23th
リヒトは困惑していた。
宰相室に持って行くように言われた書類を持ってきた部屋。
いつも殺伐としていたが、最近はとあるご令嬢の存在のおかげか、柔らかくなったと思っていたのに。
「え・・・っと、あの・・・?」
「・・・」
「えっと、その・・・」
「すぐにお答えいただかなくても結構ですよ。
でも少しでも考えていただけると嬉しいです」
凍り付いた空間。
にこにことしたモーガンに、戸惑っているティアナ・レネット嬢。
そして無言で絶対零度のオーラを噴出させているクライス宰相に、それを恐怖の目で見ている他の者たち。
あれ?これ来るタイミング絶対間違えたよな?とリヒトが心の中で泣きそうになるのも仕方のないことなのかもしれない。
「・・・モーガン、そう言った話はここでするのはよくありません」
「なんだ、バシュレー、どうしたんだ?顔色が悪いぞ?」
「えぇ、貴方の所為ですね」
「言っている意味がよくわからないが・・・」
困惑顔のモーガンに、バシュレーは青い顔のままとりあえず話すなとでもいうように仕事に取り掛からせようとしている。
リヒトはちらりとティアナ嬢を見、そしてクライス宰相を見て複雑な人間関係を即座に理解してしまった。
・・・全くもってしたくなかったが。
「・・・さ、宰相閣下、しょ、書類をお持ちしました!!」
「・・・あぁ、そこに置いておけ」
「ひゃい!」
リヒトは自分の運のなさを呪った。
どうして自分はこう間の悪い時に来てしまうのだろうか。
以前にも・・・とリヒトが震えあがっていると。
「リヒトさん、昼食は摂られていますか?」
「え、まだ、ですが・・・」
「そうですか、これ、余っているんです。よかったらどうぞ」
「いいんですか!?やった・・・!!」
喜んだリヒトだが、ティアナ嬢の背後にいるバシュレーが必死になって首を横に振っているのを見て、そしてクライス宰相から感じる冷気に涙目になる。
どうして、自分はこういう役回りなのだろうか・・・。
「あ・・・そ、の、わ、私は、厨房に取りおいて、貰っているんでした・・・!!」
「そうですか・・・、それなら仕方ないですね」
少しだけ残念そうな表情をするティアナ嬢への罪悪感が募る。
しかしリヒトとて自分の命は惜しかった。
「ま、また今度、ぜひ・・・!!」
「そうですか?いらっしゃる日が分かったら教えてください。
リヒトさんにはいつもお世話になっているので」
「は、はい!!」
自分が口を開けば開くほど、なぜか冷気が酷くなっていくのを感じた。
理不尽すぎる。
あまりにも、理不尽すぎやしないだろうか。
しかし懸命なリヒトはそれを口にすることはない。
触らぬ神に祟りなしだ。
「そ、それでは私はこれで・・・!!」
「はい、お疲れ様です」
癒しと恐怖が混在する部屋、それが宰相室。
リヒトは女性の手作りを泣く泣く諦め、仕事へと戻った。
******************
「ヴェルナー様、お茶はどうですか?」
「・・・貰います」
リヒトが退室した後の宰相室は、少しだけ殺伐としつつもいつもの日常を取り戻していた。
唯一、ティアナがモーガンに接するときに少しだけ緊張をしていた以外は。
そのことに、ヴェルナーはこの上ない苛立ちを感じていた。
「ティアナ嬢、今日はもういいです」
「ですが、まだ時間ではありませんよ?」
「今日は城下の視察に付き合ってください。
ついでに足りない備品を補充します」
本当は自分が行く予定のないそれを、ヴェルナーはなぜか口にした。
「閣下?私が行きましょうか?」
「いい、私も自分の目で見ておきたいからな」
モーガンの善意からの申し出に、ヴェルナーはぴしゃりと返す。
バシュレーは即座に空気を読み、モーガンに声をかける。
「じょ、ジョルジオ、私たちは残っている仕事を片付けましょう?」
「それはそうだが・・・」
いまいち納得していないモーガンを止めるバシュレーに、ヴェルナーはよくやったと心の中で褒める。
「ティアナ嬢、行きましょうか」
「え、あ、はい!」
ヴェルナーは掛けてあったコートを羽織り、ティアナのそれを手に持つ。
「さぁ」
「あの、自分で」
「いいですから」
「・・・」
ヴェルナーが自ら女性にコートを着させようとするその姿を、宰相室の誰もが目を点にしてみている。
モーガンも漏れず、だ。
「行きましょう」
「は、い・・・」
ティアナも戸惑ったのか、言葉に詰まりながらもヴェルナーの後をついて行く。
「あ・・・すみません、今日はこちらで失礼いたします。
何か必要なものは・・・」
「レネット嬢なら備品のことは私たちよりも詳しいでしょう。私たちからは特に。」
「そうですか・・・?
では失礼いたします」
バタン、と扉が閉まり、宰相室は無言に包まれる。
そしてぽつりと空気と化していたガードナーが言葉を漏らした。
「はぁーーー、さっさとくっついてしまえばいいものを・・・」
「なに、どういうことだ、ベン」
「・・・ジョルジオ、貴方の鈍さは筋金入りだと思っていましたが、ここまでとは」
「ど、どういうことなんだ!?」
「どういうことも何も、どう見てもあれは両想いでしょう」
「・・・閣下と、レネット嬢が・・・!?」
「・・・むしろ私はなぜ貴方が気付かなかったのか不思議でなりませんがね」
「・・・・・・」
肩を落とすモーガンに、バシュレーはそっと書類を渡した。
「とりあえず、その場の勢いで婚姻を申し込むなんてことはしてはいけませんよ」
「ベン・・・」
少しだけ落ち込んだ様子のモーガンに、バシュレーは少しは本気だったのかもしれないと思いなおす。
「相手が悪いですし、何より両想いですからね」
「ベン・・・傷に塩を塗って楽しいか・・・?」
「いいえ。私は事実しか言いませんので。
まぁ、今日の仕事が終わったらヤケ酒くらいは付き合ってあげますよ」
「・・・頼む」
「はい。なのでさっさと仕事を終わらせましょう」
容赦のないバシュレーに、モーガンは気合を入れなおすように両方をパン、と叩くとペンを持った。
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「・・・」
「・・・」
馬車のなかは無言だった。
前に一緒にした際は、ここまで息苦しくなかった気がするとティアナは思う。
ちらりと向かい側に座るヴェルナーを盗み見る。
ヴェルナーは何かを考え込んでいるのか、窓から見える景色をぼんやりと見ていた。
ティアナにはもうわからなかった。
ヴェルナーがこうして自分を連れ出す理由も、視察に誘われる理由も。
・・・名で呼ばれる理由も。
もっと自分に自信があれば相手が自分に気があるのだろうと思えたかもしれない。
しかしティアナはそうは思えなかった。
だからといって、引くつもりなどさらさらないが。
「ヴェルナー様」
「・・・ん、どうかしましたか」
ぼんやりとするヴェルナーに話しかけると、一瞬間が空くもちゃんと反応はしてくれる。
少なくともちゃんとティアナを認識してくれているようだ。
「・・・」
不意に、ティアナは目の前の男性をまじまじと見た。
若くして宰相になるほどの才覚溢れる人。
氷の貴公子と呼ばれ、令嬢たちが一度は夢見る相手。
一見その容姿から冷たい人に思われがちだが、実際には違うことを、ティアナは知っている。
仕事に真面目で、いつだって誰よりも頑張っている。
だからといってできない人を馬鹿にしたりも出自を気にすることもない。
ティアナは、自身が声をかけておきながら黙り込んでヴェルナーを見ているという状態が頭からすっぽりと抜けていた。
それはもう、自分でも驚くほどに。
「―――」
じっと見ていたせいか、ヴェルナーと目が合う。
そして。
「っ」
ふわりと――男性に使うのは違うのかもしれないが――花開くような笑みをヴェルナーが浮かべる。
ティアナの息が一瞬止まる。
裏表のないそれ。
どくりと、ティアナの心臓が大きく脈打った。
頬が一瞬で熱くなり、頭がぼんやりとする。
「―――すき、です」
そしてティアナは、自分でも意識せぬままに思いを吐露していた。
「―――は、い?」
笑みから一転、きょとんとした表情を浮かべるヴェルナーに、ティアナはまるで熱に浮かされたように続けていた。
「好きです、ヴェルナー様」
どうしようもなかった。
想いが溢れて、言葉にしないと苦しいほどだった。
どうしてこの人が好きなんだろうとか、好かれているかわからない不安とか、全てが吹っ飛ぶほどの衝撃だった。
まるで子供の様に、けれども色気が滲み出るそれを見ていたら、胸が締め付けられたように痛くなって。
わけもなく泣きたくなって。
何が切っ掛けだったのかすら思い出せない。
ただ、気づいたら好きになっていた。
自分にも他人にも厳しくて。
それだけ国を想っていて。
冷たいと言われていても、本当はすごく優しくて。
それでいて不器用な人。
好きだと。
そう思った。
結婚しないで兄夫婦の手伝いをしようとしていた未来とか、そうでなくてもいずれ結婚しなくてはならないのだろうかという不安とか、そういったものは一切考えられなかった。
振られるかもとか、本当は嫌われているのかもしれないとか、そんなことも考えられなかった。
ただ、この男が好きだと、全身が訴えていた。
ほろりと、ティアナの瞳から涙が零れる。
理性的な女性になりたいと思っていたのに、感情的になってしまう。
ティアナが想像するかっこいい女性なら、きっとこんな風に感情に振り回されることなく言えるのだろう。
でも、それがティアナにはできなかった。
「―――すき、なんです」
ほろりほろりと、言葉が零れていく。
ティアナは泣いている顔が見られたくなくて、俯いた。
そして仕事中に言ってしまったことを後悔した。
でも、どうしても抑えられなかった。
言わなければ、胸が破裂してしまうほど苦しかったから。
「・・・申し訳、ありません・・・。
ここで降ろしてください」
「ティアナ嬢?」
ティアナはそれ以上ヴェルナーの視線に耐えきれず、御者に声をかける。
「申し訳ありません、ヴェルナー様。
今日はここで失礼させてください。
明日にはちゃんとしますので」
ティアナは顔を伏せたまま頭を下げる。
ヴェルナーがどんな表情をしているのか、怖くて顔が上げられなかった。
御者は直ぐに横道につけ、扉を開く。
「どうかされましたか?」
「いいえ、私が急用を思い出してしまったので、ここで降ろしてもらいたくて」
「それは・・・しかし女性一人では危険です。このまま城下の乗り合わせの場までお送りしますが」
「いいえ、大丈夫です。何度も一人で来ているので」
ティアナは御者の制止する声を制止して馬車から出る。そしてそのまま駆け足でその場から離れようとした。
「!!」
しかし、そうはならなかった。
「っ、ヴェルナー、さま・・・?」
「・・・乗ってください」
驚いたティアナが手首をつかんだその人を見る。
ティアナの手首を掴んだのは、少しだけ顔を赤くしたヴェルナーだった。




