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4th



「モーガン様、不要な紙はくず入れに入れてください」

「はい!」

「ボルシオ様、こちら必要な書類では?」

「ああああ! 探してたんだーー!」

「バシュレー様、風邪気味ですか? 暖かい飲み物を用意いたしますね」


ティアナが魔窟と呼ばれた宰相執務室に努めて早十日。

ティアナは自分なりにペースをつかみ始めていた。

初めのころはただ黙々と言われたことをこなしていたが、少しずつ余裕が出来ていくうちに気づいたことをそれとなく言い始めたのだ。

もちろん、言うまでに葛藤はした。

女性で、しかも何も知らない自分がどこまで言っていいのか、働いている人たちに不快感を与えないか。

しかし答えは出ず、結局ヴェルナーに相談することにしたのだ。

そして返しは。


『ガンガン言ってしまってください。そのほうがこちらとしても助かります』


ティアナは、ヴェルナーのその一言を信じて少しずつ、しかししっかりと意見を言うようにした。

そうしないと、ここは魔窟になることに早々に気づいたためだった。


『ああああ!! 計算が!! アワナイーー!!』

『資料! 資料!? どこ行ったーーー!?』

『終わらない、おわらない、おわらなぃいい』


そうしてばらまかれる資料、投げられる紙片、頬のこけた死体のような人々。

まさしく魔窟、狂気の満ちる部屋だった。

そしてヴェルナーも性質が悪いのが、一度集中すると雑音らしきものが一切耳に入らなくなることだ。

例え部下が叫んでいても、泣いていても、完全に無視。

それどころか仕事をどんどん振り分ける。

悪循環に過ぎた。

だからティアナは、まずはじめにごみをちゃんとくず入れにいれることから調・・・お願いした。


「あ、トプソン様! 不要な紙でしたらくず入れに入れてください」

「あ、ご、ごめんごめん・・・ついいつもの癖で・・・」

「駄目ですわ。せっかく見目麗しくても、だらしないと奥様が逃げてしまいますわ」

「えっ・・・お、おれに奥さんいるように見える!?」

「まぁ、素敵な顔立ちをされておりますのに、いらっしゃいませんの?」

「す、すて、き・・・。てぃ、ティアナちゃん、おれ、ちゃんとするから!!」

「まぁ、素敵なことです」


にこり。

ティアナは男性を転がす方法という本を読んだことを初めて感謝した。

正直、母から将来役に立つからと言って渡され、渋々読んだのだが、まさかこうもうまくいくとは。

恐るべしお母様。


「さぁ、皆様、少し休憩にいたしましょう?

 たくさん目を使われていますから、お疲れでしょう」

「やっとーーー!」

「今日はお茶請けは?」

「はあああ、疲れたーーーー」

「ティアナちゃんマジ天使」

「まって、あと少しで切りよくなる!!」


そしてティアナは休憩というものを導入した。

常に不思議に思っていたのだが、宰相執務室の住人に休憩という文字がない。

ずーーーっと机にかじりつき、席を立つのはご不浄の時だけ。

それでは集中力とて下がるというものだ。


「今日はアーサーベルト様からおすそ分けいただいたリリンという紅茶です。陛下も愛飲されているようで、すっきりするそうです」

「あ、私それ好きです」

「おれもー」

「よかったです。お茶請けはマドレーヌです」

「えっ! ティアナちゃん手作り・・・」

「残念ながら、料理長様にお願いいたしました」

「・・・そっかぁ」


明らかに肩を落とすガードナーに、ティアナは苦笑を浮かべる。


「料理長が心を籠めてくださったんです。一つ頂いてしまったのですが、とても美味しいですよ」


そして、恐る恐るヴェルナーのもとへ足を進める。

この時ばかりは、何度行っても緊張してしまう、と思いながら。


「・・・クライス様」

「・・・」

「クライス様」

「・・・」

「クライス様!」

「! な、なんだ!?」


そしてこのやり取りも、毎回行っている。


「今日のお茶と、お茶請けです。

 少しだけ休憩されたほうが、集中力も上がりますよ」

「あ、あぁ、すまない、レネット嬢」


初めて休憩をしたとき、ヴェルナーはそれを断った。

お茶を飲む暇があるのであれば仕事を!と言って。

しかしティアナも折れなかった。

ずっと作業することが如何に非効率的かを話し、少しでもいいから休憩を取ってからのほうが集中力が上がると力説したのだ。

ちなみに、これはティアナの経験談である。

父の部屋を片付けているとき、たまに同じような書類ばかり見ていると精神的にも肉体的にも疲れがたまりやすくなっているような気がしたのだ。


そして気分転換に好きな紅茶とお菓子を楽しんでから再び行うと、処理速度が上がった。

それを一度宰相執務室で試し、実績が得られれば今後も休憩を取らせようと画策したのだ。

初めは嫌々そうに休憩していたヴェルナーも、徐々にその効果を認めたのか最初のころよりかは(といっても五日程前だが)素直にとるようになってきた。


「・・・リリン、ですか」

「クライス様もお好きで?」

「えぇ・・・陛下が、アウベールに行った際に気に入られて、定期購入しているのです」

「陛下、も・・・」


その瞬間のクライスの甘さの中に切なさの入り混じった笑みは、ティアナの心を突き刺した。

ほとんど微笑むことすらないクライス宰相が、笑みを浮かべるときは、いつだって女王陛下の話題のとき。

それに気づくのに、大して時間はいらなかった。


「・・・そうですか、陛下も好きだなんて、いい選択をしたと自分を褒めたいところですね」

「・・・っふ、そうですね。レネット嬢のセンスは私よりずっといいみたいだ」


少しだけ砕けた口調にすら、揺れ動きそうに心にティアナは釘を打ちこむ。


「あーーー、ティアナちゃんが来てくれて、本当によかったーーー」

「ふふ、そう言っていただけるとお手伝いのし甲斐がありますね」

「本当ですよ! 男六人、会話もなく聞こえるのは奇声のみの部屋に数時間もいれば、頭が狂いそうになります。ティアナ嬢がいなければ我々は今も屍です」

「大げさですよ」

「ほんとーだよ、ティアナちゃん。リヒトもたまに来るけど空気が良くなったって言ってたし」

「リヒト・・・あぁ! 陛下付きのお方ですね? 私はお見かけしませんが・・・」

「リヒトが来るのは遅い時間が多いんだよ。女王陛下に仕事は山ほどあるらしいしな」

「まぁ」

「陛下も変わらずだよなぁ・・・、俺がここに来た時よりかはマシになったって聞いたけど」

「私もアーサーベルト様に伺いました」


殺伐とした空気が、少しだけ緩む。

そんな時。


「さ、宰相様」

「なんだ?」


扉の向こうから衛兵がヴェルナーを呼んだ。


「へ、陛下がいらっしゃっております」

「!?」


その瞬間、誰もが硬直した。

国の頂点である女王が、わざわざ宰相の執務室に来ることなどありえない。

だって、呼び出せばいいのだから。


「な、なん、す、少しお待ちくださ」

「入るわね、ヴェルナー」


ガチャリ。

扉は無情にも開かれる。

その瞬間、ヴェルナーとティアナ以外の五人が立ち上がり、直立する。


「あら、アーサーの言った通りね。綺麗になってる」


ヴェルムンド国女王、イルミナ・ヴェルムンドは、くすくすと笑いながら入室してきた。


「本当だ。あの魔窟をここまで綺麗にする素晴らしい御嬢さんはどこかな?」

「ろ、ロンチェスター卿!?」


五人のうちの誰かの悲鳴のような声がティアナの耳に届く。

グラン・ロンチェスター。

女王イルミナの夫であり王配で在らせられるお方。


「言ったでしょう、陛下。ロンチェスター卿。私は嘘を言ってないって」

「だって、アーサー、あの魔窟よ?」

「あぁ・・・あのエルですら一度盗み見て泣いて帰ってきた魔窟だぞ?」

「まぁ、エルリア様が泣くのは致し方ないかと・・・、あの時は忙しかったみたいですから」


「・・・申し訳ありませんが、私たちを置いて勝手に話をしないでください。

 それとアーサー・・・。お前は何を言った?」

「怒るな怒るな、ヴェルナー。なに、ちょっとここのことを陛下たちにお話ししただけだ」

「何故」

「いや、最近メイドたちが近寄りやすくなったって言っていてな?それに料理長もここのために菓子を作っていると聞いたし。そこまで劇的変化をしたのであれば、一度見に行こうとしていたところ、陛下たちもご覧になられたいとのことでな?」

「ここは観光名所ではないぞ」

「怒らないで、ヴェルナー・・・。働く環境が良くなったと聞いたから、来たいといったのは私なの。だって、ヴェルナーはいつもここにきてはダメというじゃない」

「それは・・・」

「ははは!! 陛下、わかってて仰っているんでしょう!」

「アーサー、言ったらダメなのに」

「・・・アーサー、お前とは後で話し合う必要があるな。・・・陛下、それほどお暇なら陛下決済の書類を後で大量に送りますね」

「「え!!」」


ティアナは言葉を失った。

目の前の光景に。

あの、常に敬語で紳士然としたヴェルナー・クライスが、まるで少年のように見えることに。

そしてその先には、女王陛下がいることに。

それと同時に、あぁ、やっぱり。

そうも思ってしまった。


「あら、レネット嬢!貴女の功績だと聞いているわ。みんながとても助かっているとも」

「!」


女王は、気さくにティアナへと近づいた。

そしてふわりと香る、甘くも上品な香りに少しだけうっとりしそうになる。

自分よりもだいぶ年上で、すでに三児の母親とは思えないその美しさ。

ティアナは、初めて自分が如何に凡庸であることを再確認させられた。


「あ・・・そ、そんな、みなさんが、仰るほど、では・・・」

「いいえ、貴女のお蔭よ。今まで誰が何を言っても、それこそ試してもろくに続かなかったのに、貴女だけが続けて、さらに改善までしてくれたわ。

 ありがとう」


ふわりと微笑まれた瞬間、勝てないとティアナは漠然と感じた。

勝とうだなんて、そんな烏滸がましいこと、考えてなどいない。

だが、それ以上に、そう思ってしまった。


「あ、りがとう、ございます、陛下・・・。陛下にそう仰っていただけて、光栄です」


ティアナは笑った。

少しだけ泣きそうになりながら。

ふわりと、また花のような香りがする。


「・・・とても、素敵な香水ですね」


泣きそうになるのを我慢しながらティアナは言った。

どうして泣きそうなのか、わからずに。


そしてティアナの予想外の一言に、女王は紫紺の瞳をぱちくりさせ、そして微笑んだ。

これ以上なく、幸せそうに。


「―――ありがとう」


(あぁ―――。

 この人が、このお方が)



ヴェルナー・クライスのすきなひとだ。



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