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事業の進展

 スカーレットの前には少々使い込まれているが、頑丈に作り込まれた変わった形の馬車があった。少々小ぶりだが、御者を含めて3人乗りだそうだ。

 これが冬になれば、雪道用に車輪がソリへと変わるのだろう。


「これがトロイカなのですね?3頭立てとはどんな物かと思っておりましたが、横一列に並んで走るのですね」

「あぁ。知り合いの伝手を辿って少々安く譲ってもらったんだ」


 スカーレットは馬車をマジマジと観察する。今は屋根などは無いが、幌は後で着けるんだろう。中央の馬に取り付ける器具のような物には、可愛らしい花柄の装飾がされている。

 馬達はよく訓練されているようで、見知らぬ人間がいても怯えている様子は全く無い。寧ろ人が好きなのか、スカーレットに1番近い所にいる馬は口元を近づけていて、興味津々だ。


 今日はいよいよ第1回目の走行テストだ。今回のテストでは、経路の一部に馬車を走らせて時間や馬の状態、走行中の問題などを確認する。

 今回は1区間分の標準的な距離である20キロメトルほど走行するが、このテストが上手くいけば、実際にメリザスとバルネカール間を走行する第2テストに移行する。


 スカーレットはポリッチ侯爵の手を借り、馬車の後部座席へと乗り込む。郵便馬車として使うのなら、ここが荷物置き場となるのだろう。


「ご婦人。壁や屋根がありませんから、しっかり掴まっていてくだせぇ」

「はい」


 御者の言葉を受けたスカーレットが座席の縁を掴む。侯爵も投げ飛ばされないように深く座り込み、服の内ポケットから取り出した懐中時計で、カウントダウンを始める。


「3……2……1……、行け!」


 侯爵の合図で御者が手綱を振る。馬達の力強い足取りにより、馬車が動きだした。


 速い!従来の馬車の2倍ぐらいだと思っていたが、本当に3倍くらいのスピードが出ている!顔や身体に当たる風で押されて、後ろに倒れそうになる。


「ちょっと怖いわ!」


 これは本当にしっかり掴まっていないと危ないかもしれない。

 もっとゆっくりと言いたいがこれはテストなのだ。邪魔をする訳にはいかない。


「過去に乗った事があるとは言え、久しぶりだとやはり自分も怖いなぁ!地元民はこれで周りを見る余裕があるんだから、凄いものだ!」

「本当なんですかぁ!?」


 信じられない。こんな目を開ける事さえ大変なのに、本当に周りが見えるんだろうか。

 念の為に今日はいつもよりも髪をキッチリまとめておいて良かった。そうでなかったら、今頃とっくに風の強さでグシャグシャになっていたかもしれない。


 しかし程なくして慣れてくると、確かに周りの景色も見えるようになってくる。あっという間に町も人もビュンビュンと通り過ぎ、自分達の前を走っていた馬車にも、たちまち追いついて追い抜いて行く。


 その時の乗客や貴族達の顔が「何だ何だ」と呆気に取られていて、少し笑ってしまった。


 気が付けば、走り始めた時の恐怖もすっかり無くなっていた。本当に自分が風になったかのような気分だ。


「凄いわ!世の中にこんな速い乗り物があるだなんて!」


 こんなに子どものように笑ったのはとても久しぶりだった。




 あっという間に規定の距離を走り終えた彼女達は、爽快な気持ちで馬車を降りる。再び懐中時計を取り出した侯爵が満足そうな表情をした。


「うん、時間も期待通りだ。この道でも十分通用するな」

「馬もまだまだ元気そうですだ」


 笑顔で太鼓判を押す御者の言う通り、馬の息遣いは荒くはなかった。普段はもっと長い距離を走っているのか「もう着いたの?」とでも聞くかのように、彼女達を見ている。


「ふむ、この分なら1区間の距離をもう少し伸ばしても良いかもしれないな」


 侯爵の言葉に頷く。世の中まだまだ自分の知らない事だらけだ。これなら出資者にも自信を持って説明出来るだろう。

 やはりテストに自分も搭乗させてもらって良かった。お陰で自分の中での事業の成功の可能性が飛躍的に高まった。


 この経由だけでなく、いつか国中の道路をトロイカが走るようになったら、もっと便利な世の中になりそうだ。

 乗り心地もそう悪くないし、ゆくゆくは駅馬車にも転用されるかもしれない。そうなれば、旅のための移動時間がもっと短縮されて、より負担が軽くなる。


 旅において最も負担となるのは移動時間の長さだ。食事中や夜になれば宿泊所で休息出来るが、昼間はほぼずっと馬車に揺られている時間が続く。


 この状態の何が辛いのかと言うと、次第に腰やお尻が痛くなる事だ。若い人間でもそうなるんだから、腰痛持ちやお年寄りはもっと大変だ。

 しかし馬車自体のスピードが速ければ、より到着までの時間を短くする事が可能だ。


 一応郵便馬車を予約すれば、駅馬車よりも早く目的地には着ける。しかし郵便馬車は乗り心地が悪い上に、配達人にとっては郵便物を定刻通りに運ぶ事が最優先だ。そこに乗客の都合は一切含まれない。

 その為に夜でも宿泊所で身体を休める事が出来ないし、トイレに行ってうっかり定刻時刻が過ぎれば、馬車は荷物ごと行ってしまう。


 だから余程急ぐ理由がない限り、旅行者は駅馬車を選ぶのだ。スピードは遅くてもゆっくり走っている分、身体への負担が減るからだ。


 遅いけれど比較的負担の少ない駅馬車か、速いけれど負担の大きい郵便馬車か。スカーレットはこれまで、旅というものは目的地に着くまでは、苦痛と退屈を我慢しなければならないものだと認識していた。

 しかし、仮にトロイカのような速くて比較的乗り心地の良い馬車が採用されたなら、旅はもっと気楽で身近な存在になる筈だ。


(そうなったら、沢山旅行に行くのも良いのかもしれないなぁ)


 1人でも、友達と一緒でも、家族とでも。本でしか知らなかった風景や文化をこの目で見て、この身で体験して、そうして思い出を蓄積していくのはきっと楽しいだろう。


「ロイマー夫人?体調でも悪いのか?」

「……いえ、何でもございません……」


 急に黙り込んだスカーレットを心配してか、侯爵が顔色を窺う。彼女は遠くを見ていた目を現実に戻し、首を横に振った。


 所詮この夢想は現実逃避に過ぎない。近いうちに覚悟を問われる未来は確実に来るのだ。

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