26th
「陛下、少しだけ失礼してもよろしいでしょうか」
「アーサー・・・いいわよ」
ヴェルナーが退室して数十分後、用事があると出たはずのアーサーベルトが戻ってきた。イルミナは想定していたのか、落ち着いた様子で入室を許可する。
「失礼いたします・・・。お話はできたようですね」
「えぇ。貴方ね? ヴェルナーの背中を押したのは」
「バレていましたか」
「分からないはずないでしょう?」
くすくすとイルミナが笑みを零すと、アーサーベルトは肩を竦めながらイルミナの前にあった空のグラスに酒を注いだ。
「・・・ティアナと何かあったのね」
「まぁ、そのようなところですな」
「貴方もお節介ね?」
「陛下のほうこそ、ヴェルナーが陛下に想いを寄せていることなどとうにご存じだったでしょう?」
アーサーベルトの言葉に、イルミナは笑みだけで返した。
「ヴェルナーが言葉にしないのに、私が断るのは違うでしょう? 本人が覚悟できていないのに、その芽を摘み取ってしまったら禍根にしかならないわ」
「はははっ・・・それはありますね」
少しだけ遠い目をしたアーサーベルトに、イルミナは酒を注ぐ。
「それに、貴方たちがグランよりもある意味大切な存在というのに偽りはないわ」
「陛下?」
イルミナはくるくるとグラスの中身を回しながら懐古の視線を宙に向けた。
「・・・何度でも言うけれど、今の私が有るのは貴方たちが、私を見捨てずに期待してくれていたからよ。その期待に応えたいと私は願った。昔の貴方の厳しい訓練も、毒耐性をつけたことも、何一つ後悔なんてしていないわ」
「陛下・・・」
「確かに、グランはイルミナという個人にとっては唯一よ。でも、何も持たない”第一王女”だったイルミナにとっては、貴方たちも唯一なのよ。だって、私のことを一番長く知っているのは、貴方たちでしょう?」
アーサーベルトは、イルミナの言葉に涙ぐみそうになる。一臣下として、その言葉がどれほど嬉しいものか分からないものはこの城にはいないだろう。
「未だにあの記録をヴェルナーに任せているのは、それだけの信用と、信頼があるから。アーサー、今一度言うわ。あの記録は、ヴェルナーと貴方に預ける。二人が私の目の前から消えるまで」
「陛下っ・・・!」
この場にヴェルナーがいれば、きっと噎び泣いただろう言葉だ。
「そんな顔をしないで? それにね、ヴェルナーにも幸せになって欲しいの。本当は貴方もよ? アーサー」
「私は既にこの上ない幸せ者なれば」
「全くもう・・・。でも、ヴェルナーも私以外の人を見るようになってくれないとね」
「それならば問題ないかと」
「そうなの?」
イルミナの言葉に、アーサーベルトは力強く頷きを見せた。
「今まで数多の女性がヴェルナーに想いを寄せていたのを俺は知っています。ですが、誰もヴェルナーの心を動かすこともなく、またヴェルナーは陛下の想いを心の奥底に大事にしまっていました」
「あぁ・・・そういうこと」
「はい。少なくとも、ヴェルナーが長年の想いを口にする何かを、ヴェルナーがティアナ嬢に持っていると俺は思っております」
「そう」
二人は酒に対して強くなく、女性の扱いもまともに知らない戦友、あるいは大切な人を思い浮かべる。友には、大切な人には、幸せになって欲しい。どのような形であっても、そう願う。
「ねぇ、アーサー」
「なんでしょう、陛下」
「私、願いが一つあるの」
「ほぉ・・・どのような?」
イルミナは綺麗な笑みを浮かべた。紫紺の瞳が、キラキラと光る。
「いつか、大切な人の子供と、私の可愛い子供たちが友達になってくれたらいいなと、願っているの」
その言葉に、アーサーベルトは破顔した。
「きっと叶いますよ、陛下」
「・・・アーサーだって、今から探してもいいのよ?」
「いえ、俺は結構です」
「・・・」
そうしてヴェルムンド女王と、その人に騎士の誓いを行った二人の夜は、静かに更けていった。
*******
ティアナは、一人自室で寝台に突っ伏していた。
心配した両親や兄弟が様子を見に来てくれたが、その全てを拒絶した。ティアナの心には、ただただ悲しい気持ちと、言ってしまったという後悔ばかりが占領していた。
「・・・なんで、あんなこと・・・言っちゃったんだろう・・・」
ほろほろと涙が零れ、シーツを濡らしていく。
彼を、ヴェルナーを傷つけてしまった。
人に立ち入られたくない部分を、ティアナは無断で無遠慮に踏み込んでしまった。
ヴェルナーの傷ついた瞳を、今でも脳裏に思い出す。
あんな風に、傷つけるつもりではなかったというのは、ただの言訳でしかないことくらい、ティアナにも気づいている。
でもそれ以上に、自分を見てほしかった。
でも、もう無理かもしれない。
「うぅ~~~・・・」
どうして、好きだけの綺麗な気持ちじゃないのだろう。
ティアナは、自分の心の奥底にある醜い気持ちを自覚してしまった。
―――ティアナは、どうしても女王イルミナを嫉む気持ちが抑えきれなかった。知っている。かの御方がどれほど大変な過去を生きてこられたのか。今、この国が発展しているのも、かの御方のお陰だということも。それでも、どうしてとも思ってしまうのだ。
どうして、かの御方は唯一の伴侶も得られて、幸せになられているのに、いまだにヴェルナーの心を奪ったままなのだろうか、と。
どうして、ヴェルナーは今でも思い続けているのだろうか、と。
「・・・ティアナ・・・? 入るわよ?」
「・・・」
ティアナが苦しくてまた涙を零し始めると、母がティアナの許可を聞かずに入室してきた。ティアナはそれに答える気力もなく、シーツに顔を埋めたまま母が近づくのを感じていた。
「ティー? 大丈夫? どうしたの?」
「・・・かぁ、さま・・・」
「あらあら、まぁ・・・こんなに泣いて・・・。どうしたの? お母さまには言えないこと?」
「・・・」
ティアナは何と言っていいか分からず、母が優しく頭を撫でてくれるのを感じながら唇を噛んだ。
「・・・クライス様、かしら?」
「!」
「そう・・・」
流石は母、と言うべきだろうか。ティアナは、小さな声でようやく話し始めた。
「・・・いっては、いけないことを・・・言ってしまったの・・・」
「あらまぁ・・・」
「・・・でも、どうしても、私を・・・見てほしかったの・・・」
「焦っちゃったのね、ティアナは」
「・・・うん」
顔を埋めたまま返すティアナに、母エリナはただただ優しく頭を撫でた。
「まぁ・・・私も後押しをしてしまったわ・・・」
「・・・ううん、お母様の所為ではないわ」
母の所為ではない。そのことくらい、ティアナにもわかっている。自分が急いだのが悪かった。ヴェルナーが、未だに踏ん切りをつけられていないことくらい、わかっていたのに。
「ティアナは、どうしたいの?」
「・・・」
母にそう問われて、ティアナは言葉に詰まった。
自分はどうしたいのだろうか。
「―――傷、つけたの・・・」
「・・・そう」
「あや、まり、たい・・・」
謝って許してもらえるとは思っていない。彼にとって大切にしまっていた部分に踏み込んだのだから。謝って楽になるのはティアナだけだとも理解している。
きっと、ヴェルナーとの縁も切れてしまうだろう。
酷く、怖い。悲しい。辛い。
でも、謝らないという選択肢はティアナにはなかった。
「ひっく・・・」
人を好きになることが、こんなにも辛くて悲しいことだって、知らなかった。そしてそう思った時、気づいてしまった。
報われない想いをずっと持っていたあの人は、ずっとこんな気持ちを抱えていたのだろうか。
そんな大切で、繊細なところに、自分はなんてことをしてしまったのだろうか。
「ティアナ・・・」
声もなく泣きだしたティアナに、エリナは覆いかぶさるように抱きしめてきた。
「ティアナ・・・、落ち着いたら、皆でお買い物でも、観劇でも見に行きましょう」
「っ・・・ぅん」
「愛しているわ、私の可愛い娘・・・。お父様たちには、私から話しておくから。ゆっくりしなさい」
「ぁりがと・・・おかあさま」
ひくひくと喉を鳴らしながら、ティアナは小さな声でそう返した。
明日が、怖い。
未来が、怖い。
この胸を抉る痛みは、いったいいつまで続くのだろうか。
いつか、彼のことも、忘れられるようになるのだろうか。それとも、彼のようにずっと痛いまま抱えていくことになるのだろうか。
ティアナには、分からかなかった。
******
「閣下? 今日はお戻りになられないと聞きましたが」
「あぁ・・・いや、少しだけな」
宰相室に一人残っていたモーガンは、いるはずのない人物を目にしてついそう口にした。ふらふらとしている宰相閣下の顔が、少しだけ赤い。男の自分が言うのもなんだが、物凄い色気を振りまいているような気がする。
「閣下? 大丈夫ですか? お顔が赤いようですが・・・」
「あぁ、いや、大丈夫だ・・・」
そしていつになく歯切れも悪ければ、元気がないような気がする。
「そう言えば、レネット嬢との買い出しは・・・閣下!?」
ガタン!と音がして慌ててそちらの方を見やれば、あのクライス宰相が椅子から落ちそうになっていた。座ろうとして目測を誤ったのか?と心配になるほどの狼狽えぶりに、モーガンの方が逆に冷静になった。
「閣下、どうなさったのですか? やはり体調が悪いのでは・・・」
「いや、何でもない! 気にするな!」
「しかし・・・」
いくらそう言われも、はいそうですかと返しづらい状況。モーガンは話題を明るいものに変えるべく、近況を話そうと思った。
「そう言えば、レネット嬢が作る食事がとても美味しくて、リヒトが良く来るようになったんですよ」
「!」
「やはり女性がいるというのはいいですね。場が華やぎます。それに彼女はとても気配りの出来る方ですので、宰相室も居心地がいいものになりましたね」
「そ、そうだな・・・」
ちなみに、モーガンに悪気は一切ない。むしろ、善意しかない。他の者たちに鈍い鈍いと言われ続けていたが、ようやくティアナとヴェルナーの状況を知ったモーガンは、一生懸命だった。
ずっと独り身を貫く敬愛する宰相にも、ついに、と思っていた。その為、ヴェルナーがいないときのティアナのことを話し続けた。
「あ・・・そういえば・・・」
「な、なんだ」
「いえ、レネット嬢は警護の者たちにとても評判がいいようですよ」
「そうなのか・・・?」
「はい。まぁ、あの器量の良さですからね! ですが、閣下に適うはずも・・・閣下?」
モーガンの言葉を最後まで聞くことなく、ヴェルナーはまたもふらふらと立ち上がり、宰相室を出る。どうしたのだろうか、いったい何のために来たのか、とモーガンは聞けなかった。
「・・・本当にどうされたんだ・・・?」




