第五節 静けさのなかで
校外学習の翌週。
チームトレノの4人は、リンの家のトレーニングルームでいつも通りのメニューに励んでいた。
「ねえ、この前のペンダント作り……ほんと良かったよね」
ユキが笑顔で言う。
「うん。あれ見るたびに思い出す。歩いて行ったことも含めてさ」
ハルは首元のペンダントを指先で軽く弾く。
「日本での思い出のひとつって感じ」
リンもうれしそうにうなずいた。
記念写真を見返しながら、博物館の展示や刻印を悩んだ時間も、今ではすっかり笑い話だ。
季節は10月の終わり。日が落ちるのも早くなり、トレーニング後は汗が引くころには肌寒く感じるようになっていた。
「さち、今日は宿題やばいって言ってたよね」
「うん、家庭科……ボタン付けのやつ」
「私、それもう終わったー!」とハルが小さくガッツポーズ。
「じゃあ、そろそろ帰ろうか」
「明日も授業あるしね」
4人は汗を拭きながら荷物をまとめ、玄関へと向かった。
⸻
自宅に戻ったさちは、キッチンで夕飯の支度をする母・真由美の隣に腰かけた。
「今日もリンの家でトレーニングしてきたよ」
「そっか。帰り、寒くなかった?」
「うん……ちょっと寒かったかな。でも、みんなと動いてると不思議と元気になるんだよね」
真由美は微笑みながら、黙ってさちの話に耳を傾けていた。
夕飯を終えると、さちは自室に戻った。着替えもせず、ベッドに腰かけて机に向かう。
家庭科の宿題は、「ボタンを3つ縫い付けること」。
「うぅ……苦手なんだよね、こういうの……」
と呟きながら、針に糸を通す。
ゆっくり、慎重に。一針一針進めるうち、汗の引いた体が冷えてきた。肩に上掛けをかけながら、2時間ほどかけてようやく縫い付けが完了。
「……できたぁ……」
さちは立ち上がり、シャワーを浴びてからベッドにもぐり込んだ。
⸻
翌朝。
「……う……ん……」
目を開けた瞬間、さちは違和感を覚えた。頭が重く、体は鉛のように動かない。
「さち、大丈夫?」
ドアをノックする音とともに、真由美が入ってきた。
「……ちょっと、だるいかも……」
おでこに手を当てると、熱があるのがわかる。体温計は案の定高めの数値を示していた。
「今日は学校、お休みしよう。お母さん、連絡してくるね。冷蔵庫にうどんのつゆと麺、別に入れてあるから。食べたくなったら温めてね。できるだけ早く帰るから……ゆっくり休んでて」
真由美はそう言い残し、仕事へ向かった。
⸻
静かな部屋に、外を吹く風の音だけが響く。
さちは布団の中で、天井をじっと見つめていた。
「……今日は、みんなとトレーニングできない……」
寂しさと悔しさが入り混じり、自然と涙がこぼれた。
嗚咽もすすり泣きもない。ただ、静かに──ぽろり。
いつの間にか眠っていたさちは、昼過ぎに目を覚ました。
「……頭痛、なくなってるかも」
体も少し楽になってきた。空腹を感じて台所へ向かう。
冷蔵庫を開けると、言われた通り、つゆと麺が整然とラップで包まれていた。
鍋に移し、弱火で温める。湯気が立ち上り、食欲をそそる香りが広がった。
丼によそい、箸を取ってつぶやく。
「……いただきます」
つゆのやさしい塩気が舌に染み、柔らかい麺が喉を通るたび、心まで温かくなるのがわかった。
(……お母さん)
責めるでも、押しつけるでもない。
いつもそっと、必要なだけを残してくれる。
支えてくれているのだと、心から感じた。
胸の奥がふわっと熱くなり、気づけば、一粒の涙が頬をすべっていた。
声も出さず、ただ静かに流れるその涙は、
きっと──感謝のしるしだった。
「……ありがとう、お母さん……」
さちは小さく呟き、再び箸を持った。
ひと口、またひと口。今度はしっかりと噛みしめながら。
食べ終えるころには、身体だけでなく、心の中にも少し光が差していた。
⸻
食器を片づけ、部屋に戻る。
さちはベッドの下から水入りのダンベルを取り出した。
「……ちょっとだけ、やってみようかな」
握った手に、戻ってくる力と、そばにいてくれる人のぬくもりを感じながら──
小さく、静かに、呼吸を整える。




