14 拭暁
ドンドン。
地下階入口と使用人通路の境にある戸が叩かれた。戸の前には物を積んでバリケードにしている。
ヴェルディーン達に緊張が走る。
ヴェルディーンは音を立てぬよう戸の近くへ進む。手には剣。嗜み程度でも剣の心得があるのはここでは自分だけだ。これは自分の役目だ。
戸の外に耳を済ませる。すると、信じられない声がした。
「私はクレシュだ。そこにヴェルディーン達はいるか?」
まさか。彼女はまだ数日は帰って来ない筈だ。しかしこの声は彼女だ。
--期待しすぎて幻聴を起こしているのか。
「屋敷の襲撃者は全て倒した。もう大丈夫だ、出てきてくれ」
慌てて使用人達も集まりバリケードを緩めた。細く開けた隙間から確かにクレシュであることを確認すると、凄い勢いでバリケードを取り除いた。
「クレシュ……!!」
「ヴェルディーン、無事だっ……」
「怪我しているじゃないか!」
感動の再会はヴェルディーンの悲痛な声で霧散した。
確かにクレシュはボロボロだった。いかに強くとも、2対1で数戦すれば傷は負う。しかしクレシュの認識ではかすり傷ばかりだ。
全体にボロボロなのは、長時間馬を走らせた埃や疲労のせいも大きい。
「大したことはない。それよりヴェルディーンは無事なんだな?皆も」
「無事だよ。--あぁすまない。皆、よく頑張ってくれた。外に出てくれ」
ヴェルディーンは後ろを振り返って皆に言い、そして彼らが気を使わぬよう、自分達が先に立ち階段を抜け地上階に出た。
人々は暗く狭い空間から解放され外の空気に触れ、安堵のため息を吐いた。
使用人の数人は特に急いで走り去った。地下には手洗いがなかったため、切実な危機が訪れていたのだった。
時刻は日の出前だか、空は既に薄明るい。ディアはルーゼル団長の元へ報告と犯人回収の要請に行ってくれた。
ヴェルディーンはクレシュの手当てを主張したが、最低限の安全確保ができてからだと彼女は拒んだ。こうした判断は彼女の方がプロなので従うしかない。
クレシュはヴェルディーンと使用人有志達の手を借り、カーテンのタッセル等で取り急ぎ拘束していた侵入者達を縄でしっかり拘束し直し、地下の薪置き場へ監禁する。何せあそこは丈夫で、何かをしっかり仕舞うのに良い。
更に、庭の武器を回収して木箱に集めて回る。白々とした朝日の中、点在する武器を落ち穂拾いのように集める様はシュールだ。
道に繋いだままだった馬は厩番が迎えに行ってくれた。影の功労者には、新鮮な青草のみならず角砂糖も与えられ労われた。
それからやっと、ヴェルディーンはクレシュを休ませることに成功した。
女性使用人が手当てをしてくれて、体の汚れを落とし清潔な部屋着に着替えさせられた。
「いや、すぐ騎士団から人が来るから、制服を…」
「一番休まなければならないのは貴女だ。2日半の道をその半分で飛ばしてきて、そのうえ徹夜であれだけの戦闘をしたんだ。騎士団の人も分かってくれる。応対はまず私や他の者でやる。きっと後で貴女にも出てもらわなければならないけど、今はまず食べて眠って」
クレシュの部屋も荒らされていたので、無事だった客間のベッドへ叩き込み、スープを渡す。
眠る直前なので栄養はあるが消化のよいものだけだ。
ヴェルディーンや使用人達も大半は一睡もしていないので仮眠が必要で、その前にと料理人達が大急ぎで作ってくれた。
潜んでいた地下階には食料貯蔵庫があったので、チーズやハムなどを夜食に食べることができたが、温かいスープは緊張で疲れはてた皆の心を癒した。
なお、使用人部屋は戸の鍵は壊されていたものの殆ど荒らされておらず、彼らは自分の部屋で眠ることができた。
犯人の目的が金品でなくヴェルディーンだったので、隠れ場所がない程小さな使用人部屋は戸さえ開けば一目で彼がいないことが分かるので、荒らす必要がなかったのだ。
ベッドに座ってスープを飲むクレシュにヴェルディーンは頭を下げる。
「助けに来てくれてありがとう。こんな言葉で言い表せない位、感謝している」
ヴェルディーンが拐われ、歪んだ政争の傀儡に使われていたら。使用人達が傷つけられたら。
そう思うだけで背筋が凍る。ヴェルディーンのそんな絶望をクレシュは魔法のように打ち砕いた。
それを可能にしたのは、彼女の聡明さと、騎士として鍛え上げられた力。それは彼女自身が人生の中で築き上げてきたものだ。
そんな彼女をヴェルディーンは尊敬して止まない。
「天から遣わされた守護天使に思えたよ。我らが勇者はいくつ奇跡を起こすんだ」
「大袈裟な」
クレシュは真っ直ぐな賛美を受け、照れ臭さを苦笑で誤魔化した。
クレシュは満たされた気持ちになる。彼がこんな人だから、自分は力を発揮できた。
クレシュが戦うことを、ヴェルディーンは否定しない。
危ないから、女性だからやめろと、クレシュの人生や技量を無邪気に否定するようなことを決して言わない。ましてや、男の自分より活躍すると不機嫌になるということも絶対にない。
クレシュがクレシュそのものである本質を、彼は当たり前に受け入れ肯定し、心から称賛してくれる。それがどれ程クレシュに力を与えてくれることか。
「こんなに早く帰って襲撃に間に合って、しかもこれだけの戦果を上げて。十分奇跡だよ」
「間に合わないかと私もハラハラした。間に合ったのは幸運だった」
クレシュは、出張先でヴェルディーン誘拐計画を知り急遽帰還したことを話した。
自分が襲撃されたり毒が盛られた話は関係ないからしなかったが、これは後に、何故話さなかったと彼から散々叱られることになった。
「クレシュにばかり戦わせてすまない」
ヴェルディーンが痛みの籠った声で言う。彼女が戦っているすぐ傍で自分は隠れていたと知り、彼は落ち込んだ。
あの時外の様子を知りようがなかったとはいえ。いや、行っても足手まといだったかもしれないが。
「いや。ヴェルディーンの『戦わない』という戦いは見事だった。被害者なし。皆を隠してくれたお陰で、私も誰かが傷つく心配なく思う存分に戦えた。それは大きい。これは共に勝ち取った勝利だ」
非戦闘員にとって、敵襲の中で耐え続けるのはとても厳しいことだ。よく皆を統率し守りきってくれた、と労うと、ヴェルディーンは「勇者に誉められると自惚れそうだ」と微笑んだ。
「クレシュと、もう二度と会えないかもしれないと思った」
ヴェルディーンは静かに目を伏せる。
襲撃者の目的は分からなかった。ヴェルディーンは、殺されるかもしれないと覚悟した。生きたまま誘拐されても、その先自由に過ごせる日々は戻らないだろう。
「人間、いつ何が起こるか分からないし、言いたいことは普段から言っておかなきゃと痛感した」
「そうだな」
クレシュは武人で危険な仕事も多いから、その気持ちはよく分かる。無口な割に意外と率直な物言いをするのもそのせいかもしれない。
「クレシュ、愛している」
「……」
クレシュの頭が一瞬真っ白になった。理解が追い付かない。
ヴェルディーンは真剣な眼差しでクレシュを見つめて言った。
「実質的に独身のままでいい、と約束して結婚して貰ったのに申し訳ないけれど、私はクレシュのことが好きになってしまった。
誠実で真っ直ぐで、世界にも私にも沢山の奇跡を起こす貴女を、心から尊敬していている。とても大切な存在だ。形だけでなく、私は貴女の伴侶でいたい」
クレシュは感情が表に出にくい。無表情のまま凍りついて、顔色も変化に乏しい。しかし心の中は大荒れだ。
ヴェルディーンが襲撃されると聞いた時、冷静を心がける自分が激情のままに怒鳴り付けたのと同じ位、大荒れだ。
--あぁそうだ。自分もまた、彼のことが大切で大切で仕方ないのだ。
そうか、きっとこの気持ちは、彼と同じなのだ。
「できれば、貴女にも私をそんな対象に思ってもらえたらと願う。--今は無理でも、ゆっくり考えて貰えないか」
クレシュの沈黙を困惑と捉え、いつものように穏やかな笑みを作って逃げ道を作ってくれる。--全く、この人は。
「私もだ」
「え?」
「私も、ヴェルディーンを大切に思っている。その、伴侶として生きていけたら、私も嬉しい」
クレシュはこうした言葉が得意でない自覚はある。しかし、ヴェルディーンが心を預けて大切な言葉を伝えてくれたのだから、自分も応えねばなるまい。
自分よりクレシュの気持ちを尊重して引いてくれた、優しいこの人を大切にするために。
「本当に?無理してない?」
「していない」
「私のことが好き?」
クレシュは口を開け、その言葉を言おうとしたが、パクパクするだけで何故か声にならない。普段の自分の語彙とかけ離れすぎて、脳が混乱しているようだ。
もう少し、こう、脳に馴染むまで時間が欲しい。
ヴェルディーンはその様子を見て察してくれたらしい。本当に、人の心の機微に敏い人だ。彼はクスリと微笑んで言う。
「じゃ、何も言わなくていいから。抱き締めてもいいかな?」
ぎこちなく頷くクレシュを、ふんわりとヴェルディーンが抱き締める。
筋肉の塊で、ちょっとやそっとでは壊れなさそうなクレシュの大きな体を、そっと、卵を綿でくるむように大切に。
一度は失うかもしれないと恐怖した、互いの温かい体温を感じ、心にじんわりと染み入ってくるものがある。
おずおずと、クレシュも不器用にヴェルディーンの背中に手を回す。
ヴェルディーンは嬉しくて、その感触を背に感じながら微笑んだ。
折角のいい展開の後に恐縮ですが。
作中の時代のヨーロッパだと、トイレは室内用便器が一般的です。
なので、地下に室内用便器を持ち込めばよかったのでは?と思う方がいらっしゃるかもしれませんが、そこは創作結界を張らせていただきます。




