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13 月光

 クレシュが自分の屋敷に着いたのは、日付が変わって暫く経った頃だった。

 月は真円に近い筈だが、雲が厚く辺りは暗い。しかし雲が速く流れていて、時に雲間から月明かりが射す。

 馬を替えたり休ませたりする時に仮眠や休憩をとる以外は、水も僅かな携帯食も馬上で摂った強行軍だった。

 しかし体力より精神が消耗しているように感じた。ヴェルディーンの安否が気にかかり、胸が焼かれる様だった。

 屋敷の門が視界に入ってすぐ異常に気付き、その場で馬から降りて道沿いの立ち木に繋ぐ。

 道の脇には子供が跨げる程の細い水路があり、駆け通しだった馬はすぐ水を飲み始めた。労うように軽く2度首を軽く叩くとクレシュは静かに門柱に走り寄った。


 やはり門にいる筈の護衛がいない。更に、門から見える玄関にも。

 何日も前にヴェルディーンが連れ去られ不在になったからと護衛が引き上げられたのか、今まさに屋敷で何かが起こっているのか。

 屋敷側からも門は丸見えなので、念のため門は避け木立に隠れた塀をよじ登って庭へ入る。

 茂みに隠れて窺うと、屋敷のいくつかの部屋で微かな灯りがチラチラ動く。カンテラか何かだ。

 普段、真夜中に複数人がこんな風に動くことはありえない。クレシュは息を飲む。

 --今、襲撃者達がここにいるのだ。

 肌が総毛立った。


 緊張し逸る心を深呼吸で落ち着かせる。

 どうするのが最善だ。

 中の様子は分からない。敵は何人でどこにいる。ヴェルディーンや使用人達はどこにいる?人質にとられていたら?それとも既に危害を--。

 一人で乗り込むより、救援を呼びに行った方が確実か。しかしその間にもヴェルディーンや他の誰かが傷つけられたら?--情報が足りなすぎる。

 高速で様々な考えを巡らすクレシュは、不覚にも近づく者に気付かなかった。


 はっと気付いた時には、相手は近くの木からクレシュの前に飛び降りた。

 雲の隙間から射す月明かりが僅かに辺りを照らし、暗闇の中に相手の姿を浮かび上がらせる。

 黒い服でトラウザースを履いているが、シルエットは女性に見える。

 結い上げた髪は赤い癖毛。

 暗くてよく見えないその顔の口元が、ゆっくり弧を描いた--



◇◆◇◆◇◆


 屋敷の中、侵入者のリーダーは焦っていた。

 ヴェルディーン殿下はどこに消えた?

 殿下はおろか使用人すら一人もおらず、屋敷はもぬけの殻だった。

 そんな馬鹿な。護衛達が引き上げる前も後も屋敷には見張りをつけていた。下男らしき者が一人外出しただけで、あとは全員屋敷にいる筈だ。


 まずはヴェルディーン殿下だけ密かにお連れする予定だった。しかし殿下は部屋に不在で、家捜しせねばならなくなった。

 これもまた難題だった。鍵がある部屋は全て鍵が掛けられていたのだ。どの部屋に匿われているか分からない以上、一つ一つ鍵を破って中に入らねばならなかった。隠し部屋の存在も疑って家具の後ろまで捜さなければならない。時間ばかりがかかる作業だ。

 そして、使用人部屋にすら全く人がいないことに気付き愕然とした。

 --計画が漏れていたのか。最早、一旦引き上げるべきか。

 しかし一度襲撃が失敗すれば、警護は強まり襲撃未遂事件には捜査の手が伸び、二度目の実施は困難を極めることになる。


 逡巡しながらも捜索の手を止めないリーダーの耳が、男の微かな悲鳴を捉えた。

 ここからいくつか離れた部屋からだ。そして剣戟の音、何かが倒れる音。

 12人のメンバーは2人組で屋敷の各所に散って行動している。音のあった部屋に駆けつけると、仲間が2人倒れていて、彼らの持っていた筈の剣はなかった。開いた窓でカーテンが靡いていた。

 ……何者だ?!

 今、自分が来た廊下に人影はなかった。窓か。窓に駆け寄り外を見るが、仲間を襲ったであろう者の姿はなかった。


 更に、斜め上方の部屋から剣戟の音がした。2階か?! 遠回りになるが階段を駆け上がって愕然とした。2階の廊下にも仲間が2人倒れていた。いつの間に。

 その脇をすり抜け、先程音がした部屋に踏み込む。

 その部屋は広く取った窓から煌々と月明かりが射していた。速く流れる雲は丸い月の姿を露にした。


 その月を背に、バルコニーに足を掛けている人影。

 肩程の長さの髪は銀色で緩く波打ち、月の光を透かし輝いて、荘厳な獅子の鬣を思わせる。

 逆光になった顔の中、月明かりを弾く銀色の目だけが爛々と輝いている。その左頬に傷。

 

「クレシュ……!」

 彼は呻いた。遠い出張先にいる筈のこいつが何故。

「……ほぅ」

 クレシュは彼に気付くと、バルコニーの縁から足を下ろしこちらに向かって歩いてきた。その仕草に隙はなく、右手には剣。

 リーダーが視線を走らせると、部屋には仲間が2人既に倒れていた。彼女は屋敷のあちこちで彼らを各個撃破して歩いていたのだ。

 今回はバルコニーから侵入し、また外へ戻ろうとしていた所へ彼が出くわしたという訳だ。


「そろそろ気付かれると思っていた」

 クレシュはまだ歩みを止めない。彼は一歩下がりかけ、しかし思い直し剣を握る。

 --そして激しい剣戟。

 彼は打撃の重さに呻く。勇者の称号など、運に恵まれたに過ぎないと思っていた。たかが女。なのにこの重さと速さは何だ。

 互いの位置が入れ替わり、彼が窓側、クレシュが廊下側になる。

 クレシュの背後、廊下に仲間が見えた。行動は2人組。リーダーと組んでいた者が追いかけてきたのだ。

 彼がクレシュの背後を狙おうとしていることに気付く。--そうだ、今だ。


 と、その仲間が突然床に崩れ落ちた。

 仲間の背後、廊下の奥から現れたのは赤い癖毛を結い上げた黒服の女。

 それらの様子に気を取られていた彼の剣を、クレシュの剣が弾いた。

 一瞬その剣に気を取られた時、鳩尾に強い衝撃を受け、彼の意識は暗転した。



◇◆◇◆◇◆


「ディア、いい仕事だ」

 クレシュは男の鳩尾にめり込ませた足を軽く振って床に戻した。

「ありがとうございます」

 ディアと呼ばれた赤い癖毛の女性は、慣れた様子で男の体からいくつもの隠し武器を探し出し、男の剣と共に庭に投げ落とす。

 敵は取り急ぎ武装解除しておかないと危ないが、回収した武器を持ち歩く余裕もない。あちこちで庭に放り出した武器は後で早めに回収しなければ。


「戦闘はお任せしてすみません。専門は諜報なので戦闘は不得手で」

「いや、さっきのはいい蹴りだった」

 クレシュは自分の背後で行われた一幕も目の端に捉えていた。綺麗な回し蹴りだった。


 赤い癖毛の女性--ディアは白の騎士団の諜報部員だった。以前から、屋敷内にヴェルディーン殿下に害を為す敵対勢力の者がいないか調査任務を受けてこの屋敷にハウスメイドとして潜入していた。

 今回のことは本来任務と異なるが、クレシュの補佐としていい仕事をしてくれた。

 敵の規模、2人組で分散していること、人質はおらずヴェルディーンが使用人全てを引き連れ地下階に籠城しており当面安全が確保されていることなど、貴重な情報をもたらしてくれた。

 それなしでは、クレシュもこの大立回りはできなかっただろう。

 ディアとしても、一人で対応しきれない状況にやや途方に暮れていたので、クレシュが帰還し庭に潜んでいることに気付いた時には天の助けかと喜んだという。


 また、駆け寄ってくる足音がする。銀髪と赤髪の2人は、再び身構えた。

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