13th
「・・・無事ですか」
「え、あ、はい! この通り怪我ひとつなく!」
ティアナの答えに、ヴェルナーは一つ大きな息を吐いた。
「クライス様、私はこの者を」
「あぁ、頼む」
ティアナは気づいていたなかったが、あの場にいたのはティアナとサーラ、そしてヴェルナーの三人だけではなかった。
後ろには、騎士服を着た男が数人いる。
「あぁ、彼らは騎士団のものです。
あなた達の捜索に手を貸してもらいました」
「え!? あの、も、申し訳ありません!!」
ティアナが勢いよく頭を下げると、騎士たちは朗らかに笑った。
「いいえ、お気になさらず」
「我々は国の治安を守ることも仕事ですから」
「何より陛下のおられる城でこのようなことがあってはなりませんので」
そう言って、項垂れたままのサーラの腕を引き何処かへと連れて行く。
そして取り残されたティアナは、ヴェルナーに向かって深く頭を下げた。
「このたびは、このような事件を起こしてしまい誠に申し訳ありません・・・」
「ティアナ嬢?」
「私のようなものがクライス様のお傍にいると、いずれ同じようなことが起きる気がします・・・ですから、」
「・・・ですから、だと?
仕事を途中で放るつもりか」
「っ・・・そう、取ってもらっても仕方ありません。ですが、私のような者が傍にいれば、必ず似たようなことが起こります」
「・・・そうか」
ティアナは唇を噛み締めながらひたすら頭を下げ続けた。
だって、仕方ないではないか。
わき役の分際で、主役に面倒をかけるなんて、あってはならない。
それだというのにティアナは既に二回もヴェルナーに手間をかけさせてしまった。
もうこれ以上傍にいるのは無理だろう。
しかし。
「却下だ」
「・・・え?」
「却下だ、といった。君がいなければ執務室はまた魔窟になる。それにあの部下どもの士気も下がる。それだけは遠慮したい」
「で、ですが・・・」
「今回のことは、私にも非がある。・・・すまなかった」
「そ、そんな、謝らないでください!! 私がちゃんとしていればよかったんですから・・・!」
「ちゃんとする? 君はちゃんとしていた。私が仕事の忙しさを理由にちゃんとした情報統制を行っていなかったからだ」
「で、ですが・・・」
「くどい。ティアナ・レネット。君はあの執務室に必要な存在だ。今のところ他のものを雇う予定はない。話はそれだけだ、仕事に戻るぞ」
「え、あ・・・」
ヴェルナーはそれだけ言うと、さっさとティアナに背を向ける。
その背を見て、ティアナはなぜか泣きそうになった。
どうして、自分はわき役だというのに。
絶対に報われないと、知っているのに。
ティアナは、何故か溢れそうになった涙を必死に堪えながら、ヴェルナーの後を追った。
***********
「ティアナちゃん!!」
「ご無事でしたか・・・!!」
「トプソン様、モーガン様」
「よかったよ~~、おれ、すっごい心配したぁ・・・」
「怪我はありませんか? お疲れでしょう、紅茶を淹れましたので、少し休んでください」
モーガンとトプソンの優しさに、ティアナのゆるゆるの涙腺はまた緩みそうになる。
「おい、私は今までそんなものを入れてもらった記憶などないが」
「閣下、私は女性にしかおもてなしをしないと心に決めてしまっているのです」
「ジョルジオ、貴様・・・」
「ティアナちゃん、こっち座って、疲れたでしょう?」
「オーランド、お前は座らずに仕事をしろ」
「クライス様鬼っすか。傷心のティアナちゃんを一人になんてできませんよ」
文句を言う二人に、ヴェルナーのコメカミに青筋が立つ。
「そうか、そんなに徹夜がしたいか」
「!?」
「か、閣下、いくらなんでも鬼畜すぎます!!」
「ならさっさと仕事をしろ。ティアナ嬢」
「は、はいっ!」
「疲れているところ悪いが、茶を淹れてほしい」
「はい」
ティアナは颯爽と席を立ち、湯などが用意されている小部屋に入る。
後ろからトプソンの騒ぐ声がする。
一人でゆっくりと準備をしていると、不意に涙がこぼれ落ちそうになった。
「っ」
慌てて拭い、深呼吸をする。
正直に言おう。
怖かった。
いくら相手が同じ女性で、そんなに力はないとわかっていても、怖かった。
でもそれ以上に、絶対に負けたくないとも思った。
確かに身分では下だ。
だが、心では勝ちたかった。
それに、クライス宰相をあのように話す彼女が心底嫌だった。
だって、彼女は知らない。
ここにいる人たちが、どれほど忙しくしているのか。
それでも誰一人辞めることなく腐ることなく仕事をしている。
それがどれほどすごいことなのか、知らないくせに。
「・・・馬鹿にしているわ・・・」
確かに、クライスの見目は素晴らしい。
年を経てからというもの、その色気は留まることを知らないようだ。
未だに世の女性が彼の相手を夢見るのも仕方ない。
だが、実物の彼は見た目だけなんかではない。
自分にも他人にも仕事においては厳しく。
それなのに気遣いが出来る人だ。
そんな彼を、まるでアクセサリーのように。
自分こそ相応しい?
馬鹿なことを言う。
彼に相応しい女性なんて、ティアナの知る限り女王陛下くらいだ。
その瞬間、ティアナの心がツキリと痛んだ。
「・・・」
ティアナは手にしたポットをそのままに固まった。
―――本当は、わかっていた。
自分と彼とは住む世界が違うと、言い聞かせなければならないほどに、彼に惹かれてしまっている自分に。
ずるい。
ティアナは本気でそう思った。
だって、ずるいではないか。
氷の貴公子と呼ばれているから、どれだけ女性に冷たく当たるのだろうと思っていたのに。
なのに、実際の彼はティアナを邪険に扱うことなど一度もなかった。
ヴェルナー・クライスは、ティアナの能力を認めてくれたのだ。
「・・・ずるい」
ティアナはそうぽつりと零すと、茶器を用意し執務室へと戻る。
その表情は、どこか晴れやかにすら見える。
「ティアナちゃーーん! 待ってたよー!」
「あぁ、ティアナさん、閣下が鬼です」
「煩いぞ」
そうこうしているうちに、ボルシオ、ガードナーが戻ってくる。
「レネット嬢、話を聞きました。ご無事のようで」
「厨房から菓子をくすねてきた。これをやる」
「ボルシオ様、ご心配をおかけしてごめんなさい。ガードナー様、ありがとうございます、せっかくですから皆で頂きましょう?」
ティアナはいつも通りの笑みを浮かべる。
きっと、一人で家に戻っていたらこうはならなかっただろう。
帰りの馬車の中で、恐怖に身を震わせ涙していたかもしれない。
クライスは、そのことも考えてくれていたのだろうか。
ティアナの笑みを見たヴェルナーは、誰にも気づかれないようにほっと息をついた。
涙を武器にする女性は無理だが、だからとって気丈にされて心が折れてしまうのはもっと嫌だった。
―――かつての彼女を思い出してしまうから。
しかしティアナの笑みは無理をしているようには見えない。
そのことは、ヴェルナーを安心させた。
**********
「―――以上でご報告とさせていただきます」
「ありがとう、ハザ。悪いわね、通常業務もあるっていうのに」
「いいえ、陛下のためでしたら何の問題もありません」
夜も深まった女王の執務室に、二つの影がゆらりと揺れる。
「まったくもう、ヴェルナーも大丈夫かしら」
「宰相殿でしたら恙なくできると思っていましたが・・・そうでもないご様子でしたね」
「だって、あのヴェルナーが必死に走ったのでしょう?」
イルミナはくすくすと上品に笑った。
「イルミナ」
「グラン」
とその時、王配であるグラン・ロンチェスターが執務室へと入ってきた。
「もう寝たの?」
「あぁ、ぐっすりだ」
グランはそういいながら流れるようにイルミナの頬に口づけを落とす。
「それにしても、一部ではヴェルナーの行動が噂になっているぞ」
「そうでしょうね。今ハザから聞いていたところよ」
「そうか。それで、ハザから見てどうだ?」
「はっ、私には判断しかねますが、宰相殿にしては珍しく女性に優しく接せられているなという印象を受けました」
ハザはぴしりと敬礼しながらグランの問いに返す。
「・・・そうか」
グランの少しだけ緩んだ表情を見たイルミナは、ころころと笑う。
「グランもヴェルナーのことを心配していたの?」
「・・・あぁ」
「ヴェルナーも幸せものね。そういえばハザ、グイードに会いに行くと聞いたわ」
「はい、今度休暇をもらって、顔を見に行こうかと」
「お前たちも意外と長く続くな」
「まぁ、拳で語り合った仲ですので・・・」
「そう、ルウやお子さんたちによろしく伝えてもらえる?」
「もちろんです」
イルミナの脳裏にアウベール村でのことがよみがえる。
もう行くことも会うこともできない友人。
手紙一枚出すのですら難しい、初めての友達。
近況はハザやアリバル侯爵から聞いているが、やはり少しだけ寂しいと思ってしまうのも仕方のないことだろう。
「まぁ、村長としてもしっかりしているみたいですよ」
「ふふっ・・・そうみたいね」
叶うのであれば、その姿を見たいと思う。
しかし女王として、そんな我儘を言うわけにはいかない。
それに、ちゃんとお別れはしたのだから。
「年を取るものね・・・。初めて会ったハザが私のことを認めてくれるなんて、あの時は思いもしなかったし、こうしてグランが隣にいるのが当たり前だなんて、あの頃は考えられなかったわ」
「陛下・・・それは言わないでください・・・」
「それを言うのであれば、私だってイルミナのような愛しい人の隣に立つようになるとは思わなかったよ」
しゅんと項垂れるハザは、かつて幼いイルミナを嫌っていた頃がある。
それは彼にとって闇歴史のようだ。
反対にグランは飄々としてからりとイルミナに返す。
「・・・全員なんて傲慢なことは思わないけれど、幸せを感じる人が増えたらいいわね」
「そうだな」
イルミナという個人は、間違いなく幸せを手に入れた。
愛する人、子供、そして守るべき民がいる。
悩みがないわけではないし、苦労も絶えないが、それでも断言できる。
自分は幸せなのだと。
「だからこそ、ずっと傍にいたヴェルナーにも仕事以外の幸せを知ってほしいものね」
「・・・本当にな」
双璧の片翼であるアーサーベルトは、イルミナに生涯を誓うことを自身の幸せとした。
本当なら彼にも幸せな家庭を築いてほしかったが、アーサーベルトに後悔の色が一切見えないのでよしとしている。
そうなれば、もう片翼にも幸せを手に入れてもらいたい。
一番手っ取り早いのが結婚だが、浮ついた噂が一切ないヴェルナーだったので半ば諦めていた。
しかし。
「ヴェルナーはいつ気づくのかしら」
「・・・さぁ、あれは鈍感すぎる鈍感だからな」