認識の擦り合わせ②
「な!何の事だ!全く身に覚えがないぞ!どうしてそんな勘違いを!?」
エリックの本心からの動揺は悲しきかな、彼女の目には狼狽えながらも必死に言い逃れをしているように見えた。
遠慮を止めたスカーレットはもう自重しない。ツカツカと彼の執務机の目の前まで移動すれば、机を挟んで自然と見つめ合う形になる。
正面から見る、彼の不機嫌以外の顔がこのタイミングだなんて、と内心で自嘲しながらニッコリと微笑んだ。
「知ってますよ?結婚前から噂は何度も聞いていましたから。エリック様はフローラさんと以前から恋人同士なんですよね?でも家柄の関係で彼女と結婚出来ないから、家柄が釣り合っていて都合の良い私と白い結婚をした。そうでしょう?」
「それは噂でしかないだろう!?」
ここに来て妻も例の噂を信じていた事にエリックの動揺が増していく。賢い彼女なら根も葉もない噂など一蹴してくれると当たり前のように信じていたからだ。
貴族である以上「好きな人としか結婚しない」とは言わない。だが仮にスカーレットに出会わなかったとしても、完全に相手を利用するつもりでの結婚など考えた事もなかった。
どうして他ならぬ妻の彼女が、あんな部外者が好き勝手に囁いているだけでしかない噂を信じてしまうのだ。
あんな悪意が込められている不名誉な噂、自分はそんなに人でなしではないというのに。
しかし彼女は「本当にそうでしょうか?」と小馬鹿にするように嗤った。今まで一度もそんな顔を向けられた事の無かったエリックは、ショックで固まってしまう。
「私達は結婚してからもう2年半以上も経っています。その間エリック様はずっと片時も目を合わせようとせず、合わせたかと思えば鋭く睨みつけ、会話をしている時は常に不機嫌な表情をなさっていましたよね?これで噂と違うと説明されても、むしろ困ってしまいます」
エリックはスカーレットではないし、その逆も然り。相手を覗けない以上、誰が自分をどう思っているかだなんて、自分が見聞きした情報で分析するしかない。
彼が妻を愛してやまないのは結構だが、自分を格好良く見せる事に必死で、肝心の信頼関係を築くという大事な事が頭から抜けていたのは痛い。
物語の王子様に成りきるなど、外見の取り繕い方が違っていれば状況は変わっていたかもしれない。しかし恋愛においては途端に子ども以下の知能となる彼が、そんな高等テクニックを考えられる筈もなかった。
更に彼の「噂は言わせておけば良い」というスタンスが、状況の悪化に拍車をかけた。
妻に2年半以上も冷たい態度を取り続け、伴侶とは別にいる恋人の存在や白い結婚の噂も放置。
果たしてこの状態で今更「本当は愛している」と告げられても、信じられるだろうか。
流石に妻に関する噂は看過出来ないと動いていたエリックだが、自分の噂も払拭すべく早い段階で働きかけていたら、今の状況は回避出来ただろう。
だが、全ては後の祭りである。
「ち、違う……。そんな事はしていない……」
何とか否定しようと力無く首を振るエリックだが、自分を格好良く見せようとしていた努力が、妻側からは印象最悪に見えていただけなのがショック過ぎたのか、全く声を出せていない。
同時に、古株の使用人達もスカーレットの証言に慄いていた。もしもそれが彼女にとっての真実であるなら、全ての前提がひっくり返ってしまう。
古株達は主人の態度について特に諫めもしなかった。それは一見冷たいように見える主人の態度は第三者がいる時だけで、 2人っきりにすれば態度を軟化させるのだろうとずっと思い込んでいたからである。
彼等は古株故にエリックの恋愛下手を甘く見ていた。まさかこの夫婦生活で妻に対し、正面から大切だと扱ってきた事が一度も無いなんて、思ってもみなかったのだ。
(そんな!?あんなに自分達の前では、よそでは見せられない顔をして奥様を語っていたのに!)
古株は若干の違いはあれど、各々同じような事を考えながら絶句していた。
だがいつまでも口をあんぐりさせている訳にはいかない。主人がポンコツと化している今、自分達がどうにかしないといけないのだ。
「申し訳ございません。発言をお許し頂けますか?」
古株を代表して老執事が手を上げる。スカーレットが許可を出すと、執事は言葉を選びながら最も知りたかった事を聞き出した。
「我々は旦那様が奥様の事を毎日幸せそうに語っている姿を拝見しています。その、奥様は……」
どうか2人きりになった時は鉄面皮を崩していたと言ってほしい。祈るような思いで問うが、現実は残酷であった。
「貴方達は彼の味方をするんですね。私は私の見聞きした事を信じます」
(終わった……)
今の言葉は、主人は奥方に対するフォローを一切していなかった事を暗に示唆していた。
もう駄目だ、完全に詰んだ。つまり奥方側から見れば、2年半以上も夫から冷遇され、夫婦としての交流が無かったのだ。
彼女にとってはきっと自分達もグルだろう。今まで主人の冷たい態度を見ておきながら諫めようともしなかった鬼畜である。
鬼畜認定された自分達が、いくら誤解だと説明しても信じてくれないだろう。彼女にとっての状況証拠が揃い過ぎている現状、こちらの方が分が悪い。
あぁ、せめて過去の発言を記録出来る道具でもあれば、直ぐに誤解が解けるのに。理想の展開を求めて古株達の目が何処か遠くなって行く。
古株達が匙を投げようとしていた時、なんとか自分を奮い立たせたエリックが釈明を始める。
「違うんだ!睨みつけても不機嫌になってもいない!ただその……だらしない顔を見られたくなかったからで……!」
「は?どういう事ですか?」
エリックとしては諦め切れないのだろう。だがしかし、今まで見た事のない不信感全開の顔を向けられ、再び泣きそうになる。いつものスカーレットじゃない。
理由を話すのは物凄く恥ずかしいが、言わないと本当に愛想を尽かれてしまう。エリックは羞恥を我慢して口を開いた。
「だから、デレデレと気持ち悪い顔を見せるのは格好悪いから……。幻滅されたくなくて表情を引き締めていただけで。睨んでも不機嫌にもなっていないんだ……」
「…………」
ありったけの勇気をかき集めたエリックだが、聞かされたスカーレットは予想外の理由に思わず黙り込んだ。
その理由は流石にない。どこの思春期の少年なのだ。嘘を吐くならもっとマシな嘘を吐いてほしい。
「感情がついていかなくて振り回されがちな子どもならいざ知らず。大の大人がその言い訳は……、少々苦しいかと?」
もっともな言葉にエリックは撃沈した。




