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アガパンサスの蕾  作者: 水無月


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14/30

14th


「ティアナ、今日はお休みでしょう?お茶にしないかしら?」

「お母様、もちろん、喜んで」


ティアナの中では事件だったあの日から数日後、お休みをもらったティアナは自室でくつろいでいた。

そんな時、ひょこりと母であるエリナからお茶の誘いを受け、快諾し二人はサロンへと向かった。


「お義姉さまは?」

「誘いたかったのだけど、アルとお買いものよ。ベルンは勉強があるからって断られちゃったわ・・・。でもいいの、久しぶりに母娘二人で楽しみましょう?」

「もちろんよ、お母様」


にこにこと微笑む母に、ティアナの頬も緩む。

エリナは執事に予め頼んでいたのか、サロンにはすでにお茶の準備が整えられていた。

ふわりと香る紅茶の香りに、ティアナの心も弾む。

用意されているお菓子は、最近王都で流行っているものだろうか。


「今日はゆっくりしているんでしょう?」

「そのつもりよ。明日には仕事に行くから」

「そう・・・。それで、どうなの?」

「何が?」

「んもうっ、クライス様よ」

「どうって・・・普通よ?仕事も忙しくされているようだけど体調を崩されたりもしていないし・・・執務室も魔窟からは脱却したと思うわ」

「・・・」

「それに他の皆様もようやくごみはくず入れに入れるってことを覚えてくださったみたいで、初日よりは楽になったわ」

「・・・そういうことじゃないわよ、ティアナ」


ティアナの嬉々とした報告を、エリナは真顔で一刀両断した。


「ティーちゃん、お母様はね、あの日クライス様からご連絡があってすっごく心配したのよ?」

「ご、ごめんなさい・・・?」

「あそこのお嬢さんから直接危害を加えられそうになったと聞いて、どれだけ心配したかわかる?それにお父様やアル、ベルンを止めるのも大変だったのよ?」

「あ、ありがとうございます・・・」

「しかもクライス様ったら自らティアナを探してくださったそうじゃないの」

「そうです・・・」


なぜか責められている気持ちになるティアナに、エリナは畳み掛けるように続けた。


「ティーちゃん、わかっている?あの(・・)宰相様なのよ?氷の貴公子と謳われ、涙した女性は数知れぬ。どんな時でも女性に優しくない、あのクライス様なのよ?」

「・・・クライス様は、優しい、よ?」


その瞬間、エリナはびしりとティアナを指さした。


「それよ」

「・・・それ?」

「えぇ、クライス様が、ティアナに優しいということが、問題なのよ」

「・・・仕事仲間だからじゃないのかしら」


ティアナが至極まっとうなことを言うと、エリナはわかっていないわねと言わんばかりに肩を竦めた。


「ティアナ、クライス様はね、公私混同をされないお方よ?」

「普通でしょう?」

「そうね。いい、ティアナ、よく聞きなさいね?」

「はい」

「そのクライス様が、大事な仕事を放って貴女を探すために奔走されたのよ?」

「・・・あ」


ティアナはそう言われてようやく気付いた。

そうだ、そもそも戻ったクライスは徹夜も覚悟しろみたいなことを言っていたではないか。


「ようやく気付いたようね、鈍感ティーちゃん。本来クライス様のお立場であれば、警備の人とかに頼むべきなのよ。それをしないで貴女を探すために駆けずり回った。特別、と思うには少し難しいかもしれないけど、少なくともクライス様にとってティアナは何かしら思う存在なの」

「・・・うそ」


ティアナは母の言うことを信じられない気持ちで聞いた。

しかし、不思議と母の言葉というのは信じられてしまうもので。


「それが恋なのかどうなのかはお母様にもわからないわ。・・・でもね、ティアナ。やってみないとわからないことのほうが多い世の中よ?」


ぱちりとウィンクをするエリナに、ティアナは絶句して顔を真っ赤にした。


「・・・!! い、いつから」

「え?ティーちゃんがクライス様を好きなこと?」

「!! い、言わないで!!」


ティアナ自身あの日にようやく認められたその想いを、母はあっさりと口にした。

どうして、ばれたのだろうか。

ティアナの考えでも読んだのか、エリナはうふふと可愛らしく笑いながらティアナを見た。


「だって、ティーちゃんってばわかりやすいもの」

「わ、私が?」

「えぇ、それに貴女のお母様よ?貴女が何を思ってクライス様と接していたのかくらい、想像がつくわ」


ティアナはわかりやすいと言われ、呆然とする。

自分の中でのティアナは、デキる女だったのに一瞬で崩された気持ちだった。


「まぁ、お母様は貴女より年上で、経験を積んでいるからね。・・・ティアナ、確かに身分というものはあるわ。でもそれを理由に恋をしちゃいけないってことはないのよ?」

「っ」

「人の旦那様を横取りするのは罪だけど、好きという感情を持つこと自体は悪いことでもないとお母様は思っているの。ただ、ちゃんと自制して弁えるということが大前提ね。好きという感情は、貴女だけでなくて奥様も同じように持っているのだから」


ティアナは母の言葉を魅入られたように黙って聞いた。


「一部の人は身分違いなんて言うけれど、結局は同じ人よ。女の人から生まれて、そして年を取って死ぬ。それに貴賤はあるのかしら。同じように、人を好きになるという感情に、貴賤は関係あると思う?」


ティアナは呆然としながらも首を横に振った。


「そうね。私もそう思うわ。だからね、ティー。クライス様も同じ人の子なのよ?」

「―――っ」


ティアナは母の言葉が、驚くほどすんなりと自分の内に入ってきたのがわかった。

何故、自分はクライスと違う世界に住む人などと思ったのだろうか。

同じ人で、言葉も通じるのに。

ただ、夢を見ても無駄だと、言い聞かせたかった。

絶対に振り向いてはくれないとわかっていたから。


「・・・伝えても、いいと思う?」


ティアナは伺うように母を見た。

エリナは、慈愛を含んだ笑みでティアナを見ている。


「いいと思うわ。報われる、報われないは後の話よ。だって、そもそも伝えなければその土台すらないのだから」

「お母様・・・」


正直になろう、そう思った。

ティアナは、ヴェルナー・クライスが好きだ。

異性として、人として。

例え、その心の別の誰かが住んでいたとしてもいい。

自分が彼を好きだという気持ちには偽りはないのだから。


「・・・お母様」

「なぁに」

「私、頑張ってみる」

「そう、後悔しないようになさい」


エリナはそう言い、ゆっくり考えるといいと言ってティアナを自室へと戻るように言った。

ティアナも特に反対せずに自室へと戻る。

そして母は偉大だとティアナはしみじみ思った。

だって、母の言葉がなければ自分は想いを伝えようなどと思わなかっただろう。

しかし、言ってくれた。

好意を持つということ自体は、罪ではないのだと。

言った後どうするかによって問題は生じるだろうが、道徳を弁えればいいのだと。

そこではた、とティアナは気づいた。


「・・・女王陛下だって、ご結婚されているわ」


どうしてそんな当たり前のことを思い出さなかったのだろう。

いや、当たり前すぎて失念していた、というべきだろうか。


考えてみれば、クライスとて報われない想いを抱えているのだ。

・・・自分よりも長く。

それはきっと、とても辛くて苦しいことだろう。

そして、そうまでしても諦められないほど、愛しいのだろう。


ティアナは、その傷を癒すなんて大層なことを言うつもりは毛頭もない。だが、少しくらい自分含め他の人を見てくれないだろうかと浅ましくも願った。

出来るなら、自分を見てほしい。

そこまで考えて、ティアナはサーラのことを言えないと思った。

彼女は、彼女なりに必死だったのだと、気づく。

だからと言って、あのやり方はダメだろうと思うが。


「そうよ、私にだって、伝えることはできるわ」


少なくとも、サーラのようなやり方以外で。

自分がクライスに似合っているかどうかなんて、知らない。

人によっては釣り合わないという人もいるだろう。

自分だって、似合っていると胸を張って言うことはできない。

でも。


「当たって砕けろって、いうじゃない」


伝えない後悔よりも、伝えてからする後悔のほうがいい。

伝えないまま、彼が他の誰かを選ぶことを見るほうが、きっともっと深く後悔する。


「・・・なら、やるだけやってみよう」


振られたら、泣けばいい。

正直、想像するだけで涙が出そうになるが、今ではない。

まだ、振られてもいない。


「振られたら買い物とかするといいって言ってたわね・・・」


昔読んだ恋愛小説ではそう書いてあった。

それがどれだけティアナの心を癒すかはわからない。

でも、先人たちだってそうやって生きているのだ。


「・・・とりあえず、いつ告白すべきなのかしら?」


ティアナは自室で考え込む。

好きだと自覚したのはいい。

だが、負け戦をしに行くわけでもない。

出来ることなら、クライスには自分を好きになってもらればいいと考える。


「・・・そもそもクライス様は私のことをどう思われているのかしら・・・?」


嫌われてはいないとティアナは思う。

そうでなければ、きっと仕事の話自体なかっただろうとも。

父のお蔭でもあるが。

しかしそれ以降仕事を任されるようになったのはティアナ自身の力だ。

だからと言ってはなんだが、気に入られていないわけではないと感じる。

そうでなければ、クライス自ら自分を探しに来るはずもない。


「・・・問題は」


クライスが自分を異性として見ているのか、部下として見ているのか、だ。

そして異性として見られていることはないだろうとすぐさまその考えを却下する。

だとして、部下として見られているのかという問いにも首を傾げそうになる。

女性と男性という壁とでも言うのだろうか。

少なくともクライスが自分に対して他のメンバーのように雑な口調で話すことはほとんどない。


「・・・わからない」


ティアナは自分がどうすべきか、全くわからなかった。

ぐるぐるとする思考は、ティアナをある意味テンパらせた。


「知り合い、そう、知り合いに聞けば・・・、

 クライス様のこともご存じで、こういったお話に詳しそうな方・・・」


ティアナの脳裏に、ある人物が浮かび上がる。

通常のティアナであれば絶対に声をかけないだろうその人。

そしてその人物はティアナにとってまさしく理想な人物であったと本人が知るのは、後のことである。



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