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竜皇が一緒。~巫女姫アリアの場合~ 2

「支度出来たわよ」

 アリアの声に、竜の姿で大広間にいた竜皇は、上階へと続く扉を振り返る。

 冬至のこの時期は、窓の外は終日夜。竜皇の魔力で作ったほの白い光球がアリアの姿を浮かび上がらせていた。

 白地に銀と蒼の刺繍を施した布を重ねた巫女姫の正装。髪は結い上げているが、薄絹を垂らし首筋を覆っている。服が違えば動作も変わるらしく、歩みはゆったりとして自信と気品に満ち、大きく広がる袖と床に引いた裾が揺れて、優雅さをかもし出す。


 その姿を見て、竜皇が嬉しそうに目を細めた。

 日頃は竜によじ登ったり、竜皇から逃げて廊下を突っ走ったりして何かと素行に問題のあるアリアだが、意外なことに神託を伝える巫女姫としてはかなり優秀だといえる。

 巫女姫の正装をしている間は、礼儀作法に一部の隙もなく落ち着き払い、威厳さえ感じさせるほど。

 難を言えば、冷静が過ぎて冷淡にすら見え、表情も硬く無表情にすら見えることだが、巫女姫にとって親しみやすさや慈愛は必須の条件ではないので、大した問題にはならない。

 ――普段との落差が激しいだけで。


「すぐに出るの?」

 アリアは巫女姫の乗り物である大きな鳥籠のようなものの入り口に軽く腰掛け、竜皇を見上げる。

『一瞬で飛ぶことも出来る。まだ余裕はあるが』

 早めに城を出るのは、ついでに空から地上の様子を見たり、巫女姫との空中散歩を楽しみたいという程度の意味しかない。

 とはいえ、アリアは空を飛ぶのが好きらしく毎回楽しそうだったはず、と竜皇は疑問に思う。

『行きたくないのか?』

 前回と異なる様子に竜皇が問いかけると、いつもと違う巫女姫としての堅い表情のまま、冷たい視線を返された。


「こんな神託を喜んで伝えに行きたい、って巫女姫がいたら、その人、相当に頭がゆるいと思うわよ」


 予想以上の機嫌の悪さに、竜皇が押し黙る。

 確かに今回の神託の内容は、災害が主だ。春から干ばつ、夏は大嵐。

 大嵐は大陸南部に特有の気象現象で、強い風と雨が海から陸に登り、地上のものをなぎ倒し、吹き飛ばしていく。嵐の只中に、何故か風もなく雲もない区域が現れるのも、酷く不気味だ。大陸の内部に進むに従って勢いを弱めやがてただの雨雲になるが、沿岸では小さな村が消えて無くなることも珍しくはない。

 アリアも南部の出身であり、南神殿も毎年のように何かしら被害を受けているので、その怖さは身に染みている。それがいつもの年より強力なものが来るという。

 竜皇曰く五十年くらい前にも同じようなのがあった、とのことだが、今生きているほとんどの人間にしてみれば、いまだかつて体験したことがないということになるだろう。

 しかし、この大嵐がなければ、川が干上がる程の渇水。

 備える為に神託を授けるのだとはいえ、伝える巫女姫が恨まれそうな内容である。

 まして、今回はアリアが巫女姫になって丁度一年。かつて生活していた神殿への神託になる。

 巫女姫の出身地の神殿は、神殿長をはじめ知人が多い為、他の神殿に比べ巫女姫との距離が近くなりやすい。その地域には家族や友人もいる。それでも、神託に関してだけは他の神殿と平等に扱うことが出来るか、巫女姫の資質を問われるところである。

 家族や友人との縁は、巫女姫になった時点で切らなければならない。かつての身内がいるからと言って、その地域だけ災害を避けられるように便宜を図ってはならないのだ。


『行きたくなければそれでも良いが』

 あまりに気乗りしなさそうなアリアを気遣って竜皇が声をかけると、アリアは盛大にため息を吐いた。

「そうもいかないでしょ。それこそ差別になっちゃうじゃない。多分揉めるの目に見えてるけど。絶対苦情言ってくるのも、無理難題吹っかけてくるのも、むかつく顔が並んでるのも予想が付くけどっ!」

 アリアは拳を固めて唸っている。

 これまでの神託の時ならば、着替えると同時に「巫女姫」としての態度に変わっていたのだが、今回ばかりはどうにも落ち着かないらしい。

 神殿や土地の者が、巫女姫になる前の姿を知っているということは、侮られやすいという面もある。これは、出自や巫女の修行をしていた間の人間関係による所が大きい。

『一応聞いておくと、あまり関係は良くなかったのか?』

「はっきり言って悪いわね。多分『落ち目の地方の小領主の小娘』がいいとこ。あとは神殿の中に限れば『変わり者の巫女』かしらね」

『……どの辺りが変わっていたのか気になるが』

「真面目に修行してたわよ?」

 確かに、巫女姫として申し分なく役目を果たせるのでそれはそうなのだろう。

 しかし、トカゲが好きなことなのか、男嫌いなところなのか、それ以外にもいろいろあるのか、竜皇としても気になる所である。

「さて、だらだらしててもしょうがないし、行きましょうか」

『そうだな』

 竜皇は、アリアの乗った籠を前足に持つと、冬の暗い空に飛び立った。

  


「竜皇様より御神託をお預かりしております」

 神殿に着いてからのアリアは大分落ち着いたようで、いつものように淡々と役目をこなしていく。

 竜皇は城での賑やかなアリアの方がいいと思いながら、大きな災害の予告だらけの神託を受けて、神殿長の顔が盛大にひきつっていくのをのんびり観察していた。

「巫女姫様におもてなしの席を用意してございます。どうぞ、皆にも御神託をお告げ下さいませ」

 アリアは冷淡な表情のまま竜皇を振り返る。

「では、いってまいります」

 巫女姫が神殿長以外の者達に神託を告げるのも、神殿からの歓待を受けるのも、役目の内である。余程の理由が無ければ断れないし、他の三つの神殿では何の問題もなく接待を受けて来たので、ここでだけ断る訳にもいかない。

 竜皇が頷くと、アリアは固い表情のまま神殿長とともに儀式の間を後にした。




 儀式の間を出て、通常の式典が行われる広間に着くと、そこに神官達が並んでいた。

 装束を見る限りではそれなりの地位にあるものばかり。アリアが見知った顔も少なくないが、それ以外は普段は他の神殿に勤めているものなのだろう。

「竜皇様よりお預かりした神託をお伝えいたします」

 いままで神託を伝えた三つの神殿以上に冷ややかな視線を感じながら、不快感を一切表にすることなく、神託を告げる。

 本来は最後まで神妙に聞くべき物だが、途中から神官達がざわめき始めた。アリアは構わず最低限の事を言い終えると、黙って反応を待つ。

「その大嵐は、竜皇様のお力で退けられないものですか?」

 やがて、一人の神官が進み出た。

 アリアも知っている、南神殿の神託を受ける上神殿ではなく、世俗的な面を受け持つ下神殿の神殿長だ。

「竜皇様は、未来を予見し、人に備えるよう忠告を下さるのみです」

 竜皇は、私情で天気を動かすことはない。

 神託に降りる際、雨を止ませることはあるが、それもわずかな間だけのこと。しかし、能力としては可能である為、巫女姫がどうしてもと懇願するならばやらない事もないが、アリアにはそこまでするつもりはない。

「巫女姫を捧げたというのに、慈悲もないのですか?」

「竜皇様は特定の地域のみに便宜を図ることはありません」

「巫女姫は心が痛まないのですか? 生まれ育った土地が災厄に見舞われるというのに」

「私は竜皇様のお言葉を伝えることしかできませんので」

 アリアが全く態度を崩さないのに対し、神官達は苛立ちを露にし始めた。険悪な空気が漂う中、上神殿長が溜め息を吐いて言った。

「巫女姫に贈り物がございます。ご確認を」

 目録がアリアに渡され、貢ぎ物が運ばれてくる。

「これだけの物を受け取っても、慈悲を掛けられないとおっしゃいますか?」

 と、あからさまに代償を要求されるが、貢ぎ物に謝礼をする義理はない。

 元から物欲があまり強くない上に、竜皇の城で目が肥えてしまっているアリアの心を動かすものではない。

「残念ですが」

 ついでに、他の神殿でもらったものより落ちるな、などと考えていたりする。顔には出さないが。

「別室におもてなしの用意がありますのでこちらへどうぞ」




 いい加減面倒だし、神殿の方もやる気が無さそうなので帰ろうかとも思いつつも、これも役目だしとアリアは大人しく従い、通された部屋に違和感を覚える。

 特に何が用意してあるでもない、ただの上客用の応接室。ただし、むせ返るほど強い香が焚かれている。そして、案内してきた女神官が退出し一人残された。

 巫女姫が神殿にいる間は、女神官の誰かが常に付き添うことになっている。そんな規律を平気で破るくらいだから、相変わらず嫌われてるらしい。

 アリアはとりあえず香炉を探して蓋をかぶせた。

 焚かれていた香は「虫除けの香」と呼ばれ、来客の前に虫やその他家の中に入り込む虫や小動物を追い払う為のもの。

 それ自体はもてなしとして当然だが、さすがにこれはきつすぎて、自分が追い払われているような気分になってくる。

 そういえば、実家にもこのくらいとことん焚き染める人間がいたなぁ、などと思いながら、ついでに香りを逃がすべく窓に垂らされた布を持ち上げて風を通す。

 すると、床にのびている白っぽい物体を見つけた。


「あ。ヤモリはっけーん」


 アリアは何のためらいもなく、むしろ嬉しげに、ぐったりしているヤモリを拾い上げた。

 虫除けの香は通常追い払うだけのものだが、今回のように焚き過ぎると、虫や小動物を麻痺させ動けなくさせてしまう。

「逃げ切れなかったのね。かわいそうに」

 穏やかな表情でよしよしと頭をなでてみたりしている姿は、ちょっと異様な光景でもある。幸いなことに周囲には誰もいないが。

 しかし、不意に扉を叩く音が響く。

 アリアは手にしたヤモリをどうしたものかと一瞬迷った後、広がった袖の中にこそっと忍ばせた。

「何方です」

 冷静を装った誰何の声に答えもせず扉が開かれ、入ってきた人物の服装に、思わず眉をひそめる。

 軽装だが鎧。胸に神殿の紋章を飾り、神殿の中でも帯剣を許されるのは神殿騎士だけ。

 しかし、上神殿については竜皇に捧げる巫女を育成する施設でもあるため、男性である神殿騎士は非常事態でもなければ内部までは入り込めないことになっている。

 まして、女性神官を従えず、単身でいる巫女姫の側に寄ることなどありえない。

 男性の神殿長でも一定以上の距離を置くのが礼儀。だからアリアでも拒絶反応を起さずに巫女姫の務めが果たせるのである。


 それなのに。


 騎士――男は部屋に入ると、乱暴に扉を閉めた。

 密室に巫女姫と男が二人きり。

 これもまた、ありえない。


 距離を取りながら、無礼を咎めようと神殿騎士の顔を改めて見て、アリアは一瞬声を失った。

「久し振りだな、ソリス」

「……ユニス」

 固い表情のままアリアがうめく。

「どうしてここに」

「お前が恩知らずだからだろ」

 大股に近づいてくる男から距離を取ろうとするが、壁に当たってしまい動けない。

「……巫女姫を男性と二人きりにすることは、礼に反します。何方か女神官を」

 睨み付けるが、いつもの覇気がない。

「お前が『巫女姫』ねぇ」

 ユニスは胡散臭げにアリアを眺めた。

「大トカゲの趣味は人間には理解出来ないな」

「竜皇に対し無礼にも程があるわよ!」

 ついでに自分にも失礼だといいたいところだが、アリア自身については、確かに特別美人でもなく容姿自体はせいぜい並の上といったところなので、抗議を飲み込んだ。


 しばし無言でにらみ合い、

「帰ります」

男と距離を取りながら、扉へ向かおうとすると、一足早く扉の前を塞がれた。

「そこをどきなさい」

「お前、誰に口をきいてる?」

 扉に背中を預けたユニスに冷ややかな視線を浴びせられ、珍しくアリアがひるむ。

「で? 何の恨みがあってこんな大災害を起こすんだ?」

「起こすんじゃなくて起きるのよ」

「じゃあ止めさせろよ」

「無理」

 巫女姫としての口調が崩れているのに気が付いたが、構っていられない。

「竜皇は神で、お前は巫女姫なんだろ? やれよ」

「出来たとしたってやらないわよ」

「役にたたねぇな」

 ユニスは舌打ちすると、扉から背中を離した。

「神殿長から説得しろと言われたが、まぁ、それはいい」

 アリアが思わず一歩後ずさる。

「神殿に巫女の修行に入ったのは、商品価値を上げるためだったな?」

「……」

「相手が大方決まってたのも知ってるな?」

 アリアが唇を噛んで俯く。

「どう責任を取る?」

「……巫女の修行をしていて、巫女姫になるのに何の問題があるのよ」

 搾り出すように言うと、意外にもユニスはあっさりと頷いた。

「そうだな」

「なら、何の文句もないでしょう!」

 声を荒げるアリアに対し、ユニスはその襟元を指し示した。

「それなら、まぁ、代わりになるだろう」

 掌を差し出してくる。

「それ? って、竜髄石……?」

 アリアの首には、大粒の竜髄石の首飾りが下がっている。

「それを持つものは、王になれるんだろう?」


 竜髄石。竜が時折人間に下賜する、人間の世界にはない宝石。

 古代の竜の骨が宝石になったものとも言われ、深い蒼だが光の角度によっては虹色にも見える。その価値は国ひとつとも、それを持つものは王になれるとも言われるものだが、それ故に争いを呼びやすい。所持を明らかにしているのは竜皇の養い子の末裔と言われるアウテナ王家くらいのものだ。

 実際、とてつもない魔力を帯びている石であり、権力者だけでなく魔術を扱うものにとっても喉から手が出るほどに、所有者を殺してでも手に入れることに何のためらいもないほどに、求められるものでもある。

 しかし、その強すぎる魔力は所有する資格のないものにとっては毒にもなる。

 本来の所有者から奪い取ったものを扱いこなせた例は少なく、むしろ権力への飽くなき欲求を煽り、狂気すら呼ぶ呪われた石とも呼べそうな代物。


 アリアは竜皇の側にいるせいもあって、日頃から身につけていても特に異変はないが、ユニスの無事は保障されない。

「これは、私が巫女姫の証としてもらったものよ」

「昔から、お前のものは俺のものと決まってるだろうが!」

 石に向かって伸ばされたユニスの腕をアリアが振り払う。


 と、袖がひるがえって何かがぽとりと落ちた。


「ん?」

「え?」

 二人の視線が床に落ちたものに向かい。

「うわあああああ!?」

「ああぁ、大丈夫っ!?」

 めいめいに声を上げた。


 床にのびたヤモリをアリアが慌てて拾い上げようとして、金属の擦れる音に気が付いて顔を上げる。

 腰に帯びた剣を抜きかけていると認識したときにはもう遅く、腕で顔をかばうのも間に合わない。

 目を固く閉じる。

 しかし、覚悟された痛みはなく、代わりに金属が石の床に落ちる派手な音が響いた。

『怪我はないか』

 頭に直接響く声は、どこか機嫌が悪い。

「竜皇?」

 助けられたことを理解し恐る恐る目を開くと、ユニスが変な方向に捻じ曲がった手首を押さえて呻いていた。

 剣は床の上にある。

 アリアは、剣を取り上げ部屋の奥へ放り投げると、床にのびているヤモリを拾い上げ、ユニスに突きつけた。


「どきなさい」


 ユニスが引きつった顔で後ずさる。

 更に鼻先に突きつけ、じりじりと扉の前からどかせると、扉を開く。

 廊下に出てから、扉越しに声をかけた。

「恩知らずで結構よ。かといって、復讐もしないつもりでいたけど、竜皇を怒らせたみたいだから、それなりに覚悟するのね」

 それだけ言い残すと、悲鳴を聞きつけて集まってきていた神官達を睨みつけ、悠然と歩き出す。




 以前住んでいた神殿なので、構造は頭に入っており迷うこともない。

 堂々と歩く姿に神官達は道を開けるしかなく、声もかけられずアリアの姿を見送ることしかできなかった。

「巫女姫!」

 しかし、広間に着くと、血相を変えた上神殿長に道を阻まれた。

「帰ります。お勤めご苦労でした。来年まで息災で」

 棒読みで応えて通り過ぎようとすると。


「ソリス!」


 力を込めた声で名を呼ばれた。

 上神殿長は、弱いものだが多少魔術を扱える。巫女姫になる前だったなら、これで動きを封じられていただろう。

 しかし、今は巫女修行中の地方領主の娘ソリスではなく、巫女姫アリアスティアである。そんなものが効くはずもない。

 アリアは無視して上神殿長の前を通りすぎると、竜皇の待つ儀式の間への扉を開ける。

「この度の私への振る舞いに関して、竜皇はお怒りのようですから」

 振り返って広間を見渡す。

「災害が、御神託通りの程度で済めばよろしいですわね」

 ここにきて初めて笑顔を見せると、広間を後にした。




「竜皇!」

 儀式の間では、不機嫌さを撒き散らしながら竜皇が待っていた。

 普通の人間ならば威圧されてしまうところだが、アリアは全く気にせず駆け寄り、胸元に抱いていたものをずいっと竜皇に差し出した。

「飼っていい?」

 竜皇の視線がそれを捕らえる。


 青銀の巨大な瞳と、とても小さな金色の瞳が交錯する。

 そのまましばし沈黙すると、竜皇はがっくりとうなだれた。


『……駄目だ』

「なんでー? 可愛いじゃない」

 アリアが両手でがっしり掴んでいるのは、先程のヤモリ。

 ユニスを脅すのに使ったときから、ずっと胸に抱いて歩いていた。すれ違った神官達にも見えていたが、誰一人口出し出来る状況ではなかったらしい。

 胸元に大事そうに抱くのは小さな花束とかそういうものにして欲しいと、切実に竜皇は思う。

 何故よりによってヤモリなんだろうか。

『南の生き物は、城では寒すぎて生きていけない』

「温室あるじゃない。あれだけ広いんだから、ヤモリやトカゲの一匹や十匹や五〇匹くらいなんてことないでしょ?」

『将来の巫女姫もトカゲを好きとは限らないのだが』

「竜皇のところに来るんだから嫌いなわけないじゃない」

 あくまで竜とトカゲはウロコであるという分類で同列であるらしい。

『とにかく、生き物を無理にもともと住んでいる地域から連れ出すのはよくない。あきらめなさい』

「えー」

『人間以外の動物は、急な環境の変化に弱い。特に鱗の生き物は。死なせたくはないだろう?』

 穏やかに諭され、アリア渋々頷く。

「そうね。大きいの一匹で我慢しとくわ」

 それは私かと竜皇は言いかけたが、口にしてしまうと愛玩動物扱いを認めることになりそうなので飲み込んだ。


「でも、このこ、ずっとぐったりしてるから助けてあげられない?」

『初めは虫除けの香に当たっていたのだろうが、今でもぐったりしてるのはそうやって掴まれているせいだと思うが』

「え、そうなの?」

『足元の日陰になる場所においてやるといい』

 竜皇の言葉通り、足元の石の床にそろりと下ろし少し様子をうかがうとやがて気が付いたらしく、ヤモリは素早い動きで竜皇から逃げるように走り去って行った。

「いっちゃったわねぇ」

『……気が済んだら帰るぞ』

 名残惜しそうなアリアを籠に促す。

 視線を感じてふと振り返ると、上神殿長が蒼ざめた顔で戸口に立っていた。

 機嫌の悪い竜皇に気圧され、それ以上近づけないらしい。

『どうする? この神殿ごと潰しても構わない。手間はかかるが、個別に制裁を下してもいい。例え以前からの知己であろうと、竜皇の代理人である巫女姫への非礼は許されない』

「そうねぇ」

 アリアはやる気なさそうに籠に乗り込むと、ふかふかの敷物の上に落ち着く。

「ほっといていいわ。いろいろイヤなこともあったけど、もう昔のことだし」

『いいのか? 私の気がすまないのだが』

「いいの。帰りましょう」

 竜皇はやや納得がいかない様子だったが、頷き、籠を持つと空に飛び立った。


 神殿では責任問題が持ち上がりかけたがうやむやに処理され、神託に付いても巫女姫の私怨との説が流布し、のちに更に竜皇を怒らせることとなるのだが、それはまだ先のこと。




「ところで」

 機嫌が悪いのでさっさと城に帰り、遅い昼食を取りながら、人の姿になった竜皇が話しかける。

「何?」

 最近は同じ部屋にいても逃げなくなった。

 しかし、距離は扉やテーブルなどの障害物込みで三歩、それがなければ十歩が限界。それでも食事時は、十人は座れそうな縦長のテーブルの端と端で向かいあう程度にはなった。

「あの男は?」

 竜皇の声にトゲがある。

 親しそうだったのも気にかかるが、自分より近い距離まで近づいてもアリアが逃げ出さなかったことも、首飾りを取ろうとするためとはいえアリアに触れそうになったことも、多分ヤモリに向けたのだろうがアリアの至近距離で抜刀したことも、何もかもが気に入らないらしい。

「ああ、話すと長いんだけど」

「是非聞こう」


「一応、兄」


 一言で済ませ、アリアは刻まれた野菜がたくさん入っているスープを口に運ぶ。竜皇の城に来ても、食事は神殿の食事を基本に、質が向上した程度のものを好んでいる。

「……一言で終わっていないか?」

「一応、の説明をすると長いのよ」

「差支えがなければ聞きたいのだが」

 アリアは匙を置くと、面倒そうに口を開いた。

「私の母親は後妻なのよ。でもって、私は母が結婚して半年くらいで生まれているの。まぁ、父親というか母の夫も結婚が決まった後式まで大人しくしてるような人間ではないし、母親にしても親が決めた結婚だから何かしら反抗したいこともあったでしょうから、実際のところは私の実の父親が誰なのかわからないわね。女で将来使い道があるから育てられたけれど、男だったら捨てられてたんじゃないかしら」

 視線を落としたまま、続ける。

「ユニスは母の夫の前妻の子供。私の生まれがそんなだから、小さい頃からよくいじめられたわね。いっつもアザだらけだったし。一応、将来売り物にする都合上、跡が残るような傷にならないように気をつけていたらしいけど」

「……」

 竜皇は眉間に皺を寄せながら、それでも黙って聞いている。

「部屋も、少しは色が白くなるだろうとかなんとか理由を付けて薄暗い湿っぽい部屋だったし、虫除けの香は私の分もユニスに取られてなかったし」

「害虫などは、いなかったのか?」

「ヤモリとかトカゲとかが何匹かいついてたから、食べてくれてたみたいよ?」


 想像してみる。

 暴力を振るう親や兄。薄暗い部屋に閉じ込められ、ヤモリやトカゲと同居。

 少女の育つ環境として、あまり適切とは思えない。


「それで、鱗が好きになるのか?」

 むしろ嫌いになりそうな環境のような気がする。

「だって、部屋にこもっていたら、ユニスは絶対来ないもの。トカゲの類が大っ嫌いだから」

 守られていた、ということになるのだろうか。

 そうは思うものの、あまり納得できない理由ではある。

「それに可愛いじゃない? 触ったらひんやりしてるし」

 やはり根本的な美意識の違いが根底にあるらしい。

「では、男性が苦手だというのは」

「殴られたからでしょうね。ほとんど家に閉じ込められてたから、顔を合わせる男って、使用人か、殴ってくる父と兄か、下心があって入り込んでくるのか、親がそれなりの目的で引き合わせるのか、くらいだったから」

「私はアリアに手を上げるようなことは絶対にしないぞ」


 性別が同じだというだけで一緒にされるのは納得いかないと竜皇は抗議の声を上げるが、アリアは何故か冷たい視線を返した。


「触ろうとするじゃない」

「む」

「下心ないわけじゃないでしょ?」

「むむ」

 返す言葉がなく、竜皇が唸る。

 触れたいと思うから、触れても傷をつけないように人の姿を取るのだ。

 好きだから触れたいと思う。

 別に下心がある、と言うほどではないが、全くないとは言い切れない。

 というより、巫女姫はそもそも竜皇の伴侶であるので、そういう心を持って何が悪いんだとも言える。

「まぁ、害がないことはわかってるんだけど」

「ならば、もう少し馴れてはくれないだろうか」

「まぁ、そのうちね」

「触れたいとは言わないから、まずは同居人として不自然出ない程度の距離を取れないだろうか」

「んー、努力はしてみてもいいわ」

 やる気のなさそうな答えを返し、アリアは何事もなかったのように食事に戻った。


「大嵐」は、台風というかサイクロン。「ソリス」はアリアの巫女になる前の俗名です。

南神殿のある大陸南部は、南~東南アジア的な文化圏の想定。

アリアの容姿も南アジア系なイメージです。

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