耳を疑う言葉
「最近よくポリッチ侯爵と話をしているそうだな?」
「え……?」
事業の計画、資金提供者の呼びかけ、アレクサンダーの追っかけと、目が回るように忙しいが充実した生活を送っていると、ある日の食事中に珍しくエリックから話しかけられた。
あまりに久しぶりで、まさか自分に話しかけているとは気付けなかったほどだ。
だってあのエリックが。ハイかイイエか、それが叶わないなら一言二言で会話を終わらせようとするエリックが。仕事の会話以外で自ら疑問形で話しかけるなんて。しかも目まで合わせて。
いや、合わせるというより睨みつけているに近いかもしれない。美形がすごむと迫力がある。
しかしこれで怖じ気づいていたら妙な不信感を持たれるかもしれない。スカーレットも負けじと強気の姿勢で言葉を返した。
「共同事業者ですから、お話しする機会が多いのは当たり前ですよ」
疑念がありありと浮かぶ顔をしているところ悪いが、侯爵とは本当に単なる共同事業者であり、彼等と違って距離感はきちんと保っている。
何もやましい事はないのでキッパリと潔白を主張したが、納得していないのか探るような目を向けたままだ。
「あまり特定の異性と距離が近いのはいただけないな」
(は……?)
流石のスカーレットもこの物言いにはカチンときてしまった。絶対にこの人にだけは言われたくない。
そう言うエリックこそ、結婚した後もフローラとの距離感は変わっていないではないか。お陰で結婚すれば変わってくるかもという淡い期待は大いに外れ、今や誰もが認める立派な当て馬夫人だ。
(それは私のセリフなんですけど?単なる幼馴染で収まらない距離感を、結婚の前も後も散々周りに見せつけておいて。自分が浮気してるからってこっちも浮気していると思ったら大間違いよ)
だが、不満を本人にぶつけたところで仕方がない。自分達の幸せの為に、詫びの1つも無しに何の関係もないスカーレットを巻き込むような人なのだ。
自覚無しに人を踏みにじる輩には何を言っても無駄だろうし、労力だけ払う分こちらが疲れるだけだ。
しかしフローラとの関係を諦めるのと、根拠のない浮気扱いをされるのは話が別だ。
「お言葉ですが、私と侯爵がお話をしている時はお互い適切な距離を保っております。それとも何ですか?機密事項も多いのに、距離を空けて大きな声で事業の話をしろとでも言いたいのですか?」
スカーレットはツリ目がちな目を更に吊り上げて反論する。
いくらスカーレットが当て馬夫人で、エリックからの愛を期待しなくなったとしても、これ以上不遇な扱いを受ける謂れはない。
これで益々彼からの好感度が下がろうが、もはやどうでもいい。既に存在すら苛つかせるほど嫌われているんだから。
「話し合いにエリック様が同席していても一向に構いません。いかがです?参加されますか?」
更にダメ押しに同席を提案すれば、ばつが悪いのか視線を料理に落とした。
「いや、良い……」
そのまま再び興味を無くしたように黙るエリックに、腹の虫が治まらなかったので一言付け加えておいた。
「心配せずとも、自分の評判を落とすような真似はいたしませんので」
スカーレットの言葉を最後に、食堂にはカトラリーの音だけが響く静寂が戻る。食事中でも夫婦の会話はない。それが2人の日常で、さっきまでが非日常だったのだ。
(まったく……。中途半端に興味を持つ暇があるのならフローラさんの事だけ考えていれば良いのに……)
フンと心の中で鼻を鳴らしながら黙々と食事を口に運ぶ。どうせ彼は世間体を気にしているだけだ。こっちは今後の食い扶持の為に必死なのに、本当に良い御身分だこと。
これがせめてごく普通の夫婦であったなら、「浮気すると旦那がショックを受けるからやらない」になるんだろう。そんなのは自分にとっては縁のないシーンだけれど。
いっそ彼を嫌いになれば本当に楽になれるのに、嫌いになりきれない自分が時々嫌になる。本当の意味で相手に期待をしないのは中々難しいものだ。
あれからどうにも胸のモヤモヤが治らず、翌日にはスカーレットは久しぶりに友人であるセシリアの家を訪問していた。以前、スカーレットを心配して離婚に向けて行動するよう助言をくれた彼女の家だ。
「なぁ~にが『あまり特定の異性と距離が近いのはいただけないな』よ!言ってる方がよっぽど女と距離が近いくせに!」
スカーレットは怒鳴った勢いでバン!とテーブルを両手で叩く。その勢いでガチャンとカップとソーサーがぶつかる音が響いたが、セシリアは「荒れてるねぇ」と特に気にした様子もなく彼女の好きにさせている。
やはり彼女に愚痴を聞いてもらって良かった。メイド相手でも良いけれど、彼女達はエリックに雇われている手前「お労しい」と慰める事は出来ても、一緒に悪口は言えないのだ。
今回はそれだけじゃ全然足りないかった。
急な訪問にも関わらず、「どうせ彼の事なんでしょ?」と快く迎え入れてくれたセシリアには感謝している。
セシリアは彼女の方へとクッキーが載った皿を寄せてやりつつ、ボソリと零す。
「どうせ離婚するんだったら、あそこで平手打ちの1つや2つお見舞いしてやればよかったのにぃ」
友人は本当に彼に甘いとセシリアは嘆息する。
彼女の苦悩を友人として見て来たセシリアは、正直エリックへの好感はゼロを通り越してマイナスに振り切れている。
いくら顔が良かろうと金持ちだろうと仕事が出来ようと、だからといって人の心を踏みにじって良い訳がない。
ましてやそうされているのは大事な友達なのだ。
彼女がエリックにゾッコンなのを良い事にあぐらをかいていて。彼女が大事にしたくないから黙っているだけで、本当はずっと腹が立ってしょうがないのだ。
甘やかさずにガツンといくのも大事なのに、当の本人は途端に最初の勢いを無くしてモジモジしてしまう。
「だって離婚までまだ日があるし……。それに彼の顔に手の跡をつけるなんて……」
「レッティたら、本当に彼に甘いんだから」
彼が彼なら彼女も彼女だ。自分はもう匙を投げるしかない。
テーブルに肘を突き、両手に顎を乗せているセシリアは完全に呆れている姿勢だった。
スカーレットだって目の前の友人が真剣に怒ってくれているのは分かるし、自分には怒る権利も叩く権利もあると思っている。
しかし離婚出来るまで8ヶ月以上も先だし、今の時点で彼の綺麗な顔に手形をつけるのは何となく気が引けてしまうのだ。
「まぁ、たまには旦那の事は忘れて遊びに行きましょ!この舞台の初日とかはどう?今話題の役者が初主演を務めるんですって!」
セシリアは話題を切り替えようとしたのか、何処かから貰って来たポスターを机に広げる。大手の劇団の次回作らしく、あらすじの内容も中々面白そうだった。
友人との久しぶりのお出かけに喜ぶのも束の間。その日は生憎とエリックとの外出日だった。
「ごめん。その日は彼との外出があって……」
「あぁ……、まだ続けてるんだぁ……。頑張れ」
まだ胃が痛いイベントは続いているが、今回は彼女の応援のお陰で頑張れそうな気がしてきたスカーレットだった。
しかし夫婦での外出予定日当日、思いがけない事態が発生する。急用が出来たという理由で、突如予定をキャンセルされてしまったのだ。




