから終わりまでずっと彼女の傍を離れず、自慢めいた言葉まで口にしているのだ。変な注目を集めるのも無理はない。
顔を真っ赤にさせたエリックは、妻をエスコートする動きもマナーを習いたての少年のようにギクシャクと覚束ない。普段の彼とはかけ離れている姿だけに、2人の周囲には異様な雰囲気が漂っていた。
事情を知らない者にとっては彼の豹変はいっそ一種の恐怖だが、これは一応家族達が練った作戦である。
まずパーティ中は、やむを得ない事情がある場合を除いてスカーレットの傍を離れない。
そもそも何故パーティ中はそそくさと彼女の傍を離れていたのかというと、パーティ用に着飾った彼女の姿に未だに慣れていないからだった。
元から美しい妻が更に美しくなり、近くにいると眩しすぎて目が潰れてしまう。エリックは本気でそう思っている。
なのでパーティ中は彼女の傍を離れて避難していたのだが、そういう行動が誤解を招いているのだと見做され、緊急時以外はスカーレットの傍を離れないよう強く言い含められた。
なお、「着飾った妻が美しすぎて心臓がもたない」は、“やむを得ない事情”には含まれない。
更にエリックは思っている事を全部言えるよう、3人から厳しい指導を受けた。以前は彼と同じように言葉足らずだった父からコツを教えられ、コツを覚えた後は実践に次ぐ実践。
妹と弟からまだ全部話していないと何度も不合格を言い渡され、日がとっぷりと沈んだ頃にようやく及第点をもらって解放されたのだ。
指導は一定の成果はあったようで、一応は先程のように人前でスカーレットを褒める事は出来ていた。 ただし物凄く早口なのは否めないが。
本当は彼としてはスマートに見られたいが為に、もっと訓練を積んでスラスラと言えるようになってから本番に移りたかった。だがそれを聞いた3人は「何を甘っちょろい事を言ってるんだ」と、彼の意見を撥ね除けた。
そんな悠長に構えていたら一生かかっても本番に移せない。
どうせスカーレットからの好感度はゼロを通り越してマイナスに振り切れているんだから、今更恰好悪いところの1つや2つ見せたところで大した影響にはならない。と、それはもう精神が地面に沈み込むまで滅多打ちにされた。
家族から「やれ」と言われたらやるしかない。エリックは半ば自棄になっていたが案外上手くいったようで、周囲は戸惑いつつも「とうとうロイマー伯爵が夫人に心を動かされたのでは?」と、声には出さないものの認識を改めた者が出てきていた。
問題はスカーレットである。彼女の場合は仕方がないが、夫が態度を変えたところで急にそんな直ぐには信じられなかった。
今日までに義両親がやって来て額を床に擦りつけんばかりに謝られたし、そこで先日の言葉の真意についても明かされた。自分以外の嫁は考えてないとも。
また実家からの手紙にも義両親が来て謝罪されたと書いてあったが、信じるには材料がまだ足りなかった。
なんせこの状態ではエリック自身が反省したからなのか、義両親に叱られたから仕方なくなのか、いまいち判別がつかないからだ。
後者の場合だとエリックの心がフローラにあるのは変わらない。そんな状態で結婚生活を続けたところで虚しいだけであった。
「あの……、別に無理なさらなくてもよろしいですよ?」
「いや、全く無理なんかしていないぞ?」
それにしては先程からずっと息が荒いし、汗ばんでいるし、明らかに無理している。
今更一緒にいなくても平気だし、むしろ今の挙動不審な状態の彼がいない方が、スカーレットとしては精神衛生上穏やかだ。
なのだが、こうして促しても全然離れようとしない。
しかもただ一緒にいるだけではなく、急に自分を褒めるようになったのだ。耳まで赤く染めてまで。今までそんな類はちっとも言わなかったのに。
慣れていなかった分、聞いているだけで物凄く恥ずかしい。今も彼の口を塞ぎたくて堪らないが、そうする訳にもいかず羞恥に耐えるしかなかった。
(なんだか調子が狂うわ……)
これではエリックがくっついている限りレースの観戦にも行けやしないし、ファンクラブにも顔出し出来ない。フラストレーションがたまりそうだ。
このままでは息が詰まってしまう。彼女は離れた場所に立つ、数種類のカクテルが載ったトレーを持つ使用人に視線を向けた。
「ごめんなさい。ちょっと喉が渇いたから何か飲み物を取ってくださる?」
「分かった。此処で待っていてくれ」
頼み事に素直に応じるエリックの背中を目で追う。
本当に喉が渇いている訳ではない。追い払うのに丁度良い理由に使っただけだ。彼女としては今更期待させるような事はしないでほしかった。一旦離れればもう追ってまで引っ付こうとはしないだろう。
そんな事を期待しながら、彼から逃げるようにその場を離れた。
使用人からカクテルを受け取ったエリックは彼女の元へ戻ろうとした。だが、待っている筈の場所に彼女はいなかった。
誰かに呼ばれたのだろうか。それとも不測の事態でもあったのだろうか。
(まさか不埒な輩に何処かへと連れ込まれたりとか……)
警備の目はあっても絶対安心とは限らない。もしそうであれば大変だと慌てて彼女の姿を探していると、彼の耳に女性達の囁きが入ってきた。
「やっとロイマー伯爵が離れましたね」
「どうも怪しいと思ったら、やっぱり無理矢理誉め言葉を言わせていたんだわ。本当に小賢しいんだから」
(あれはトリュー夫人とレック夫人……)
自分の噂でもしているのだろうか。内容を聞いている限り、あまり良いものではないようだ。
「きっと彼、何か弱みでも握られてるのよ。伯爵とフローラさんの邪魔をするだけじゃなくて、こんな手段を取るなんて信じられないわ」
「何て卑怯なのかしら。『当て馬夫人』の癖に」
悪意ある単語にエリックの片眉がピクリと動いた。
(成程……。彼女達が「一部の心ない者」か……)
こんな所でスカーレットに嘲笑を向けている人物の正体を突き止められるとは。彼の唇が弧を描く。
それは社交用の笑みとはまるで違う、あえて言うなら他者への威嚇や凄みにも似た、攻撃的な笑みだった。
彼はその笑顔のまま、例の夫人達の元へと優雅に近づいた。




