第一節 強くなるって決めたから
七月に入ると、朝の風にほんのり夏の匂いが混ざりはじめた。
スイミングスクールの掲示板には、赤い太字でこう掲げられていた。
「県大会予選:今週土曜、○○市総合体育館プールにて開催」
ハルとユキは、その文字をじっと見つめていた。
強化選手クラスの仲間たちも、どこか緊張した面持ちで言葉少なだった。
「……いよいよだね」
「うん。小学生、最後の大会だもんね」
ふたりは同時に言って、顔を見合わせて笑った。
この大会で上位に入賞すれば、全国大会への切符が手に入る――
しかも、地元テレビ局が特集番組を予定しており、入賞者にはインタビューが入るという。
それは名誉であると同時に、大きなプレッシャーでもあった。
「今、一番足りてないのは、ターンのキレとスタートの加速だな」
コーチはふたりの泳ぎを見つめながら口を開いた。
「練習の中で“勝負の一瞬”をどれだけ作れるか。それが結果に直結する。一本一本、本番のつもりで集中して泳ごう」
「はい!」
「やります!」
真剣なまなざしで、ふたりは力強く頷いた。
その横で、さちは浅いレーンにて、ひたすらバタ足を繰り返していた。
昨日、ついに補助なしで25メートルを泳ぎきったばかりだった。
「さち、今日の泳ぎ、すごく安定してたよ」
ユキが声をかける。
「ありがとう……でも、これからもっと頑張る。だって、ふたりの背中を、もっと近くで見ていたいから」
「うん。私たちも、負けていられないよね」
ハルが微笑む。
大会まで、あと4日。
三人は放課後、いつものようにトレーニングルームに集まっていた。
ホワイトボードには、大きくこう書かれていた。
勝負の週:毎日メニュー + 意識メモ
•スクワット×50
•腹筋×30
•バランスボールで体幹強化
•チューブでキック練習
•呼吸トレーニング(息止め15秒×5)
「お腹の力が抜けてると、ターンが甘くなるって、今日のコーチの話、超大事だよね」
「うん。腰の入りと膝下のタイミングで、水の抵抗が全然ちがうって」
トレーニングの合間にも、自分たちの泳ぎをイメージしながら意見を交わすハルとユキ。
「でも……ひとつ言っていい?」と、さちが口を開く。
「……三人とも、たぶんちょっと顔がこわい」
ふたりは一瞬顔を見合わせ、思わず吹き出した。
「そっか、気合い入りすぎてた?」
「うん。大事な大会だけど、楽しむことも忘れたくないよね」
「……うん。絶対忘れないでいよう」
その日のトレーニングは、いつもより静かに、けれど集中して行われた。
⸻
そして、大会前日。
三人はスイミングスクールの更衣室で、スタート練習の仕上げを終えると、プールの壁に手をかけて、深く息を吸い込んだ。
「私、明日絶対、タイム更新する」
ハルの声は静かで、それでいて力強かった。
「私も。悔いのないレースにする」
ユキがうなずく。
「私も……明日は応援席からだけど、全力でふたりを見てる。そして、いつかそのレーンに立ちたい」
三人はそっと手を合わせた。
「行こう。私たちの、最高の夏に!」
⸻
大会当日。
会場のプールには、大きな横断幕が掲げられ、観客席には応援の家族や関係者が並んでいた。
アナウンスが響くたびに、鼓動が高鳴る。
「第5レーン、白水ハル選手」
「第6レーン、白水ユキ選手」
その名前が読み上げられた瞬間、客席で見守っていたさちの胸が大きく震えた。
ふたりの背中は、まっすぐに、迷いなくレースへと向かっていた。




