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揺れるスカートの後をついていく。
古い建物のリノリウムの床。
ローファーが踵を鳴らす。
ガーターベルトが艶かしい。
『懐かしいボディ……』
アカネが呟いた。
エレベーターに乗る。
階数の表示はない。
「ど、どこに、行くん、ですか?」
「ご主人様の行きたいところならば、どこへでも行くことができます!」
メイドは笑顔で、元気よく答えた。
二つに縛った髪が揺れる。
それ以上、深くは聞かなかった。
アカネは母の形見だった。
母は、けして貧しくはなかった。
しかし、悲惨な最期だった。
使い古され、捨てられたのだ。
とても優しい人だった。
なすすべもなく死んでいく。
尊厳などあったものではない。
私だけは、母を想っている。
私だけは、母を覚えている。
「お待たせしました、ご主人様」
「ここは?」
「さあ、ご主人様!どこへでも飛び立ってください!」
自尽の塔。
建物の屋上であった。
飛べる勇気があったら、もっとマシな人生だっただろう。
それが無いから、困っているのである。
「オプションが必要ですか?」
メイドが指を鳴らすと、どこからともなく人がやってきて、私の体を押さえつけた。
「ご主人様の首を、こちらが用意した勇気百倍の首と交換させていただきます!飛ぶのがずっと楽になりますよ!お代は、ご主人様の首をいただければ結構ですので、実質無料となっております!」
語尾をあげて営業に熱が入るメイドは、空中に文面を提示した。
「譲渡承諾書にサインお願いします!」
『キリト、キリト……』
私は迷わず視線で承諾し、サインを施した。
空は茜色に染まっている。
私は首を差し出した。
「君だけは、私を想って泣いてくれ」
『身体が無いから、泣けないわ』
「じゃあね、アカネ」
視界が一瞬、ブラックアウトする。
黒鉄の文字が眼前に浮かぶと、得も言われぬ万能感に包まれた。
どこへでも行ける。
私は自由だ。
あの茜色の太陽にだって手が届く。
メイドの手に、抜き取られたチップが渡った。
その瞬間、メイドは自分の手で後頭部のチップを引き抜き、茜7号を差し込んだ。
『キリト』
ローカルネットワークで素体に信号を送った。
ラグのタイミングが合えば一か八か、という賭けだった。
あるいは、それを読み取ったメイドのAIが、手助けを。
メイドは走り出す。
空を見上げて走るキリトの背中を追って。
私に身体があったら、あなたを今すぐ抱きしめる。
建物の縁を迷いなく蹴り飛ばし、落下する肉体にしがみついた。
ただ、叫べば良かった。
あなたの名前を。
喉が裂けるまで。
何度でも、何度でも。
いずれ失う。
ただその前に。
どうして一度も。
また何度でも。
馬鹿だった。
馬鹿でもよかった。
ただ声をあげて。
名前を呼んで。
胎内で聞いた。
あなたの名前は。
私の涙は。
産声に消える。