第三節 はじめての筋トレ
「じゃあ、最初は軽くストレッチからね」
ユキの声に合わせて、さちは腕や脚をほぐすように動かす。
ハルが横で明るく言った。
「せっかくだから、今日は一緒に簡単なのやってみようよ!」
「え、私……できるかな……?」
さちは不安そうに自分の手足を見つめた。
「大丈夫、私たちも最初は全然だったから」
ハルが笑いながら励ましてくれる。
「じゃあ、まずはスクワット。膝をつま先より前に出さないようにして、ゆっくり下がって――」
ユキが鏡の前に立ってお手本を見せる。
「……こ、こう?」
「いい感じ。うん、上手いよ!」
何度か繰り返すうちに、さちの息が上がってきた。
「ふぅ……けっこう、くるね……」
「効いてる証拠だよ〜」
ハルが笑う。
続いて、マットの上で腹筋運動。
背中を起こしては倒し、また起こす――。
「ううっ……こんなに重かったっけ、自分の体……」
そんなさちのつぶやきに、ふたりはくすくすと笑った。
「うんうん、気持ちはすっごく分かるよ」
すべてを終えたあと、さちはマットにごろんと寝転がった。
息を整えながら、天井を見上げる。
「けっこうきつかったけど……でも、なんだかスッキリしてる」
「筋トレって、終わったあとが気持ちいいよね」
ユキがうなずく。
「またやろうね!」とハル。
「……うん。また、来てもいい?」
「もちろん!」
こうして、さちは少しずつ、新しい習慣に足を踏み入れていくのだった。
その夜、家に帰るとリビングは暗く、テレビの明かりだけがついていた。
「……おかえり、さち。遅かったね」
キッチンから、母の真由美が顔をのぞかせる。
仕事帰りで疲れた表情だったが、笑顔を向けてくれた。
「うん。ハルちゃんとユキちゃんの家で、ちょっと遊んでた」
「そう……」
真由美は一瞬、何かを言いかけて、やめた。
リュックを下ろしたさちは、ふと話したくなった。
「今日ね、ちょっと運動したんだ。トレーニングっていうの、教えてもらって」
「……え?」
真由美の目が少し丸くなる。
「なんか楽しくてさ。筋トレって、つらいだけかと思ってたけど、ふたりと一緒にやったら、がんばれた」
真由美は、ほんのわずかに目を潤ませて、笑った。
「……そっか。さちが、やってみたいって思ったなら、応援するよ。何でも。お母さん、ずっとそう思ってたんだよ」
さちは、驚いたように母の顔を見る。
「本当?」
「うん。本当だよ」
二人は目を合わせて、ちいさく笑った。
それは、さちにとって「はじめて、自分のことを話してよかった」と思えた夜だった。