08 過去(1/2)【ヴェルディーン視点】
ヴェルディーン視点の過去話です。
ヴェルディーンが結婚相手と初めて会った時、相手は死の床にいた。
紫に腫れた顔の大半は包帯で覆われ、喘鳴交じりの荒い息をしていた。
◇◆◇◆◇◆
24年前、ヴェルディーンは双子の妹ネルフィアと共にウェルツ国の国王の子として生まれた。
黒髪と藍色の目の双子は美しく聡明で、周囲に愛され同じようにすくすくと育った。世界は瑕疵なく調和して見えた。
やがて教育が始まり、二人並んで同じ授業を受けるようになると、世界の軋みを感じるようになっていった。
法的にはヴェルディーン殿下とネルフィア殿下の王位継承権は同格一位。
故に、王妃ヘルガは二人に同等に王位継承者としての教育を施した。
二人にとってはそれが当たり前だった。
二人の周囲の教師や世話係も王妃の命に従い、二人を同格として扱うよう振る舞った。しかしその言動の端々で、男子であるヴェルディーンが次期国王で決定事項であると認識していることが感じられ、二人は困惑した。
世界が調和しておらず軋みがあることに気づいたのだった。
王妃はこの国より人権意識が進んだ国の出身で、属性や性別にとらわれず本人の意思や能力や適性で職業を決めるべきとし、国政にも影響を与え数々の改革の後ろ楯となった。
騎士団は男性のものという概念を覆し女性で構成される白の騎士団を設立したのも彼女だった。これは特に、性犯罪やDVなど女性が被害者になりやすい犯罪が握り潰され辛くする効果があった他、女性の地位を向上させた。
国王は力に沿って流されやすい人で、元は保守派の側近に同調する傾向が強かったが、ヘルガ王妃を迎えてからはヘルガ王妃に同調することが多くなった。
既得権層のによる搾取が大きかったこの国はいくつも改革が行われるようになり、搾取される側の弱者たる平民達からはヘルガは賢妃として称えられるようになった。
王妃は多くの功績があり、確実に大きな前進をさせた人だったが、当然ながら一人で世の全てをすぐ変えられるものではない。世にある従前からの理不尽や差別が多く蔓延したままであることも事実だった。
彼女はそれも理解しており、それでも目を逸らさず努力を続けた。
その姿勢は一貫しており、我が子についても、二人に同等の教育を与え、女子ネルフィアが王位につく可能性も男子ヴェルディーンと等しくあるという扱いを徹底した。
この国では女性が王位や爵位を受けることを法的に禁じてはいない。
しかし王位や爵位を与える意思決定者が全員男性なので、俺達が嫌だから女性には与えない、という俺達の不文律が法より絶対だった。
対外的には「この女性はこちらの男性より劣っていたから総合的判断」という透明性の欠片もない根拠で正当化された。(後年のクレシュの爵位授与は極めて稀な例外だった)
意思決定者が偏り、透明性も中立の外部監査機関もないブラックボックス人事などこんなものだ。
8歳になった頃、ヴェルディーンは不満を覚えるようになった。
相変わらず母は二人を同格であるかのように扱い、周囲にもそれを求めた。しかしそれは、ネルフィアは実力にそぐわぬ優遇を受け、自分は不当な扱いを受けていると感じられた。
ネルフィアと自分は、知識の把握を確認する試験の点は若干ネルフィアが上だったが、論文記述や教師との問答ではヴェルディーンの方が遥かに点が高かった。
やはり女の子は言われたことを丸覚えすることはできても、自分の頭で考えることは苦手なのかもしれないと思った。
父の周囲の重臣も、ヴェルディーンに対しては聡明で次期国王に相応しい力があると誉めたが、ネルフィアに対してはそうではなかった。やはり大人達の評価でも、自分の方が上なのだ。
ヴェルディーンの周囲の貴族の少年達も言った。
ネルフィアはただの女の子に過ぎないのに王位を狙うなんて身の程知らずだ、そんなのを真に受けているヴェルディーンはちょっと抜けていて世間知らずだ。
同年代の少年達に揶揄されて、彼は酷く恥ずかしく悔しい思いをした。これは母上や増長した妹のせいだ。
ヴェルディーンは母の部屋へ行きこれらを論理的に説明し、女の子ばかり甘やかすのと公正とは違う、正当な評価と扱いをすべきだと訴えた。
隣にいるネルフィアが顔を真っ赤にして怒って色々言ったが、もう相手にする気にはなれかったので耳に入れなかった。
母は冷たい目で言った。
「情けない」
耳を疑った。公正で知られる母は、筋の通った話をすれば必ず聞き入れてくれる人だったのに。
そして言った。
「ネルフィア、ヴェルディーン。これから1ヶ月、入れ替わって暮らしてみなさい。他の者には内緒で」
母の奇妙な提案は即日実行された。
まず、ネルフィアの髪が切られヴェルディーンと同じ肩で切り揃えた髪型になった。
まだ8歳で男女の特徴もなく、二人共母親似の同い年の兄妹。そして生まれた時からずっと一緒にいて影響し合っていたので表情や立ち居振舞いもよく似ていた。服を互いのものに替えればそっくりだった。
多少違和感があっても、そんな奇妙なすり替えをしてるとは思われもしないので気付かれない。
実は5歳位まではこんな入れ替えのいたずらをして周囲の反応を楽しんだことはあった。しかしこんなに大きくなってまでやるとは。
鏡の中の、ドレスが似合いネルフィアにしかみえない自分の姿にヴェルディーンはがっくりした。
入れ替わりの生活を始めて数日で、ヴェルディーンはおかしなことに気付いた。
周囲の者の自分への反応が少し違う。初めは気のせいだと思った。しかし日を重ねていくうち気のせいではないと認めざるを得なかった。
始めに明確に危機感をもったのは、授業で点を取れなくなったことだった。得意な筈の自由記述や問答でもネルフィアに敵わない。
今までと同じように答えているつもりなのに、教師の反応は芳しくなく、論理が不足している、飛躍しすぎている等散々だった。
一方ネルフィアの回答は、教師が熱心に耳を傾け、些細な不足を指摘することはあっても全般に高い評価を受けた。
それでいて、知識を問う試験ではネルフィアが少し上といういつも通りの結果だった。
父の周囲の大人の反応はより顕著だった。男物の服を着たネルフィアを尊重し、ドレスを着たヴェルディーンを礼儀正しく軽視した。
初めは、彼らが誉めているのは「ヴェルディーン」で、彼の過去の実績を評価しているのだと思おうとした。
しかし彼らは、世情や施策についてのネルフィアの見解に感銘を示し、ヴェルディーンの意見には、実力を伴わず自分が前に出ようとばかりするのは誉められたものではない、もう少し弁えることを覚えた方がいいと、揶揄を含んだ失笑と共にあしらわれた。
悔しくて悔しくて、でも入れ替わりは誰にも内緒なので愚痴を言う相手がおらず、仕方なく夜にネルフィアの部屋に突撃した。
教師や父の重臣達の理不尽な扱いへの怒りをぶちまけた。
ネルフィアは大人びた苦笑を浮かべた。
「うん、ヴェルディーンは初めて気付いたんだね。それが私がいつも受けている扱いなんだよ。どれ程苦しいか、やっと分かった?」
思わず顔を上げた。
「私、今までもヴェルディーンに、こんな扱いされるって話したこと何度もあるんだよ。
でも、彼らは正当な評価をしてるだけだ、女の子だからって甘えちゃいけないってヴェルディーンは言って。
ヴェルディーンは覚えてないんだろうね」
ネルフィアの肩が震え、顔が歪んで涙が落ちた。
その通り、ヴェルディーンは覚えていなかった。
妹はずっと何年も、こうして日々尊厳を踏みにじられていた。彼は隣にいたのに見えていなかった。
彼女は一番親しい自分の片割れにその苦しみを打ち明けた。なのにヴェルディーンは信じずにネルフィアこそが理不尽だと一蹴した。
それも、ヴェルディーン自身覚えていない位、彼女の話を軽視して。彼女の尊厳を軽視して。
ヴェルディーンはそれをやっと自覚して打ちのめされた。
「ごめん」
ヴェルディーンは深く頭を下げた。小さな拳を固く握りしめ、そこに涙の粒が次々落ちた。
「ごめん。ごめん。ごめん」
二人は抱き合って泣き続けた。
それからヴェルディーンは変わった。
母にも、自分が何を間違えたか、どう自分を変えていくつもりか伝えた。公正な彼女は今度こそ彼に微笑んだ。
そして、これは認知の歪みという社会に広くみられる心理であることや、適正評価の確保のためには評価者の恣意が入らぬようにするシステムの導入や外部からの監査や罰則などの手法が必要といった話をした。
爵位授与や官僚の採用昇進等の適正化も、この改革なしには進まないとも。
母の母国ではこれらの対策がずっと進んでいるそうだ。
例えば授業では、知識が身に付いたかのペーパー試験は結果が実力のまま出るが、論述や口頭問答等、評価者の胸一つの評価はバイアスが入り不適正評価の温床になりやすいとも。
以後、授業の論述試験は二人の名前を記載しないで採点するよう方式を変えたら、点はネルフィアの方が上だった。
ヴェルディーンはずっと上げ底で高く評価されてきた分、ネルフィア程には勉強していなかったのだ。ヴェルディーンは慌てて勉強時間を増やした。
以後、二人は互いの価値観を共有し寄り添い意見をぶつけあう、得難い同志となった。
ヴェルディーンは女の子のように髪を伸ばした。「入れ替え」のためにネルフィアに髪を切らせてしまった謝罪の意味でもあった。ネルフィアも伸ばしたので、その後も髪の長さが同じ時は何度も「入れ替え」をした。
自分や周囲の認知の歪みを観察しパターンを理解し、そうしたノイズを除きながら世界を見るよう自分を訓練した。
すると、今まで何で見えていなかったのか、と驚く程の女性への不当な貶めや男性を底上げして評価する構造が見えるようになった。
今まで見えなかった方が不思議だった。一度構造を理解してしまえば、男の子の姿のままでも見える。
やがて成長して「入れ替え」ができなくなってもヴェルディーンが髪を伸ばしているのは、この体験を忘れないという誓いだった。
……その美しい長髪は、繊細で中性的な彼の顔立ちによく似合ったので、メイド達にも大変喜ばれたのは別の話。
今回のエピソードはヒントになった欧米メディアの記事があります(以下概要。うろ覚えご容赦下さい)。
ある男性が、仕事相手から貰ったメールに違和感を感じて調べたら、先に送った自分のメールを同僚女性の署名のメールアドレスで送ってしまっていたミスに気づいた。
興味を持ち、その後暫く同僚女性と署名メールアドレスを交換して仕事をしてみた。
すると、自分相手にはいつも「あぁ、貴方の仰る通りです」とすぐ了解し仕事を先に進める相手でも何かと文句をつけてきて、その対応に追われた。
何日も経ちいつもなら仕事を終えている頃になっても、沢山未消化の仕事が残っている有り様だった。
自分は普段と変わりなく仕事をしており、唯一違うのは署名が女性名であることだけ。
その間、男性名のアドレスを使った同僚女性は快適に早く仕事を進めていた。
いつも同僚女性は自分より仕事が遅くて、それは自分の方がこの仕事のキャリアが長いからだと思っていたが、そうではなかったのだ。
何より自分にとってショックだったのは、自分は初めてこうしたことに気づいたのに、彼女にとっては昔からあるいつものことであり、それも仕事のうちと受け止めていたことだった。
以後、自分は考え方と行動を改めた。




