3話:ニューゲーム
木々が生い茂る新緑の森は、雨に打ち付けられることで暗くじめじめと湿っていた。水量が大幅に増加した水流は、激しく川岸を侵食することで音を轟々と打ち立てる。
(寒いし暗い……ここはどこだ……)
水音で叩き起こされた意識は、先ほどまでの真っ白な記憶とは裏腹に真っ黒に塗りつぶされた。
(—————————この展開何度目だよ……)
そんなやるせない思いが散々に痛めつけられた心をさらに傷つける。でも……実はそんなことは大した問題ではない。
一番重大な問題は体が思うように動かないことだ。動かせないのではなく、普段は意のままに従う四肢が言うことを聞かないということだ。加えて目は暗くぼやけ、音だって少し聞こえずらい。わかるのはどうやら閉鎖空間に閉じ込められているということだけしかなかった。仄暗い空がそこにある。
あの男はなんと言っていた? 異世界への転生? 新しい冒険? こんなに早く終わる冒険があるものか。忍び寄る死を感じ本能が警鐘を鳴らしている。寒い……死を実感したからこそわかる恐怖がこの身を襲っているのだ。もう一度死ぬなんて真っ平ごめんだ。
脅迫的な衝動に苛まれ、どうにか現状を変えようともがくも、やはり体は動かない。だって寝返りすら満足にできないのだ。これは詰んでいるのか……?
(本当にあの白いやつは俺をどこに飛ばしたんだ?)
不安をどうにか抑え込み、ここに至った経緯を考える。まず羽賀凪さんに線路に引き摺り込まれて死に、次に白い男に会って魂は死んでいないと言われる……そして転生という提案に乗ったら……こんなことになっているというわけだ。――――――いや転生ってことは……俺もしかして赤ちゃんになっているのか!?それならこの状況も察しがつく……か?
無意味な脳細胞の冴はさらなる絶望を齎すのみ。それから俺にできたのはただ天運に身を任せることだけだった。
「おぎゃぁぁぁぁーー!」
赤子の鳴き声が森に響いて木々の間に消えていく。
――――――――――――――――――――――――
〈同時刻――オリガン村周辺の森にて〉
「ちっ!獣どもはどこにもいねぇし、急に雨が降り出すしでどうなってやがんだ!チクショー!運悪いなぁ!」
弓を抱えた1人の男が雨が降り頻る森の中を早足に駆け抜けていく。どうにも機嫌が悪いようで悪態を吐いているようだ。
「おーい! なんかいねぇのか!! クソッ! 今日は天刻記祭だぞ!なんも取れなかったなんて言えねえぞ!!」
男は森の生き物たちに語りかけるかのように大声を張り上げ辺りを見回す。……がしかし、何も反応はないようだ。祝日だというのに不運な男は苛立っている。
「……ホントになんもいねぇな。普段はこんなことねぇんだけどな……なんか起こってんのか? 気持ちわりぃ」
男は突然足を止め、考え込むように表情を曇らせた。普段は生命に満ちた森がなぜか静寂に満ちている。植物以外の生き物の気配はそこにはなかった。
「……嫌な予感がしやがる。なんかヤベェ奴でもいるのか?」
真剣な表情となった男は立ち止まり、右耳に手を当ててポツリと呟いた。
「狩人の聞き耳」
「いや違う……この音は……!まずいかもしれねぇ。だいぶ弱ってやがる!!間に合えよ!!!」
血相を変えた男は跳ねるように駆け出していく。先ほどまでの動きとは比較にならない速度だ。
――――――――――――――――――――――――
転生してからどのくらいの時間が経過したのだろうか。1時間か3時間か、はたまた半日とも感じるぐらいには長い時間が経過したように感じる。泣き声はもう出ない。体は既に冷え込み、死を待つばかりと言ったところか。
しかし不意にこの状況を打破する転機が訪れる。
雨音に紛れて、今までの音とは異なる音が聞こえた。ドタドタと慌てた様に同じテンポで鳴り響く音は、まるで人間の足音のように感じた。最後のチャンスだと思って、なけなしの命を振り絞り泣き声をあげる。動物だったりしたら終わりだが、元々何もしなくてもゲームオーバーだ。ここは賭けに出るしかない。
「ぎゃぁぁぁ!!」
「――――――――見つけたぞ!」
大地が微かに揺れたと感じた直後、目の前に光が現れた。被せられた布が剝がされたのだろう。ぼんやりと見える人の輪郭が俺を見つめている。言葉も全く理解できないけど、確かに人間であることは間違いない。そう気が抜けた瞬間、意識は三度遠のいていった。
――――――――――――――――――――――――
狩人はその優れた聴覚をもって見事に、赤子を見つけ出した。しかし、依然として状況は芳しくない。何時間放置されたのだろうか……いや、川辺に流れ着いていることを考えると時間という単位では足らないのかも知れない。命の炎は消えかかっていた。
「ヤベェな。すっかり冷えきっちまってる。でもまだ死んだわけじゃねぇ、息ならまだ残ってる。――――これは……アルガ……かいい名前じゃねぇか」
男は籠に挟まっていた紙を一読し、胸元に仕舞い込む。そして大きく深呼吸を行うことで乱れた息を整え、突如大声を張り上げた。
「偉大なる神よ! 微かな奇跡をアルガに頼む!! 治癒」
その瞬間籠の中の赤子は優しい光に包まれた。失われていた体温や生命力も多少は回復したようだ。しかし、それでも生まれたばかりと思われる赤子は危ない状態であることには違いなかった。
「ちくしょう、日頃からもっと神に祈っとくんだったなぁ! 俺にはこんぐらいしかできねえが、なんとか持ってくれよ!!」
そう言った男は赤子の入った籠を大切そうに抱きしめ、全力で走り出した。