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アガパンサスの蕾  作者: 水無月


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17/30

17th



「・・・おとう、さま・・・?」


ティアナは、いつにない剣幕の父に戸惑いを隠せなかった。


「クライス殿だぞ!? きっと遊ばれるに決まっている!」

「!! お父様!! 私より長くクライス様の人となりを見られていて、それでそう仰るの!?」

「くっ・・・、し、しかしだな、ティアナ・・・クライス殿は見目がいい。そんな彼に女性は引き寄せられるだろう・・・、そうすれば、泣くのはティアナだぞ?」

「そんなこと・・・。それに女性を全く相手にされないから氷の貴公子なんてあだ名がつけられたんですよね?」

「ぐぅっ」


何となくだが、ティアナはそれが真実ではないと思った。


「・・・お父様、何を隠しているんですか」

「っ隠してない! とにかく、クライス殿だけはだめだ!! ティアナはずっと家にいればいいだろう!!」

「お父様!!」


初めてといってもいいほどの父の横暴に、ティアナも眦を吊り上げた。

睨みつけられたステファンは、一瞬悲しそうな表情をし、そして苛立ちのままに吐き捨てるように言った。


「・・・クライス殿の傍にいれば、ティアナはまたあの令嬢のような変な輩に絡まれるだろう!!」

「・・・へ?」


ティアナは父の言葉にぽかんとした。

令嬢、というとサーラのことだろうか。

クライスから父には説明したと聞いており、そしてそのあとも何も言われなかったので問題ないと思っていたのだ。


「ティアナ、私の可愛い娘・・・私がお前が危ない目に合って、怒らないと本気で思うのか・・・」


ティアナは首を横に振った。

そうだ、父は自分を溺愛している。

だからと言ってはなんだが、クライスが報告をした際に問題なかったと聞いて不思議に思ったのだ。


「クライス殿と一緒になれば、そういった問題はいつだって付きまとうだろう・・・。クライス殿がしっかりと守ってくださればいいが、すでにそれも絶対ではないと知っている。そんな人の元に、私が可愛い娘をやりたいと思うのか・・・?」

「お父様・・・」


ティアナは、父の愛情の深さを知った。

そして。


「・・・お父様、重い」

「おも!?」


ティアナの言葉に、ステファンは愕然とした表情となる。

きっと、自分の言葉に胸打たれたティアナが胸に飛び込んでくるとでも思っていたのだろう。


「そんなことを言ってしまえば、誰だって何かしら危ない目に遭うことはあるわ」

「だが、クライス殿の元へ行けばそれが常となるのかもしれんのだぞ!?」

「そもそも、クライス様にも選ぶ権利があります。私が好意をお伝えして応えてくれる保証なんてないわ」

「うちの可愛いティアナを振る!? くっ、クライスの若造め・・・!」


ついに敬称すらも忘れるほどの激情に駆られたらしい。


「落ち着いて、お父様。人は誰だって困難に立ち向かわなくてはならないときがあると言ったのは、お父様よ?」


前王時代、権力や欲に目がくらんだ貴族たちの後始末を必死になって行っていたステファンは、子供たちにそう言っていた。

自分の言葉を返されたステファンは、言葉に詰まる。


「お母様が仰っていたわ。想いを持つことは罪ではないと。クライス様は一人身だから、伝えることも罪ではないはずよ? 伝えた後にどうなるかはわからないけれど、私は伝えたい」

「ティアナ・・・」

「それに、お父様は知っているでしょう? 私が結構強いことを」

「・・・」


ティアナの言う強い、というのは物理的にではない。

だが、ティアナの精神は貴族令嬢にしてはしなやかで強い。

少なくとも、相手の言い分のみを聞いて言い負かされることを良しとしないくらいには。


「でもね、お父様」

「・・・」


しょぼくれた父に、ティアナはそっと近づく。

そしてぎゅ、と抱きついた。


「ティー・・・」

「・・・ありがとう、心配してくれて。お父様やお母様が心配してくれるってわかっているから、頑張ろうって思ったわ」


ティアナは幸せな家庭に生まれた。

だから、愛されない、冷遇されるという悲しさを知らない。

でも、想像ならできる。

・・・かつての女王陛下を思えばいいだけだから。


だからこそ、言い切れるのだ。

愛し愛される家族がどれだけ尊いかを。

胸を張って、自分も家族を愛していると言えることの、素晴らしさを。


思春期のときに自分の家族の愛の形がおかしいと悩んだ事もあった。

きっと、ベルンも同じ道を通るのだろう。

それでも、反抗的になった自分を見捨てないでいてくれたのは家族だけだった。


「ティアナ・・・、お父様のお願いは聞けないのか・・・?」


まるで見捨てられた犬のような父に、ティアナは苦笑を零す。


「ごめんね、お父様。理屈抜きで好きになってしまったみたい。

 ・・・でも」

「・・・なんだい?」


ティアナは父の胸に顔を埋めた。


「・・・振られたら、皆で慰めてくれる?」

「っ・・・ティアナが振られるなんて想像したくもないが・・・わかったよ、私のお姫様。

 後悔しないようにしなさい」

「うん、ありがとう、お父様」


ティアナは改めて父の懐の深さを知った。

いや、元からレネットの家は情の深い人間が多いのだ。

父も、母ももちろん。

兄弟、そして義姉ですら優しい。

ティアナは胸を張って言える。

国一番の家族は自分の家族だと。


ティアナは潤んだ瞳を隠すように瞼をおろした。






**********





だからと言って、ティアナがすぐに行動に移すことはなかった。

というよりも、移せなかった、のほうが正確かもしれない。


「次はこれだ」

「ええええええ」

「お前はこれを処理しろ」

「・・・私、まだ未処理のものを抱えていますが」

「ここの計算がおかしい、やり直し」

「―――モウヤダ」


宰相室は安定で多忙だった。

というより、いつもより輪をかけて忙しかった。

というのも、年末を意識し始めたからだ。


ヴェルムンドにおいて年末は、一年を無事過ごせたことと新たな年を祝うものでもある。

―――一般的には。

しかし国の中枢ともなればそうもいかない。

各領地の状態の報告を聞き、それを財政課と話して今後の税率を決めたりしなければならない。

他にも、城の収支をまとめて上位貴族へ無駄遣いをしていないということも示さなくてはならない。

さらにいうのであれば、学び舎の報告をまとめ報告もしなければならないのだ。


もちろん、ヴェルナー達だけで行っているわけではない。

各課と連携を取りながら行っているが、どうしたって業務は増える。

そうして殺伐とした空気が生まれるのだ。


「・・・みなさん、お茶と軽食を用意しました。

 少し休憩しましょう」

「あああああーーーー」

「ティアナちゃんっ・・・!!」

「そうです、きゅうけいしましょう」

「頭痛い・・・」


ティアナが休憩を取るように声をかける。

それに縋りつかんばかりに席を立つ面々に、ティアナは大丈夫かしらと心配になった。


「ガードナー様、頭が痛いのであれば医師を呼びますか?」

「いやいや、大丈夫、頭の使いすぎだろうし」

「軟弱だな、ロメリオ」

「黙れ」


肩の力が抜けたのか、わいわい騒ぐ面子を余所にヴェルナーはもくもくと仕事を続けている。


「クライス様」

「・・・」

「クライス様」

「・・・」

「・・・ヴェルナー様」

「・・・」

「・・・」

「はっ、今誰か呼んだか」


中々反応しないクライスに、ティアナはため息を漏らしつつ頷いた。


「休憩の時間です。

 そんなに根を詰めていては小さなミスを犯しますよ」

「・・・あ、あぁ、すまない」


クライスはにっこりとほほ笑みながらカップを渡してくるティアナをまじまじと見てくる。


「どうかしましたか、クライス様」

「あ、いや、今私のことを・・・」

「あぁ、勝手にお名前でお呼びして申し訳ありません。

 でもなかなか気づいてくださらないので・・・。まぁ、お名前でお呼びしてもなかなかお気づきにならないことがわかりましたので、今度からは別の方法でお呼びします」


最終的には気づいてくれたが、今のように時間がかかっていては意味がない。

休める時間とて有限なのだ。

休む時にしっかり休んでから、仕事をする。

宰相室の人はどうやらそれが苦手ない人が多いようだ。


「すまないな、てぃ・・・レネット嬢」

「いいえ」


そして、呼び方も戻った。

まぁ職場なのだから当然と言ったら当然だが、たまに言い間違えているのを聞くと少しだけ気分が上がる。

少なくとも、自分は彼が名前で呼ぶほどには親しくなれているのかもしれないと。

・・・呼ばれそうなだけで、実際には呼ばれていなくても。

しかし仕事での私事との線引きは大事だ。

そこを少しでもあいまいにした瞬間、ティアナはサーラと同じになるだろう。


ティアナはクライスにお茶や菓子を渡すと、自分はさっさと執務室の片づけに入る。

とはいっても、くず入れの確認やインクの補充などだが。

しかしこれをこまめにするかしないかで仕事の効率はだいぶ異なるとティアナは思っている。


「それにしても、ティアナさんが来てくれて本当によかった・・・」

「本当にな。いつもならこの時期みんな死体みたいな顔色で働いているもんな」

「そうなんですか? 駄目ですよ? 適度な休憩、睡眠をとらないといい案も出ませんからね」

「うんうん、そうやって言ってくれる人が誰もいない宰相室!」

「オーランドは後で仕事をたんまりやろう」

「え゛!? クライス様、鬼っすよ!?」


和気あいあいとしたその場を、もしほかの課のものが見ればきっと絶句したことだろう。

それほどまでに、空気に余裕があった。


「失礼しまーす、あ、ちょうどティータイムですか?」

「リヒト様」


ノックと同時に入室してきたリヒトは、手に持った書類を置くと菓子に手を伸ばそうとした。


「あっ、手が早いですよ!」

「一つくらいください・・・、まだ昼も食べてないんです・・・」


そう言ったリヒトの腹から、情けない音が響く。

それにティアナはくすりと笑った。


「リヒト様、よろしければこれを」

「これは?」


ティアナが渡したのはティアナの昼食だった。

忙しいことを見越して簡単につまめるものを作った。

万が一のことも考えて、執務室の人の分も作ったが、慣れた彼らはちゃんと食事を用意していた。

そうしてティアナの元には、大量の食糧が残ることになったのだ。


「昼食だったのですが、作りすぎてしまったので・・・。

 お口にあえばいいんですけど」

「「「手作り!?」」」


リヒトにだけ渡すつもりが、まさか他の面々まで反応するとは思わなかったティアナは、恐る恐る持ってきた食事を出した。


「え、結構あるじゃん!」

「ティアナさん、私もいいでしょうか?」

「あ、ずるいぞ! 俺も!」

「待ってください!? なんで私がもらう予定のものを!?」

「た、たくさんありますから」


ティアナはこの人たち昼食摂ったよね・・・?と思いつつも用意した食事を開いた。



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