21th
夜空に星が瞬く。
ティアナはそれを見つめた。
そういえば、最後にこうしてゆっくりと夜空を眺めたのはいつだっただろうか。
毎日見れるから、つい忘れがちだったが、こんなにも美しいものが自分の頭上にあったことを思い出しだ。
バルコニーに吹く風は少し冷たいが、厚手のショールを持っているお蔭でまだ我慢できそうだ。
「・・・それにしても・・・ふふっ」
ティアナは小さく笑みを零した。
自分を溺愛し、母である妻に弱い父に、そんな一面があったなんて。
今の父からは想像もできない。
しかし婚約破棄を決行しなくてよかったとも思う。
されていたら兄や自分はここにはいないだろう。
「・・・はぁ・・・」
ひとしきりくすくす笑い、そして深いため息をついた。
やってしまった。
ティアナはようやく後悔しはじめていた。
ヴェルナーが自分のことを心配してくれているのは理解していた。
それが自分を舞い上がらせていたことも。
だからあのような言い方をしてしまったが、言い過ぎだと反省していた。
「殿方は素直になれない、か」
母の言うことは、本当なのだろうか。
もしそうであれば、ヴェルナーはキリクに嫉妬してくれたのだろうか。
そうだとすれば、嬉しいと思う。
でも。
「・・・ああいう言い方って、ないんじゃない・・・?」
父が父がと免罪符のように言っていたが、いい年の男がそれを言い訳にするのはどうか。
その気持ちがあるのはありがたい。
だが、それならばティアナを手放せばいいだけの話だし、そもそもそれ以前に自分は仕事中ではなかった。
キリク・マルベール団長が、軟派な人であったらティアナはヴェルナーが自分に気持ちがあるかもなんて欠片も考えなかった。
しかし、団長は生真面目だと聞いている。
その彼にも失礼な態度だった。
「・・・おかしくない、かしら・・・?
私、やることやっていたわよね?ちゃんとお昼も渡したし、整理整頓もしたわ」
なぜか、ふつふつとティアナの心の底が沸き立ち始める。
「いくら女性が苦手だとしても、あれはないわ・・・。
あれじゃあ、怖がられるのがオチじゃない・・・。
そもそも私、そんな悪いことした・・・?」
していない、とティアナは思った。
これが仕事中であれば低頭して謝罪すべきことだが、自分全てに非があるわけではない。絶対に。
「・・・これ、私、怒ってもいいんじゃなくて?」
今まで何を迷っていたのだろうか。
思い返せば、少し前の自分は自分ではないようだった。
嫌われたと思い沈み、押そうとしても怖くて押せず。
本当の自分の性格は、そんなだっただろうか。
・・・違う。
ティアナは、小さいころから活発だった。
勉強が出来たせいか、口もうまく回った。
今では想像もつかないかもしれないが、本当に小さいころは知り合いの男の子と喧嘩だってしたのだ。
ティアナの本質。
「・・・今まで何をしていたのかしら、私。
玉砕するならさっさとしたほうがいいじゃないの。
嫌われないように猫被ったって、すぐにばれるわ」
嫌われたくないというのが本音だ。
だが、猫を被った自分を好かれたとして、いずればれたら嫌われる。
一番いいのは猫を被らない自分を好きになってもらうことだが、そううまくいく保証もない。
しかし、やらなければそもそもがないのだ。
考えに考えすぎたティアナの頭は、完全に迷宮化していた。
出口のない迷宮に、人は時折放棄することすらある。
ある意味吹っ切る、とも言えるだろう。
つまり。
「そうよ・・・女王陛下も押していいと仰られていたわ・・・。
玉砕覚悟でも当たらなきゃ・・・」
ぶつぶつとクッションに向かって話すティアナは、到底人に見せられたものではない。
しかし幸運なことに、ティアナの部屋にはティアナ以外誰もいなかった。
「・・・・・・押すわ」
このままでは、いけない。
自分には手練手管などない。
だから、真正面からぶち当たるしかない。
それしかない。
ティアナ・レネットは、父の仕事を手伝えるほどの能力を持つ才女で、理知的な第一印象を受ける人が多い。しかし、その家族はまずその第一印象に対して首を横に振る。
幼いころの彼女は、行動的で好奇心旺盛な娘だったと。気になることは何でもしてしまう、ある意味お転婆な子であったと。
年を経るごとに、淑女としての教育が施されたティアナは、パッと見るだけならば令嬢と取り繕えるくらいには成長した。
しかしその本質は。
「久々に滾るわ・・・見ていなさい・・・絶対に勝つ・・・!!」
****************
「・・・・・・」
そろそろ仕事の始まる時間になる。
ヴェルナーは気づきたくなかったそれに気づき、ため息を吐いた。
宰相執務室は相変わらず屍となった幾人かと、夜のうちにばら撒かれた書類が床を染めている。
比喩無く落ちるように眠った幾人かは、夢でも仕事に追われているのか、眉間には深いしわが寄っていた。
それよりも。
「はぁ・・・」
下手を打ったと、自分でも気づいていた。
してはならない言い訳をした。
結局、ヴェルナーはあの後戻るに戻れず、ティアナの終わる時間まで女王の執務室に詰めていたのだ。
しかし事の次第を聞いたらしい女王は、今だけだと言い、そしてティアナが帰る時間を過ぎた瞬間に
ヴェルナーをたたき出した。
その成長を喜ぶべきか・・・。
それよりももっと考えなければならないことがあるのに、どうしてもその問題に直面したくないヴェルナーは、その美貌を苦渋に歪めた。
しかし。
「おはようございます」
「っ」
時間とは過ぎるもので。
いつもと同じ時間に、いつもと同じように、ティアナ――今一番会いたくない相手だ――はやってきた。
「起きてください、仕事の時間ですよ」
「んぁああああ、もう、そんな、じかん・・・?」
「起きたくない・・・起きたくないよーー」
夜通し仕事していた屍・・・もといトプソンとガードナーがもそもそと体を起こす。
「お疲れ様です、トプソンさん、ガードナーさん。もうじきモーガンさんたちが来ます。それまで頑張れそうですか?」
「うーーー・・・ティアナちゃんの紅茶があったら、頑張れる・・・」
「わかりました、とびっきりおいしいのを用意しますので、もう少しだけ頑張ってくださいね」
ティアナは話しながらもいない三人の机の書類をざっくりとまとめる。
その素早い手つきに、彼女の仕事ぶりも板についてきたのだなと感じる。
「ヴェルナー様はどうされますか?」
「っ!」
いきなり声をかけられ、息が詰まる。
まさか、声をかけてくるとは思わなかった。
「ヴェルナー様?紅茶、ご用意しましょうか?」
ティアナは自分の話を聞いていなかったのだろうと判断してのことか、もう一度問いかけてくる。
「あ、あぁ、もらおうか」
「わかりました。すぐに戻ります」
ティアナはそういうと、颯爽と部屋を出ていく。
そして扉が閉じられ、ヴェルナーがため息を吐いていると、トプソンとガードナーが寝起きとは思えない表情をしていた。
「・・・どうした」
「え、どうした?どうしたって、こっちの台詞なんですけど」
「やっぱりかーーーー」
「・・・なんだ、煩いぞ」
「え、クライス様気づいていないんですか!?」
「まじかよ!ありえない!!」
ぎゃいぎゃいと騒ぐ二人に、ヴェルナーは絶対零度の視線を向ける。
その視線の冷たさに戦いたのか、二人は一瞬で大人しくなった。
「・・・それで、なんだというんだ」
「・・・ティアナちゃんですよ」
「ティアナ?」
「まじかよ、クライス様もかよ・・・」
煩いぞ、ロメリオ・ガードナーと言いながら、視線でその先を促す。
「いやだって、ティアナちゃんがクライス様をお休み時以外でお名前で呼んでいたじゃないですか」
「―――?」
ヴェルナーの頭は、一瞬空白となった。
名前で呼んでいた、そうだ、呼ばれていた。
待て、そもそも休み時とはなんだ、知らないぞ。
「・・・休み時とはなんのことだ」
「あ、やっぱクライス様でも寝惚けるんですね。たまに寝落ちした時に、ティアナ嬢が起こしていたんですけど、クライス様ってば、ティアナ嬢が名前で呼ばないとなかなか起きなかったんですよ」
「んな!?」
もちろん、ヴェルナーにそんな記憶はない・・・とは言い切れなかった。
微かに耳に響いていたあの声は、その時のものだったのだ。
「うっわ・・・」
「これはやばい・・・」
トプソンとガードナーが何か言っているが、ヴェルナーの耳には音としてしか入らない。
「思ったけどクライス様って美形だったな・・・」
「氷の貴公子だっけ・・・?あんな顔令嬢たちが見たら倒れるな」
ヴェルナーは気づいていなかったが、顔を真っ赤にし滅多に見られない驚きの表情をしているヴェルナーは、男すら道を外させそうになるほど妖しい魅力を醸し出していた。
「お待たせいたしました・・・、どうされたんですか、ヴェルナー様。
風邪でもひかれましたか」
「っ!な、なんでもない。仕事に取り掛かる」
「わかりました。その前にこちらをどうぞ」
「あ、あぁ、ありがとう」
「トプソンさんもガードナーさんもどうぞ。リリンのお茶です」
「わー、ありがとう、ティアナちゃん」
「あと少し、頑張るかァ・・・!」
ティアナはお茶を出し終えると、すぐさま書類整理へと動いた。その動きには淀みがない。いや、むしろさくさくと進んでいる。
ヴェルナーはそんなティアナの様子をちらちらと見ながらも、己の仕事へと向き合った。
そうして数時間経過したころに、モーガンとバシュレーがやってくる。
ボルシオは別件で外に出ているらしい。
「おはようございます、閣下」
「あぁ」
「トプソン、ガードナー、お疲れ様です。引継ぎを」
「あーー、やっと来たぁ・・・」
昨日仕事の終わらなかったトプソンとガードナーは、夜通し仕事をすることで自身の仕事を終え、今日はこのまま休みを取るようだ。
ティアナが来てから初めてみる光景だが、よくあることだとバシュレーが教えてくれた。
二人が夜通し作業することで終わったものが、モーガンとバシュレーに必要なものだとも。
「おはようございます、閣下」
「リヒトか、どうかしたのか」
「今度行われる舞踏会について陛下がご相談したいことがあると」
「わかった、午後一で伺うとお伝えしてくれ」
「かしこまりました」
宰相室はいつも通り、人の出入りが激しく休む間もない。
ティアナもそんな中くるくると室内を動き回り、それぞれの補佐をしている。
ヴェルナーはそのことに少しだけほっとした。




