代理人との外出
これがあの時の口答えに関する報復なのか、本当に急用が入ったのかは分からない。
「代わりといってはなんだが、ミシェルを向かわせよう。あいつもそろそろ婚約するらしくてな。女性のエスコートについて教えてやってくれ」
(あら?もうそんな歳だったかしら?)
ミシェルはエリックの弟であり、スカーレットにとっては義弟にあたる。結婚した当初のあどけない姿ばかり頭に浮かぶが、年齢をよく考えてみれば彼も17歳。婚約者の決め時と言ってもおかしくない。
自分が付き合えない代わりに弟を代理に立てるから、それで妥協しろという事だろう。
これで相手がフローラなら、何としてでもその急用をキャンセルするか、急いで予定を終わらせて出かけようとするのだから大違いだ。
(そんな事するくらいなら何もしてくれなくても良いのに……)
1人で過ごせるのなら諸手を上げて喜べたのに、中途半端な気遣いの所為で逆に困ってしまう。
ミシェルに罪は無いが、ちょうどこの日にアレクサンダーが出るレースがあるのだ。
夫が一緒だからと今日のレースは諦めていたが、夫がいないのであればレースを見たい欲望が沸々と湧いてくる。彼の雄姿は1レースでも多くこの目に焼き付けておきたい。
(どうすれば……。……そうだ……!)
悩んでいた彼女だが、不意に画期的なアイデアが天から降って来た。
「そうですか。私のことは気にせず、お仕事励んでください」
スカーレットは相手に悟られないよう、物分かりの良い妻を演じながら「早く家を出ろ」と念じる。この計画を彼に知られる訳にはいかない。
思いが通じたのか、特にエリックは訝しがる様子もなく家を出る。スカーレットはその瞬間、ゆったりした仕草をかなぐり捨てて大急ぎでメイドに指示を出し、ミシェルの迎えを待った。
「お久しぶりです義姉上。兄上でなくて申し訳ありませんが、迎えに来ました」
「待ってたわ、早速行きましょう」
ドアの前でにこやかに挨拶をするミシェルの腕をガシリと掴み、彼の馬車ではなく自分で用意した馬車に乗り込む。
「あの?えっと?義姉上?」
エリックに似た顔が驚愕に染まるが、事前に説明をしている余裕はない。今から出かけても開始時間までに間に合うかはギリギリなのだ。
その間にメイド達がミシェルの馬車に積まれていた荷物をこちらへと積み直し、準備は整った。
「あの、劇場に行くのではないんですか?こんな荷物の量……」
「いいえ、今から向かうのは競馬場よ」
「え!?」
目を白黒させる彼を尻目に馬車を出発させる。スカーレットが思いついた画期的なアイデアとは、彼も競馬場に連れて行く事であった。
夫にこの趣味を知られるのは問題だが、彼なら大丈夫だ。彼は秘密を守れる子だから。
競馬場に着いた頃にはレースの開始まであと間近に迫っていた。なんとか間に合って良かった。スカーレットは空いている席を見つけると、ミシェルの手を引いて腰を落ち着ける。
到着がギリギリだったのもあり、残念ながらパドックでの彼の様子は確認出来なかった。
果たして調子はどうだろうか。今回はライバルも出場するらしいが、どちらが勝つだろうか。
スタートと同時にゲートが開放されると、ライバルがいつも通りにポンと前に出て先頭集団に着く。アレクサンダーも最初は後方寄りの場所で出方を窺ういつもの戦法だ。
途中で予期せぬトラブルもない。コースの3分の2を過ぎた辺りで、先頭集団にいたライバルがスピードを上げていく。
数拍遅れて後方にいたアレクサンダーも足を速める。
ここからレースは2頭の独壇場と化していく。周りの馬も全体から見れば上位に入る実力者揃いだが、やはり彼等の速さは群を抜いている。
2頭ともあっという間に先頭に出ると、激しいデッドヒートが繰り広げられる。
ゴールへと一直線に稲妻のように駆け抜ける2頭。彼等はほぼ横並びの状態のまま、どちらも先頭を譲らない。2頭の圧倒的なスピードに、後続の馬はどんどんと引き離されていく。
勝利を掴むのはライバルか、彼か、観客は固唾を呑んで勝負の行方を見守る。
勝負は瞬きほどの時間でついた。先にゴールラインを通過したのはライバルだった。
直後に湧き上がる喚声、勝利に喜ぶ声や惜しかったと残念がる声。それから2頭の健闘を讃える声。
「凄いわ!2頭とも素晴らしいレースをありがとう!」
勿論スカーレットも周囲と同じように声援を送る。今回はライバルに勝ちを譲ってしまったが、2頭とも素晴らしい走りだった。
レースの余韻に浸っていた彼女だが、興奮して隣にミシェルがいたのをすっかり忘れていた。慌てて隣に顔を向けると、呆気に取られている表情をしていた彼と目が合う。
「あ、あら。ごめんなさい、びっくりさせてしまって」
アレクサンダーとライバルの雄姿に、完全に普段の言動も忘れてはしゃいでしまった。すっかり置いてけぼりにした事を謝罪する。
「義姉上って、あんなに大きい声を出したり、大振りに動いたりするんですね……」
「え、えぇ。ちょっとはしたなかったかしら?」
淑女らしくない姿は実の家族や仲の良い友人にしか見せた事がない。今更ながら、ちょっと欲望に走り過ぎたかと気恥ずかしさが込み上げてくる。
しかし直ぐに開き直った。ミシェルなら見られても構わないと思ったから連れて来たのだ。それに彼はとっても良い子だから。
「いえ、少し驚いただけで……。でもこんなに楽しそうな義姉上を見るのは初めてで、なんだか嬉しいです!」
ニコリと笑うミシェルの顔に裏表はない。やっぱり彼は良い子だ。
「でも貴方のお兄様には内緒よ?知られたら恥ずかしいから」
「分かりました。内緒にしておきますね」
抜け目ない彼女は、ここで口止めしておくのも忘れない。こう言っておけば彼経由でエリックに知られる可能性も無くなる。
こうして2人は、ちょっとした秘密を共有して楽しく帰路へと就いた。彼には悪いけれど、ミシェルと一緒の方が充実した外出日だった。
エリックが帰って来たのは、彼女が寝支度を始めようとした時だった。本当に急用が入っていたのか、彼のまとう雰囲気が少しくたびれている。
「お帰りなさいませ。長い時間お疲れ様でした」
「あぁ……」
服を寛げる彼から細長い箱を渡された。片手で持てるほど軽い箱だ。
「これは?」
「今日は折角の外出だったのにすまない。詫びにもならないかもしれないが……」
珍しくしおらしい様子の彼に「それをするくらいならもらっとこう……」と、思いながら箱を開ける。
中身は扇子のようだった。広げると彼女の好みの柄が刺繍されている。
(エリック様ってこういうのはマメなんだから……)
これだから彼はタチが悪い。この気遣いに、今まで何度も騙されては何度も打ちのめされてきた。
彼にしてみれば卒なく夫としての役割を果たしているに過ぎないのだ。よく考えてみれば好みについては侍女に聞けば分かる話だし、そんな単純な事で「自分の事を見てくれている」のだと勘違いしていた過去の自分が恥ずかしい。
「気に入ったか?」
「ええ、とっても……」
果たしてその時が来たら、この扇子も今まで贈られた品々も、全て惜しまず捨てられるんだろうか。
考えようとしても、答えは全く見えなかった。




