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事態の急変

 屋敷に着いてもスカーレットの心は落ち着かなかった。此処が屋敷じゃなくて実家の自分の部屋だったら、今頃恥ずかしさのあまりバタバタと暴れていただろう。


 当然この状態では、いくら寝ようとしても眠れそうにもない。落ち着かせるためにも、自分の気持ちを整理するためにも誰かに聞いて欲しかった。


「ジュリア、みんなも聞いてほしいの」


 夜食を用意する彼女達の目がこちらを向く。先程から様子がおかしかったからか、みんな心配そうな顔をしていた。


「私、ポリッチ侯爵から名前で呼ぶようお願いされたわ」


 その瞬間みんなはワァッと喜び、次々と祝福の声が上がる。


「おめでとうございます!」

「ご苦労なされましたものね……!」

「寂しくなりますが、奥様の幸せをお祈りいたしますね!」


 中には余程嬉しいのか、涙ぐむ者までいる。慕われるのはありがたいが、まだ彼の元に嫁ぐとは決まっていないのだ。


「待って。確かにプロポーズされたけれど、急だったから保留にしてもらってるのよ。だから気持ちを整理したくて」


 慌てて止めると、そういう事かと一旦興奮は治まる。やはりみんな恋の話が好きなのか、積極的だ。

 ジュリアが跪き、ベッドに腰かけるスカーレットの手を握った。


「奥様はプロポーズされた時、どう感じていらしたんですか?嫌だったかそうじゃないかで言うと、どちらです?」

「……嫌ではなかったけど。でも正直戸惑いの方が強くて……」


 彼女の穏やかな声と、手から伝わる柔らかく滑らかな肌が、何処となく気分を落ち着かせる。


 彼は素敵な人だし、一緒に居ると楽しいのは確かだ。

 でもついさっき彼の想いを知ったばかりで、いきなり考えろと言われてもどう考えれば良いのかすら分からない。

 ただひたすら、結婚に対する漠然とした不安がつきまとうのだ。


「ならば、前向きに考える余地はあるのではないですか?全く相手にしたくない人からであれば、迷うまでもありませんでしょう?」


 試しにあの変態伯爵からプロポーズされたらと考えてみようとして止めた。そんなの想像するだけでも恐ろしい。


「でも離婚して直ぐに再婚なんて、なんだか展開が早すぎる気がして。それに彼のご子息がなんて思うか……」


 確かに前向きに考えても良いかもしれない。しかしそのまま結婚して本当にそれで良いんだろうかと、どうしても躊躇してしまう。

 ご子息だって新しい母に戸惑うかもしれないし、自分もいきなり10歳の子の母親になれる自信がない。


「では侯爵とデートをするのはいかがでしょう?」

「デート?」


 メイドの1人の提案に、スカーレットは聞き返す。自分とは縁遠い言葉だ。ちなみにエリックとの外出をデートと呼べば、世間一般のカップルに失礼となる。


「奥様は旦那様とは婚約後、直ぐに結婚されたと聞きました。ポリッチ侯爵とは暫く婚約したままで。デートを重ねていきながら夫婦生活を想像したり、ご子息と交流をするのはいかがでしょうか?」

「侯爵様も、理由をお話すればきっとそうしてくださいますよ?」


 婚約を維持したままデート。そういう手もあるのか。自分には無かった発想に、目から鱗が落ちた。

 もしかしたらエリックとも、結婚する前にデートの1回でもしていれば、結婚生活の予想も出来たかもしれない。今のような茨の道を進む事も避けられただろうに。

 

 それに憧れていたのだ。婚約者や夫と仲睦まじくデートするというシチュエーションに。

 そう考えるとなんだか心が軽くなってくる。


「そうよね。まずはデートから始めてみても良いのかもしれないわね。ありがとう、やっぱり貴方達に相談して良かった」


 いきなり結婚だと不安で腰が引けてしまうが、デートからならグッとハードルが下がる。

 それに侯爵や彼の子息と上手くいかなくても、結婚と違って婚約は双方の合意があれば比較的簡単に解消できる。


 プロポーズの返事を先延ばしにしてしまう形にはなるが、侯爵なら分かってくれる筈だ。

 スカーレットの中で結婚に対する不安が薄れていく。何でこんな簡単な事に気付かなかったんだろう。


「これくらい、奥様の為ならどうって事ありませんよ」


 役に立てて良かったと微笑む彼女達は、一部を除いてスカーレットよりも年下だ。それなのにこうも適切な助言が出来るなんて、自分よりも余程柔軟な発想の持ち主だ。

 この家に彼女達がいてくれて良かったと、スカーレットは心から安堵した。




 翌日、メイド達は奥方の話題で持ち切りだった。今まで伴侶から冷遇されていても腐らず努力し、自分達使用人にも丁寧に接してくれた彼女が、漸く幸せを掴めるかもしれないからだ。


「良かったわ。奥様にも良い方が出来て」

「きっとポリッチ侯爵なら奥様を大事にしてくれる筈だわ」

「これで離婚されても安心ね」


 良い奥方に屋敷を去られてしまうのは、使用人として寂しい事ではある。

 しかし今度こそ人生の伴侶となる人を得られたのなら、最後の日まで仕えて気持ちよく送り出してあげるべきだと、彼女達は昨晩に話し合って決めていた。


 独り身のまま屋敷を追い出されるような状況にならずに済んで良かった。メイド達は喜びを噛み締め合いながら、侯爵との関係が上手くいく事を願う。


 無論彼女達はこの会話を誰にも聞かせる気はなかった。気が緩んでつい口が滑ってしまったと言えば言い訳になるかもしれない。


 彼女達から見て、曲がり角で死角となっている位置。そこに偶然、執事が通りがかろうとしていたのだ。

 執事は廊下で堂々と、雇い主の個人情報を話すメイド達を注意しようとする。

 

 だがもしこのタイミングを逃していたら、キーン家は後々更なる混乱に陥っていただろう。そういう意味では僥倖だった。


 メイド達の会話を一瞬遅れて理解した執事は、まず目を丸くさせ、次に慌てて「どういう事だ?」と身を躍らせた。




「旦那様!大変でございます!」

「どうした?いつものお前らしくないぞ?」


 息を荒げて執務室に飛び込んだ執事に、エリックは純粋な疑問を投げかける。いつも冷静な彼がこのように狼狽えているのは珍しかったからだ。


「奥様が……!奥様が旦那様と離縁して、別の方と結婚なさるつもりだそうです!」

「…………は?」


 エリックが持っていたペンが音を立てて机へと落ち、インクが辺りに飛び散る。

 報告は彼にとってはまさに寝耳に水、青天の霹靂、予想外の事であった。

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