5th
「ティー、大丈夫か?
少し顔色が悪いようだが・・・」
「大丈夫よ、お父様。昨日少し眠りが浅かったから、ちょっと眠いだけ」
「ティー、無理してはいけない・・・。
今日は休んだらどうだ?」
「駄目よ、お父様・・・。
風邪とかではなのだから、行かなくちゃ」
「だが・・・」
「父上、ティーはもう子供ではありません。
立派なレディーです。
そうやって過保護にしていては、ティーが成長できませんよ」
「アルベルト」
「お兄様」
翌日、朝からティアナは過保護な父に少しだけ辟易していると、兄であるアルベルトが助け船を出してきた。
兄、アルベルトはティーとは十離れており、その分可愛がってもらっていた。
兄の奥方であるサーシャも、兄同様ティアナを妹のように可愛がってくれている。
「しかしだな、アルベルト・・・。
ティアナは女の子なんだぞ?
無理でもして倒れでもしたら・・・!」
父、ステファンからすれば、唯一の娘。
過保護になるのも仕方ないことも、ティアナは知っている。
「父上・・・。
ティアナは自分で仕事を・・・さらには城での仕事を手に入れ、行っているのです。確かに女の子だから心配になるのはわかります。でも、ティアナにもしたいことをやらせてあげてこそ、親というものでは?」
「っ・・・しかし!! 城には、野獣ばかりでな・・・!!」
「あなた、それは陛下に失礼ですわ。ティアナ、みんな貴女のことを心配しているだけなのよ」
「わかっているわ、お母様。
お父様、お兄様、心配かけてごめんなさい・・・。でも私、頑張りたいの」
「「ティー・・・」」
男二人はティアナの成長に涙したのか、目を潤ませている。
「無理な時はちゃんと休むわ。それにお父様、クライス様がそんなお方ではないのは知っているでしょう?」
「う・・・むぅ・・・」
唸る父に、ティアナは母へと視線を向けた。
言いたいことが分かったのか、母は頷いてくれる。
「それじゃあお父様、お母様、お兄様、行ってきます」
「気をつけて行ってらっしゃい」
「何かあればすぐにお父様に!!」
「いや!お兄様に!!」
ティアナはそんな家族の声を背中に受けながら馬車へと乗り込む。
そして自分は幸せだと思った。
自分が愛する家族は、自分を愛してくれて、さらには尊重してくれる。
それがどれだけ稀有なことかを、ティアナは知っている。
ティアナは、幸せ者だ。
結婚だけがすべてではないことを、知れたのだから。
**********
「おはようございます」
ティアナがいつものように挨拶をしながら執務室に入室すると、そこにはヴェルナーの姿しかなかった。
「・・・あの、クライス様」
「・・・あぁ、レネット嬢、おはよう」
「おはようございます・・・、あの、他の皆様は?」
「あぁ、言っていませんでしたね。
モーガンとガードナーは家の事情で休みで、トプソンとボルシオは会議。それとバシュレーは私の依頼で書類をその他の部署に届けてもらっています」
「それでしたら私が行きましたのに・・・」
「駄目です」
「っ・・・」
その冷たい物言いに、ティアナの心が縮こまり冷たくなる。
一瞬で顔を強張らせたティアナに気づいたヴェルナーは、慌てた様子で違うといった。
「す、すみません、つい他の奴らと同じような言い方をしてしまいました・・・。バシュレーは騎士団などにも行ってもらっています、あんなところにレネット嬢を行かせることはできない」
「騎士団、ですか? なぜ・・・」
「・・・あそこには女性がほぼいません。以前よりかは女性も採用されるようになりましたが、貴女のような女性はほぼいないといってもいいでしょう。そのようなところに貴女がいけば、確実に騎士団の・・・独身どもが群がります。それは女性にとっては恐ろしいことでしょう?」
「っ・・・」
ティアナは冷たくなった心臓に熱が走るのがわかった。
自分を、心配してくれてのことだったのか。
「そんなことになれば、父君であるレネット殿に合わせる顔がありません。貴女に無理をさせないというのも、決め事の一つですから」
「―――そ、うですか・・・。申し訳ありません、気づかなくて」
そして次の一言に、その熱は温度を失う。
つい、声のトーンが落ちてしまう。
いけないのに。
「・・・では、みなさんがいないうちにできる掃除とかしてしまいますね!」
「え、えぇ。お願いします」
ティアナはできるだけ明るく言った。
そうだ、何故落ち込む必要があるのだ。
クライスは自分を仕事に必要だとしてくれているではないか。
それだけで十分のはずだ。
そしてティアナはせっせと掃除を始めた。
隅に溜まった埃をとり、机の上に乱雑に置かれている書類をまとめ、水拭きする。
くず入れの中身を確認し、不要なものをあとで回収してもらうべくまとめる。
何も考えないように忙しなく動き回るティアナの姿を、ヴェルナーが見ていることにも気づかずに。
「・・・レネット嬢」
「はい?」
「その・・・」
「? 何か入用のものでもありますか?」
ティアナは珍しく声をかけてきたヴェルナーを見ながら、思いつくことを考える。
インクは補充した、紙もある。
他に何か足りないものでもあったのだろうか。
しかし珍しく、ヴェルナーはなかなか口を開かない。
「・・・その、今度の休日に予定は入っていますか?」
「今度の、ですか? えっと・・・とくにはありませんけど」
「・・・その、ですね」
「はい」
「・・・お礼をしたいと、思っておりまして」
「? お礼、ですか? 申し訳ありません、何のお礼でしょうか?」
「一番最初に、書類を拾っていただいたのと、今回の件を受けてくれた、礼です」
ティアナはびっくりして一瞬何を言っていいのかわからなくなった。
一体、彼は、何を言ったのだろうか。
「前回は拾っていただき助かりましたし、今回も無理を言ってしまっている自覚はあります。ですがとても助かっていますので、そのお礼を」
少しだけ早口になるヴェルナーに、ティアナは目を丸くする。
「え・・・ですが、当然のことですし・・・、そんな、お礼を頂くことのほどでは・・・」
「いえ、私がすごく助かっているのです。・・・それに、職場の空気がだいぶ良くなっているのも貴女のお蔭です。もし、迷惑でなければ、ですが・・・」
「で、ですが、クライス様のほうがお忙しくご面倒になられるのでは・・・?」
ティアナはまるでふわふわと宙に浮いたような気分で返す。
だって、想像もしたことない事態なのだ。
あの、どんな令嬢にも冷たいとされるヴェルナー・クライスが、お礼のために自分を誘うだなんて、いったい誰が想像できただろうか!
「いえ、前よりも大分落ち着いたので。それも貴女が書類整理を率先して行ってくれたおかげです。業務速度が早まりました」
「いえ、そんな、お礼をされるほどのことでは・・・」
「・・・レネット嬢、もし不愉快に思われるのであればそう言っていただいて構いません」
「違います! ただ、クライス様もお疲れで、お休みの日にわざわざそうしていただくのが申し訳なくて・・・」
ティアナは素直な気持ちを伝えた。
もちろん、全てではないが。
休みの日にわざわざ礼をしてくれるといわれて、嬉しくないわけがない。
だが、そうまでされてしまうと、勘違いしそうになる。
それに、もし誰かに見られでもすれば、困るのはヴェルナーだ。
「そんなこと・・・。気にしないでください。
本当は何かしら贈れればいいのですが、生憎と女性の好むものというのがよくわからないので・・・」
ティアナは迷った。
ものすごく。
以前では考えられない距離感。
この美貌を間近で見られる機会だ。
「・・・でしたら、その・・・」
「なんでしょう?」
ティアナは、迷いに迷い、そして言った。
「町へ、買い物に行きたいのですが、お付き合いいただけますか?・・・あ、もしお嫌であれば、伺いたいことがあるのですが・・・!」
「城下、でいいですか?・・・構いませんよ。私も欲しいものがあるので」
「!」
ティアナは予想外の好反応に驚きつつも、少しだけ胸が暖かくなるのを感じた。
「レネット嬢の買いたいものとはなんでしょうか?」
「その・・・今後使うためのペンやインクがほしいのですが、もし面倒でなければクライス様の購入されているお店を知りたかったのです」
「それでしたらちょうどよかった。私もそろそろ新しいのを買いに行きたかったので」
ヴェルナーの言葉に、ティアナはほっとした。
それなら、無駄に足を煩わせることはないと安心して。
「それならよかったです・・・。では次の休日に・・・お時間などはクライス様にお任せしますね」
「わかりました。では・・・朝の十時くらいに迎えに上がりますので」
「えっ、いや、その、待ち合わせ場所を決めていただければ自分で行きますけど」
「? お礼なのですから、遠慮はいりません。とりあえずこの話はここまで。さぁ、仕事を片付けましょう」
「あ、え、はい・・・」
ティアナはどうしようと考えながらも、目の前の仕事の集中することにした。
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「それは賢明な判断だな、ヴェルナー」
「煩いぞ」
その日の夜。
ヴェルナーはアーサーベルトの元を訪れていた。
二人は時折、そうやって互いの情報や近況を報告し合うのだ。
「それにしても、お前がそのようなことをするなんて・・・誰かに相談したのか?」
「・・・」
アーサーベルトの疑問は最もなものだった。
基本的に女性を苦手とし、優しさを全く見せないヴェルナーが、何故お礼をしようなどと考えたのか・・・、いや、考えられたのか。
まぁ、ヴェルナーも人でなしではない。
お礼ぐらいする。
だが、今までの彼からは想像つかないようなお礼の仕方なのだから、アーサーベルトがそう勘ぐるのも仕方ないことだとヴェルナーは思った。
「・・・陛下に相談した」
「ぶっ・・・、だ、だからか」
ティアナ・レネット男爵令嬢。
正直に言って、彼女はヴェルナーの知るどの令嬢とも違っていた。
たった一回で何がわかるという人もいるだろう。
だが、ヴェルナーはヴェルムンドという国の宰相なのだ。
かつての宰相に辛酸を舐めさせられたことは、今でもヴェルナーの心に傷を残していた。
だからこそ、人を見る目を死ぬ気で養った。
もう二度と、同じ過ちを繰り返さないためにも。
そんなヴェルナーからすれば、貴族の令嬢というのは読みやすい。
下手をすれば、商業をしている女性のほうがもっと読みづらいことすらあり得る。
そしてそのヴェルナーが、ティアナ・レネットという貴族女性に下した判断は、問題ない、だった。
この女性は、自分に媚を売ったりせず、仕事の邪魔をすることもなく、そして自分の立場と相手の立場をちゃんと見極められるある意味稀有な令嬢だと。
だからだろうか。
柄にもなくお礼をしようと陛下にまで相談したのは。
「レネット嬢にはだいぶ助けられている。少しくらい礼をしたっていいだろう」
「まぁ、問題なくはないとは思うがな」
何がおかしいのか、アーサーベルトは肩を震わせている。
「でもな、ヴェルナー」
「なんだ」
「相手はご令嬢だからな?」
「? わかっているが」
「・・・女性だからな?」
「何が言いたい。そんなこと、わかっている」
アーサーベルトの重ねる物言いに、ヴェルナーは少しだけ苛立つ。
彼女が女性であることなんてわかっている。
しかしアーサーベルトはそうじゃないとでも言うように首を横に振った。
「・・・まぁ、こればかりは俺が言うことじゃないからな」
「なんだ、アーサー。言いたいことならば言えばいいだろう」
ヴェルナーは苛立ちのまま葡萄酒を呷る。
あまり高くはないが、それでもいい味を出していることに少しだけ気分が上がる。
「ヴェルナー、わが友よ。お前も、そろそろ進まないといけない時期なのだろうな」
「? 何を言っている? 意味が分からんぞ」
「まぁいずれわかるだろう。お、もう空じゃないか、注ぐぞ」
「?」