急転(エリック視点⑤)
「ねぇ、奥様の事は良いの?」
今日もソルロ伯の近況を報告すべくスタンレイ家にやって来ていた自分は、何故かフローラにこんな事を聞かれた。
彼等が再婚出来るようになるまで、ソルロ伯とフローラのやり取りを調整するのも自分の役目だ。
ソルロ伯から手紙を受け取り、別人の名義でポストに投函する。フローラが返事を書けば、また自分が預かって別人の名義でポストに投函する。
外面的には他人とやり取りしているように見せかけて、例の親戚の目を誤魔化しているのだ。その仲介をしているのである。
それに加えてフローラから手紙を預かる際には、ソルロ伯の近況や縁切りの進捗を細かく伝えている。
主に動いているのはソルロ伯側なので、フローラは待つ事しか出来ない。そうなると、あとどのくらい待てば良いのか不安になるだろう。だからこうして頻繁に進捗を報告して、なるべく彼女の不安を軽減しているのだ。
時間を作って会ってはいるが、自分にも仕事があるので話せる時間は限られている。必然的にプライベートな会話も無くなったが、今は仕方がない。
問題が解決するまでの辛抱だ。全て終われば、またお互いの他愛ない話で笑い合う日が来るんだから。
不本意な離婚で苦労しているだろうに、フローラの見ていると安心する朗らかな微笑みは変わらない。しかし、変わった部分もある。
1つはソルロ伯の事を聞きながら彼を想っている時の顔。自分や家族の前で見せるのとは違う、愛しさと強い信頼で結ばれている顔。
そしてもう1つは自分との距離である。
実家に戻って来てからも、彼女は自分と2人だけになる状況を頑なに避けていた。例えば紅茶のお代わりなど、使用人に何か言いつける時でさえ、必ず誰か1人は部屋に残すのだ。
妙齢の女性であれば当たり前の行為でも、今更自分達の間にそんな線引きをしなくても、と思う。何だか他人になったような気分だ。
家族も以前なら「そんな他人行儀な事をしなくても……」と咎めていただろうに。今では特に気にした様子もなく、少し疎外感を覚えていた。
そんな中でのフローラの冒頭の台詞である。
「え?いきなりスカーレットの事は良いのかってどういう事だ?」
急にそんな事を言われても、一体何が良いのかさえ分からなかった。質問の意図が掴めず首を傾げていると、フローラは溜息まじりに口を開く。
「私達はとても助かってるわ。でもスカーレットさんに手伝いの事はちゃんと説明したの?私達も子どもじゃないし、彼女を不安にさせてまでやる事じゃないわ」
そう言われると、確かに自分の口からは説明していなかった。
だが、スカーレットなら大丈夫だ。フローラの傍にいてあげてほしいと進言してきたのは、他ならぬ彼女なのだから。
彼女は賢いし、自分がこうして2つの家を行き来しているのも、何か意図があると踏んでくれているだろう。
「彼女も分かっているさ。それに君に付いているよう本人からも言われているし」
「えっ……」
安心出来る要素なのだが、それでもフローラの顔は晴れない。かえって不安が増したような表情をしていた。
あの時の彼女は一体何を感じていたんだろうか。
あの会話から数日後。額に汗を滲ませた執事からの報告は、まさに自分にとって寝耳に水だった。
スカーレットが自分と離婚して別の男と再婚するつもりだなんて。しかも相手は以前から危惧していたポリッチ侯爵だ。
いつの間にそんな仲にと思うと同時に、フローラが危惧していたのはこれだったのかとも合点がいった。
こんな話が外部に漏れれば、世間への悪評に繋がりかねない。まずは噂話をしていたメイド達本人を問いただす事にした。
何をもってそんな噂を広めているのか、原因や目的が分からなければ対処のしようもない。
まさかこれが、長年実際に直面し続けていた問題のほんの序の口だったとは。この時は思いもよらなかった。
噂話をしていたメイドを呼び出し、ポリッチ侯爵との話について何処で手に入れたのか、何処まで広めたのかを尋問する。
もし悪意ありきで広めているのなら、女主人を不当に貶めているとして厳しい処罰が必要だし、悪意が無くとも噂に踊らされているようでは、キーン家のメイドとして不適格である。
解雇か、一から教育し直しか。この屋敷の主人として厳しく処罰しなければならない。例えスカーレットが庇おうとも。
だが驚くべき事に、緊張と困惑を織り交ぜた様子のメイド達は、スカーレットから直接聞いたと証言したのだ。返答は保留にしているが、ポリッチ侯爵から明確にアプローチをされたと。
自分の脳内に「そんな馬鹿な」と「あり得るかもしれない」という、相反する考えが交互に浮かぶ。
彼女の身持ちの固さは疑ってはいない。しかし彼女は賢い上に美しく、おまけに度胸もあるのだ。そんな彼女を放って置く男などいない。
あのメイド達の嘘であってくれと願いながら他の者にも聴取してみたが、スカーレットと近しい人間は全て同じ回答をしていた。
この時点が気が遠くなりそうだが、不思議な事にメイド達はポリッチ侯爵との話を隠す様子もなく証言するのだ。
主人に隠し立てしないのは使用人として当たり前である。だが仲の良い主従に見られるような、主人に不利となるような証言を避けようとする姿勢は一切見られなかった。
彼女がメイド達に慕われているにも関わらず。まるで自分に知られても問題無いとでも思っているかのように。
何故みんなそんなに落ち着き払っているんだ。スカーレットが不倫をしているのかもしれないんだぞ。更に言えば離婚危機の一大事だぞ。
まずスカーレットから直接聞いた時点で、主人たる自分に報告すべきだろう。常識的に考えて。
いや、今はメイドに詰め寄っている場合じゃない。諸々の処分も全てが終わった後だ。兎に角スカーレットから直接話を聞かねば。
自分は混乱する頭で彼女を執務室へと呼び出した。




