10th
「・・・」
ティアナは自室で一人、今日のことを思い返していた。
机の上には月明かりを反射し、きらきらとしているペンと、いくつかのインク壺がある。
あの後、ティアナは母と義姉にヴェルナーとのことを根掘り葉掘り聞かれたが、特段隠すことがなかったため全てを素直に話した。
『あら・・・そうなの・・・』
『奥手、なのかしらね?』
その言葉の意味が分からないほど、ティアナは子供ではない。
だが、どうして二人がそう考えるのかは理解できなかった。
「だって、クライス様は高嶺の花よ・・・?
お母様も義姉様も、何を考えているのかしら・・・」
むしろ、ティアナは恵まれたほうだと考えている。
あのクライス宰相と礼とはいえ、一緒に外出することが出来たのだから。
もちろん、あの店での女性からの視線は痛かったが、恋人でもないのだからいずれ治まるだろうと思っている。
「でも、本当にお綺麗だわ・・・。
女である私よりも綺麗・・・」
ティアナは今日見たヴェルナーを思い出す。
さらりと流れる青みがかった銀髪。
冷たく凍るようなアイスブルーの瞳。
少しだけ目じりに走る皺が、なんとも言えない色気を感じさせる。
とてもではないが四十路には見えない。
世の女性たちが一度は夢見る相手というのも伊達ではない。
もし姿絵などが売られれば、即座に売り切れるだろうとティアナは思う。
そしてふと、ティアナは自分の手を見た。
帰りの馬車、ヴェルナーは先に降りてティアナに手を出してくれたのだ。
その温もりなどとうにないが、記憶には焼き付いている。
生きている人、だった。
ティアナはなぜかそう思ってしまった。
ずっと、自分の国の中枢に憧れていた。
まるで物語のように成功した麗しの女王陛下に、国一番の騎士。
そしてそれを支える美貌の宰相。
幼いころ、お姫様と王子様の話を好んでいたが、女王の話を知って以来そればかりを好むようになった。
それくらい、大好きだった。
自分とは違う世界の人たち。
本気でそう思っていた。
「私は、幸運ね」
女王陛下直々に声をかけられ、最強の騎士に送ってもらい、美貌の宰相と共に働く。
まるで、物語に入り込んだかのようだ。
自分の役割なんて、小さなものだとは理解しているけれど。
それでも、憧れた人々と近づけたのは幸運と呼ぶほかあるまい。
・・・だから、困っていた。
「私はわき役・・・、いずれ忘れ去られる端役なの・・・」
ティアナは手をぎゅ、と握りしめる。
そう、今の幸運だってずっと続くはずがない。
いつかは結婚するか、領地に引きこもって兄の手伝いをするのだから。
「今だけ・・・この夢は、今だけ・・・」
そう、住む世界が違うのは今も同じ。
私は、物語の主人公にはなれない。
「なら、精一杯、楽しまないと・・・損よね・・・」
だからこそ、今の時間をできる限り鮮明に覚えるのだ。
女王陛下の優しいお言葉に、最強騎士のお茶目さ、そして・・・美貌の宰相の笑みを。
「明日も、がんばろ」
あの人たちと、少しでも長く夢を見られるようにするために。
ティアナは決意を新たに、ペンを握った。
*************
「・・・それで、今日はどうだったんだ?」
「なにがだ」
「何がって・・・デートに決まっているだろう」
「アーサー、貴様の口からそのような言葉が出ると違和感しかないぞ」
「いっ・・・ヴェルナー、お前、年々酷くないか?」
「ない」
結局、イルミナとアーサーベルトは根掘り葉掘り聞くという建前で仕事の話しかしなかった。
正直予想外だったが、夜にアーサーベルトが訪れるのは何となくわかっていたヴェルナーは、そのことに少しだけ感謝しながらも憎まれ口を叩いた。
「ロンとリヒトが邪魔だったらそう言えばいいだろうに」
「そういうな。一応陛下としては三人で話したかったそうだ」
話の内容は他国に関するもので、どこぞの戦闘国家の動向についてのものだった。
今すぐ開戦というわけではなさそうだが、どちらにしても情報収集と近隣国家との話し合いの場を設けようというところで話し合いは終わっている。
「あの国も大人しくできないのか」
「一応大人しかっただろう? まぁ、力を蓄えていた可能性はあるがな」
面倒事というものはいつだって尽きることはない。
それに加え、学び舎というものが軌道に乗り国家資格の試験まで何とか始動できたのはいいが、流れてゆく人材を留めきれない問題が昔からあるように。
「そんなことは今はいい! それよりレネット嬢だ! 今日はどうだったんだ?」
アーサーベルトはそう言いながら度数の高い酒をヴェルナーに手渡してくる。
「別に何もなかったといっているだろう。それに邪推はよせ、純粋に礼をしたかっただけだ」
「お前が、か?」
「どこが悪い」
「いや、もう一度言うぞ? お前がか?」
ヴェルナーはアーサーベルトの言葉に苛立った。
自分がまるで礼儀知らずのような言い方はやめてほしい。
心外だ。
「いや、な? お前、女性を毛嫌いしていたじゃないか」
「・・・」
しかし、アーサーベルトの次の言葉に、ヴェルナーはむつりと黙り込んだ。
それは正直、自分でも自覚していたことだった。
ヴェルナーは昔から―――それこそ、イルミナが女王になる以前から―――女性を苦手としていた。
無駄に華美に装い、そして話す内容はくだらないものばかり。
化粧や香水の匂いは混じり、ヴェルナーの気分を悪くさせた。
唯一の例外が、イルミナなのだ。
「・・・レネット嬢には、借りがあるからだ」
ヴェルナーはぐい、と杯を呷り、それだけを口にした。
しかしそれだけで納得するアーサーベルトではない。
「だからといっても、お前が休日に女性と連れ立って外出するなんて聞いたことがない。
すでに城には何人か目撃者がいるぞ」
「なんだそれは」
「買い出しに出たメイド、休日に城下に降りていた騎士団の連中とか」
「くっそ、黙っていればいいものを・・・!」
どうして人とは噂話やそういった話が好きなのだろうか。
こちらとしては放っておいてほしいのに。
「いや、お前だからだぞ、ヴェルナー」
どうやら口に出ていたらしく、アーサーベルトが訂正を入れてくる。
「私だから、というのは、どういう意味だ」
「・・・」
「アーサー」
「はぁ・・・。あのな? お前は良くも悪くも有名だ、それは理解しているか?」
「はぁ?」
「若いころからその才能は有名で宰相補佐となり、そして陛下の即位後すぐに宰相となったお前だぞ?」
「それがどうした」
「それとお前は女性からすると優良物件どころの話じゃない」
「・・・まぁ、そうだろう」
「地位もあり、財力もあり、見た目も最良。そんなお前は女性嫌いでも有名だ」
「・・・」
「女性を傍に寄せ付けず、対応もすげないもの・・・それで何人の男女が涙したことか・・・」
「まて、何で男がいる」
「惚れた女がお前に惚れてたんだよ」
「それは私のせいではないだろう」
「まぁまぁ・・・、とにかく、そんなお前が女性を自らの職場に採用し、あまつさえ礼と言って外出するなんていうのはな、誰も想像していなかったんだよ」
アーサーベルトのあまりの物言いに、ヴェルナーは閉口した。
いくらなんでも、そこまで言われるほどだろうか。
「お前に夢を見ていた令嬢は驚愕し、男どもはお前には実は好きな人がいるのかもと光明を見出している」
「なんだそれは」
「とにかく! それだけお前の動向に注視する奴がいるっていうことだ!」
「いらん」
ヴェルナーは馬鹿らしくなり、アーサーベルトの持参した酒を手酌する。
「・・・なぁ、ヴェルナー」
「あ? なんだ」
酔いが回ってきたのだろうか。
アーサーベルトが真剣にこちらを見ている。
「お前、ちゃんと割り切れたのか」
「・・・」
ヴェルナーはその言葉に、沈黙を返した。
「お前が何かをするわけじゃないのは知っている。
だがな、ヴェルナー、俺は、お前にも人と添い遂げる幸せというものを知ってもいいんじゃないかと思っているんだ」
「自分はしないくせに、か」
アーサーベルトは、女王イルミナに騎士の誓いを立て、その生涯を彼女のために使うと決めている。
そのため、結婚などはしないのだ。
「俺はいいんだよ。俺は、唯一を見つけられたからな。それに、殿下たちの世話もさせていただいているから」
アーサーベルトは一切の後悔を見せない笑みを浮かべた。
「・・・そもそも、私はそういう感情を持っていない」
きっと、アーサーベルトは自分の嘘など気づいているだろう。
だが、それしか言えないのだ。
主とする女王陛下に懸想しているなど、言えるはずがないのだ。
「お前がそういうなら、いいけどな・・・。
だがヴェルナー、覚えておけ、過去は過去でしかなく、人は積み重ねるものだ」
「・・・そんなこと、知っている」
「いいや、お前は知っていても理解していない。・・・まぁいい。とりあえず、レネット嬢は大切にしてやれ」
「言われなくてもしているだろう」
「馬鹿め、お前の傍にいるってだけで、やっかみの対象になるぞ」
「・・・わかっている」
ヴェルナーとて、かつてアーサーベルトがその能力の高さゆえに一部の貴族たちからやっかまれていたのは知っている。
しかしアーサーベルトはため息を吐きながら首を横に振った。
まるでわかっていない、とでも言いたげに。
「言いたいことがあるなら言え」
「・・・今のお前に言ってもな・・・。まぁ、いつかわかるだろう」
ヴェルナーは知っていた。
男にも嫉妬心からいじめが発生することを。
ヴェルナーは知っていた。
女でも、似たようなことがあることを。
・・・ヴェルナーは知らなかった。
男社会と女社会の違いを。




