6th
「ティアナ、本当に行くのか?」
「そうだ、ティー・・・、危なくないか?」
ヴェルナーと約束してから数日、ついにその日はやってきた。
レネット家は朝から父と兄が騒がしくしている。
「父上、兄上・・・。姉さまも年頃というやつなんですからいいじゃないですか」
一番下の弟、ベルンハルトが面倒くささを含んだ声音で二人を宥めようとする。
「ベルンハルト! お前は姉が心配ではないのか!?」
「そうだぞ、ベルン!! ティーが変な男の毒牙にかかってもいいというのか!?」
「いや、宰相様が変な男のはずないでしょう・・・」
ちなみに、このやりとりはすでに数度にわたって繰り返されている。
ベルンハルトが面倒くさそうに対応するのもある意味仕方あるまい。
「あなた、いい加減になさったら?」
「!!」
そしてそこに母であるエリナが登場した。
そのこめかみに青筋が立っていることに気付いたステファンは、一瞬で顔色を悪くする。
「しかしだな、城で手伝うことは了承したが・・・未婚の男女が二人きりで外出するなど・・・」
「あら? 私、あなたに幾度も連れ出された記憶があるわ・・・気のせいかしら?」
「っ」
「そうよ、アルだって私と何度もデートしたじゃないの」
そして追撃するようにアルベルトの妻であるサーシャも重ねて言う。
「だ、だが!! 宰相殿とティアナは恋仲でもなんでもないのだぞ!?」
「私たちもそうでしたわよね?」
足掻くようにステファンが言うも、エリナに即撃沈される。
「まったくもう、ベルンのほうがよっぽど理解があるのに・・・」
「母上、兄上と父上はすこし過保護すぎませんか」
「そうねぇ・・・まったくもう、ティアナだっていつかはお嫁にいくのに」
「っ・・・ティー! ティーはお父様と結婚すると言っていただろう!?」
「いくつの時の話ですか」
ベルンハルトの冷たい突込みがステファンに入る。
「ティアナ、お兄様とずっと一緒にいるって言っていたろう!?」
「あら、なら私は他の方と一緒にいればいいのかしら?」
「!! ち、違うんだ、サーシャ!!」
「・・・」
ティアナは、混沌とした家族を見ながら心が温かくなるのを感じた。
普通の貴族であれば、宰相であるヴェルナー・クライスに誘いを受けたと聞けば一も二もなく落としてこいと言うだろう。
宰相との繋がりを欲する貴族は山のようにいる。
それだというのに、この家はそんな繋がりよりもティアナのことを心配してくれているのだ。
「お父様、お母様、お兄様、お義姉さま、ベルン・・・、心配してくれてありがとう。でも私は大丈夫よ。クライス様とは文具を見に行くだけですもの。それに引く手あまたの宰相様よ? 私なんて目に入らないわ」
「「そんなことない!!」」
ステファンとアルベルトがすぐさま否定する。
「私の可愛いティアナが目に入らんだと・・・!?」
「ティアナ、ティアナはとってもとっても可愛いよ。私の妹が可愛くないなんて言うやつは目が駄目なんだ」
家族の欲目もここに極まれり。
「ふふっ・・・、ありがとうお父様、お兄様。でも私なら大丈夫よ。本当に純粋にお礼だそうだし、それに私もクライス様を恋い慕っているわけではないもの」
「あら、そうなの?」
「えぇ。だって、クライス様は宰相様よ、お母様。私とは釣り合わないわ」
「そんなことはないとは思うけど・・・」
「いいえ、お義姉さま。それに私、クライス様を見ているだけで十分なの。お隣に立ちたいとは思えないわ」
それはティアナの本心だった。
だって、彼は物語に出てくるような人だもの。
そう、ティアナは幸運なのだ。
そんな主人公のような人々と知り合えたのだから。
ティアナがそんな感動を噛みしめていると。
「旦那様、クライス様がいらっしゃいました」
「「!!」」
家令が常と変わりないまま冷静に告げる。
それに一瞬緊張が走るものの、エリナがにこりと笑ってお通しして、と告げた。
「おはようございます、本日はご令嬢を少しお借りします」
「く、クライス殿・・・」
「あらまぁ・・・」
そこには、安定の麗しさを湛えたヴェルナー・クライスが私服で立っていた。
いつもより少しだけラフな格好でも、彼の美しさは損なわれるどころか際立っていた。
その姿に、ステファンとアルベルトが悔しそうに唸る。
「レネット殿、ご安心を。ちゃんと昼過ぎには送りますので」
「っ・・・クライス宰相・・・、信じておりますからな!!」
「? もちろんです、お任せください」
ヴェルナーは何を言われているかいまいち理解していないようで、少しだけきょとんとした表情をする。
それすら美しく見えるとは、なんと神は不平等なのだろうか。
隣に立つ自分の身にもなってほしいとティアナはひっそりと思った。
「ではレネット嬢」
「クライス様、お仕事以外で家名でお呼びになるなんて無粋はおよしになって? 私の可愛い娘にも、名前はありますわ」
「・・・」
母の言葉に、ティアナはびくりと肩を震わせてヴェルナーを見る。
いくら母と言えども攻めすぎではないだろうか。
「・・・失礼しました、ティアナ嬢。本日はそう呼ばせていただいても?」
「っ・・・は、はい」
出された腕に、ティアナは恐る恐る手を置く。
父や兄ならば慣れているのだが、家族以外・・・それも宰相様の腕にエスコートされる日が来るとは!
ティアナはどうか一日が無事に終わりますように、と祈ってから屋敷を後にした。
***********
「義母さま」
「なぁに、サーシャ」
「私、ティアナと宰相様がお似合いだと思ったのですけど・・・」
「あら、私もよ」
エリナとサーシャはくすくすと微笑みながら話す。
それにベルンハルトも入る。
「そうですか? 姉上にはもっとのんびりした方が似合うと思うのですが」
「まだまだね、ベルン」
「だって、氷の宰相様ですよ? 姉上は・・・家族の欲目を抜けばぱっとしないですし」
「ベルンってば、そんな言い方するから誤解されるのよ?」
一番下のベルンハルトは、家族の愛情をたっぷり受けた。
そして年頃になったとき、それを恥ずかしいと思い始めたのだ。
というのも、学校で自分の家族の話をすれば大体行きすぎだといわれたためである。
だからと言って、ベルンハルトが家族を愛していないわけではない。
「・・・姉上には、変に苦労をしてほしくないです。姉上らしさをなくしたら、姉上じゃないですし・・・」
「ベルンってば・・・」
母エリナにはわかっていた。
この一番下の息子が一番姉のことを心配しているのを。
ティアナは、とくにベルンハルトの面倒を見ていた。
それこそ、ベルンハルトが幼い時は姉の姿が見えないだけで泣き出すほどに。
今は少しばかり天邪鬼・・・あるいは反抗期かもしれないが、それでも彼の本質は変わっていない。
「でもあなた、さっきはティアナを送り出していたじゃない」
「・・・」
「ベルン?」
「・・・姉上にも、オトコを見る目を養ってほしいだけです」
ぷいとそっぽを向くその姿は、大好きな姉を取られてむくれた子供そのものだ。
「ベルンは義父様やアルのように邪魔をしたり止めたりしないのね?」
「・・・だって」
「?」
向こうでは、ティアナの乗る馬車を涙をのみながら見送るステファンとアルベルトの姿がある。
あの二人が過保護だから、ティアナは自立したのだろうか。
「姉上にも、女性の幸せ、というものを掴んでほしいですし・・・」
「―――ベルンっ!!」
エリナは我が息子の成長に涙を禁じ得なかった。
女性の幸せが結婚に繋がっていると思うことは、彼がまだ若い証拠だが、姉の幸せを願う優しい子に育ってくれたということは間違いない。
兄であるアルベルトも、夫であるステファンも、ティアナの幸せを祈っているには祈っている。
だが、その幸せの石橋を叩き割りそうな予感しかしないのだ。
ティアナとてもう十九を過ぎる。
正直に言って、結婚適齢期ぎりぎりというところだ。
だが、当のティアナは相手を探すでもなく。
そして当主であるステファンは、ティアナは家にいて自分の手伝いをすればいいという始末。
クライス宰相はもう三十後半を超え、四十前半くらいだっただろうか。
年齢差的にはありえないものではないし、なによりクライス宰相は見た目が恐ろしいほどに若々しい。
同い年くらいのはずのアーサーベルト様のほうが年上に見える。
「まぁ、ティアナが決めることですけどね」
エリナはそう零す。
一人娘の幸せを祈らない親など、どこにいるのだろうか。
もしクライス宰相を選ぶとすれば、それは険しい道になるだろう。
それでも一緒にいたいといえば、母であるエリナは真っ先に力になるつもりでいる。
「・・・でもあの子・・・鈍いのよねぇ」
はぁ、とため息をつく。
「義母様?」
サーシャが心配そうに見てくる。
それにエリナは微笑みを返した。
「いえ、ティアナの将来の旦那様はどんな方かしらってね」
「ティーに旦那!?」
「ティアナがお嫁に!?」
耳ざとく聞きつけたステファンとアルベルトに、エリナははしたないと知りつつも舌打ちしそうになる。
ティアナの将来の旦那の最初の敵は、この二人ね、と思いながら。
「いずれは、の話よ」
「しかしエリナ!! 私の可愛いティアナが!! お嫁に行くなんて!!」
「そうです母上!! ティーは領地で私たち夫婦と穏やかに暮らすんです!!」
「アルベルト!! それは許さんぞ!? ティアナは親と共に暮らすのだ!」
「はぁあああーーっ!? そうやって老後を見てもらうつもりでしょう!!」
「なんだとーーー! お前だって子供の面倒を見てもらう気だろう!!」
「違いますーー!」
まるで子供のような応酬に、エリナは頭痛になるのを感じた。
「・・・父上にも兄上にも、姉上は任せられません。姉上にはぴったりの旦那を俺が見つけます」
「「ベルンハルトーーー!?」」
聞くに堪えなかったらしいベルンハルトも参戦する。
あぁ、頭が痛い。
「そもそも、姉上にも姉上の人生があるのです!! それを父上と兄上は勝手に決めて・・・恥ずかしくないんですか!」
「ぐぅっ・・・」
「そうですわ、アル。ティアナもティアナの人生があるのですから、見守ることも大切です。何かあった時に、手を差し伸べるのも家族ですわ」
「だ、だって・・・」
「転ぶことを恐れていては、何もできない子になってしまいますわよ?」
「さ、サーシャ・・・」
エリナはふう、とため息をついた。
ひとまず父と兄が尾行することはないと安心して。
「・・・あの子はいつ気づくのかしらね」