16th
「ヴェルナーと私、アーサーベルトの付き合いは長いわ。それこそ、彼らの青春は私のために使われたといっても過言ではないくらい」
女王は、淡々と話し始めた。
「幼い私に、彼らは尽くしてくれたわ。アーサーは剣を、ヴェルナーは座学を教えてくれた。彼らの私的な時間は、私に使われたの」
「ですが・・・」
それは仕方のないことではないだろうか。
王族に時間を使えるというのは、誉れ高きことではないのだろうか。
「・・・私には妹がいたわ」
「リリアナ様、ですよね?」
「えぇ。一時、彼女が女王になる話もあったのよ。物語のように綺麗な話ではなく、私はこの城で厭われていた時代だった。城の誰もが、私を腫物のように扱ったのよ」
それは、今の女王からは欠片も想像のできないことだった。
正直、本人の口から聞いても信じられないものがある。
「そのときにね、ヴェルナーは後悔してしまったの」
「こう、かいですか・・・?」
「そう。私はそのお蔭で助かっているのだけど、彼はずっと後悔していた。割り切ってくれたらよかったのに、ヴェルナーは変なところで真面目なせいで割り切れなかったの」
その時の女王の表情は、彼女こそ後悔しているようにティアナには感じられた。
「・・・あの時の私には、必要なことだった。いくらそれを言っても、ヴェルナーは受け入れてくれない。そのせいもあってか、彼は仕事に殉ずるように生きている。もう、頑張りすぎなくらい頑張っているのに。
・・・私はね、ティアナ。ヴェルナーを縛り付けるようなことはしたくないの」
「・・・」
ティアナは黙って女王の独白を聞いた。
「だから、貴女を採用するって聞いたとき、喜んだのよ」
「・・・そう、なんですか?」
「えぇ! だって、あのヴェルナーが自ら連れてきた子ですもの!」
クライスはそこまで言われるほどなのか。
そして次の瞬間、ティアナは女王に予想もしていなかった一言を言われる。
「ティアナ、ヴェルナーは押せ押せよ」
「・・・へ?」
女王―――イルミナはぱちりとウィンクをした。
「な、な・・・!?」
「もう、いつ話してくれるかと待っていたのよ?」
「え、な、い、いつ・・・!?」
驚きすぎて不敬な言葉遣いになるも、ティアナは気にしている余裕はなかった。
逆に、イルミナは楽しそうにころころ笑っている。
「今さっきよ? でもアーサーに相談を持ちかけた時から何となくね。
ねぇ、ティアナ」
「っ・・・はい」
「ヴェルナーはいい男でしょう?」
「はい」
ティアナの即答に、イルミナは本当に嬉しそうに微笑んだ。
「・・・でも、クライス様は・・・」
「ヴェルナーが?」
「・・・いえ、あの、その、押せ押せというのは・・・」
ティアナは一瞬クライスの想いを話しそうになり、それは駄目だと思い直した。
アーサーベルトも言っていたではないか。
クライスはその想い自体を口にしていないと。
つまり、女王にも伝えていないのだ。
・・・だから割り切れない部分もあるのではとティアナは思ってしまうが。
「あのね、ティアナ。貴女だけなのよ、ヴェルナーが傍に置く女性って」
「それは仕事ですから・・・」
「いいえ、そもそも、女性をいれようとしなかったのよ。ヴェルナーは優良物件だから、どうしても仕事を疎かにされそうと思っていたみたいね」
それはそれで、まじめに働く女性に対して失礼だが。
「ヴェルナーは鈍感なの。だから押して気づかせないと、絶対に気づかないわ」
女王はそれだけ言うと、外で待っていたアーサーベルトに声をかける。
「もういいわよ、アーサー」
「かしこまりました。お戻りに?」
「えぇ、執務の途中で抜けてきたから、そろそろグランに気づかれちゃう」
切り替えの早い女王に、ティアナはぽかんとしながらその背を見送る。
「じゃあ、またね、ティアナ」
「え、あ、ハイ!!」
慌てて立ち上がりお辞儀をするティアナにイルミナは美しく微笑んでその場を後にした。
「・・・レネット嬢、相談事は解決しそうか?」
「・・・なんとか?」
女王の言葉通り受け取るのであれば、ティアナはちゃんと仕事をしつつクライスにアタックするほかないようだ。
・・・どうやればいいのか皆目見当つかないが。
「・・・そういえば、陛下がクライス様がずっと後悔をされていると伺いました・・・。どうしてか、伺っても?」
「すまない、それだけは言えないんだ」
アーサーベルトは少しだけ切なさそうに言った。
きっと、本当に聞いてはいけないことなのだとティアナは悟った。
「失礼しました・・・」
「いや、機密に関わることなのでな・・・。可能であればヴェルナーにも聞かんでやってほしい」
「はい」
失敗したと後悔し、顔を俯かせるティアナに、アーサーベルトは苦笑した。
「レネット嬢」
「はい」
「・・・ヴェルナーを頼む」
「? むしろ私のほうがご迷惑ばかりおかけしています」
ティアナは正直な気持ちで言った。
事実だからだ。
しかしアーサーベルトはそうは考えていないようで。
「いいや、きっとヴェルナーは・・・。
いや、言わないでおこう。もしまた何かあれば遠慮なく呼び出してくれ」
「え!? そんな、今日のことだって申し訳なくて・・・」
「構わない。むしろろくな助言が出来なくて悪いな」
「いいえ、とても助かりました」
「とりあえず今言えるのはヴェルナーのセンスはちょっと外れているということと酒には弱いぞ」
「え? そ、そうなんですか・・・?」
クライスの意外な一面を聞き、心が浮足立つのをティアナは感じた。
「あぁ、一度見せてやりたいものだ。
・・・おっと、すまない、そろそろ」
「あ、はい、今日はお時間を取っていただき、ありがとうございます、アーサーベルト様」
「構わない、気にせずいつでも声をかけてくれ」
「ありがとうございます、女王陛下にも今一度お礼を・・・」
「伝えておこう」
そうしてアーサーベルトはティアナを出口まで案内する。
仕事だといっていたので断ろうとするも、一人で行かせたのがばれたら、陛下に怒られてしまうと言われてしまい、好意に甘える。
外へ続く廊下を二人で歩いていると。
「ティー?」
「? お父様」
後ろから愛称を呼ばれ振り返ると、そこには父であるステファンがいた。
「今日は休みではなかったか? 何かあったのか?」
「いえ、今日は個人的な用事よ」
「個人的な・・・?」
ティアナを訝しげに見るステファンは、ようやくアーサーベルトの存在に気づき慌てて礼をした。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません、アーサーベルト様」
「いや、構わない、レネット殿」
「あの、うちの娘がなにか・・・?」
ステファンはティアナがアーサーベルトに用事があったなどとは、欠片も考えていないようで、少しだけ怖々と聞いていた。
「いや、レネット嬢に用事があったのは私でな。
休みの日で申し訳なかったが城に来てもらったのだ」
「アーサーベルト様が、ティアナに・・・?」
ティアナは父が戸惑う理由が正確に理解できた。
只でさえクライス宰相という雲の上のような存在とともに仕事をしているという謎な状況。
その娘が、女王陛下の唯一の騎士であるアーサーベルトとどうやったら個人的に知り合ったのだろうかと考えていることだろう。
本当ならティアナがアーサーベルトを呼んだのだが、ここはアーサーベルトに甘えることにしたティアナは、父に頷いて見せた。
「そ、そうか・・・。
もう帰るのか?」
「そのつもりよ」
「アーサーベルト様、ティアナは私が送りますので、どうぞお仕事にお戻りになられてください」
「いや、レネット殿こそ仕事があるのでは」
「いいえ、今は急ぎの案件もありませんし・・・少しだけ休憩ということで」
「そうか・・・、では私はここで失礼して。
レネット嬢、今日は有意義な時間だった、ありがとう」
「こちらこそありがとうございました、アーサーベルト様」
ティアナの返事に、アーサーベルトはにこりと笑うと来た道を戻っていった。
その後ろ姿が見えなくなった瞬間、ティアナは誰がに肩を掴まれた。
・・・誰か、と言っても父しかいないのだが。
「ティー、帰ったら話がある」
「・・・はい」
ティアナは何となく気まずい思いをしながら神妙に頷いた。
***********
「それで? ティアナはいつ、どこでアーサーベルト様をお知り合いになったのかな」
「お父様・・・帰宅早々、口にするなんて」
「そうですよ、あなた。
せめて外套くらい脱いでくださいな」
「う、うむ・・・。
とりあえずティアナは私の部屋に」
「あなた、お食事は?」
「あとでだ!!」
「まったくもう・・・。ティアナ、行ってらっしゃい」
「はい、お母様」
ティアナはこの場に兄がいなくてよかったと思った。
兄であるアルベルトもなぜかティアナを溺愛しており、父と一蓮托生とばかりに問い詰めてくるだろうからだ。
「姉上、話半分で聞くといいと思いますよ」
「ありがとう、ベルン」
「ティー!」
「はい、今行くわ!」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・お父様、黙られては私も何を仰りたいのかわからないわ」
「っ・・・ティアナ」
「はい」
「・・・懸想している相手がいるというのは、本当か・・・?」
「・・・はい?」
てっきりアーサーベルトとの関係を聞かれると思っていたティアナは、父の言葉にきょとんとする。
しかし父は疑問形のそれを肯定と受け取り、何故か泣き始めた。
「え、え? お、お父さま?」
「うっ・・・うっ・・・ティーは、私と結婚するっていっていたのに・・・!!」
「ちょ、お父様? それは誰情報なの」
「エリナ」
ティアナは内心で母に怒りを燃え上がらせた。
ごめんね、ティアナちゃん、と悪びれることなく謝る母の姿が思い浮かぶ。
「待ってください、お父様・・・」
「で!? 相手は誰なんだ!!」
悲しみが頂点を超えたのか、ステファンは血走った目でティアナを問い詰める。
というより、娘が年頃になっても家にいることを悲しむでもなく、むしろ推奨しているのは自分の父くらいではないだろうか。
「最近親しくなった奴か・・・!? それとも・・・!?」
「ちょ、お父様、落ち着いてください!」
「はっ・・・! ま、まさか・・・!?」
「はい?」
「アーサーベルト様とか言うのではないだろうな!? 駄目だぞ!? あの方は陛下に忠誠を誓っているんだからな!!」
「違いますけどーー!?」
常ならば頭の回転の速いステファンだが、娘のことになるとどうにもその才能は発揮できないらしい。
しかし、それでも長年城で勤めているだけのことはあった。
「まさかっ、クライス宰相殿か!?」
「っ!」
ティアナは図星を吐かれて一瞬口ごもる。
そんなティアナを見たステファンは、鬼の形相となり、そして言い放った。
「駄目だ!! クライス殿だけは、絶対に駄目だ!!」
イルミナは知っていた。
ヴェルナーが、今でもあの"記録"を大事にしていることを。
アーサーベルトと共に、今でも厳重に保管していることを。
それは、かつて第一王女と呼ばれた彼女の、記録。
毒物に慣れるため、暗殺されないようにするために、ヴェルナー・クライスの指示によって行われたものの記録。
それを見ていいのは、本人である女王、双璧。そして女王専属の医師、そして王配のみだ。
「・・・いつまで気にしているのかしら」
ある意味、仕方のないことだとわかっている。
きっとこの先一生、ヴェルナーはそれを後悔し続けるだろうことも。
だが、それと彼の幸せは別物だ。
彼は、彼の幸せを手に入れる必要がある。
だって、自分は手に入れたのだから。
「まったくもう、いつまでも鈍いままではいられないですよ、ヴェルナー」
昔のように、空に語りかける。
願わくば、大切な人が幸せを感じられる世界を。




