1st
クライス編です。
「っ・・・」
ばさり、と音を立ててばらまかれるそれらに、ヴェルムンド国宰相、ヴェルナー・クライスはため息とともにどっと疲れが増したように感じた。
欲張りすぎなければよかったのか。
しかしばら撒かれた今となってはすべては後の祭りだ。
疲労のせいか、微かに痛む頭を振りながら屈もうとする。
すると手に残っていた書類も、滑り落ちていった。
「―――っ」
少し考えれば、落ち着いて行動していれば回避できたはずのそれ。
ヴェルナーはいつにない失態に、舌打ちしそうになった。
ヴェルナーはつい隠しきれなかったため息とともに、落とした書類を拾おうとその身をかがめる。
順番なんて気にしない。
というより、気にしている暇はない。
とりあえず全てを拾い上げねば。
そう思いながらまとめて拾い上げていると。
「―――こちらも落とされたものでしょうか?」
不意に目に映った書類は、確かに自分が落としたものだと思い、ヴェルナーは感謝の言葉と共に拾ってくれた人の顔を見ようと面を上げた。
「―――確かに、私のものです。
わざわざ拾って頂き、感謝いたします」
「いいえ、書類一枚でもなくされたら大変ですもの。
お手伝いできたのであれば光栄です」
そこにいたのは、飾り気のない一人の女だった。
地味な色のドレスに、申し訳程度の化粧。
どう見ても、ヴェルナーの知る貴族の女性ではなかった。
「・・・よろしければどちらに御用でしょう?
拾っていただけいたお礼にお送りさせてください」
本来のヴェルナーであれば、絶対にそのようなことは言わなかった。
しかし、目の前の女性は自分に媚を売りそうにない――ありていに言えば肉食のような女性ではない――と判断したからこその言葉だった。
しかし女性は。
「いいえ、宰相様。
お忙しいのは存じております。
幾度か伺って居る場所なので、迷うこともありませんので、どうぞお気になさらず」
女性は名乗ることもなく、そのまま颯爽とその場を後にする。
それは、ヴェルナーからすれば青天の霹靂に等しい出来事であった。
ヴェルムンド。
大陸にある国で、国土はそこまで広くはない。
四方を他国で囲まれているも、一部の国とは友好的にやっている平和な国だ。
今代の女王であるイルミナ・ヴェルムンドは、幼少期を不遇に見舞われながらも辺境伯であったロンチェスター卿との純愛を貫いたことで有名な人物だ。
また、彼女の行っている政策はどれも異色なもので、それらは他国ですら目をつけるほどだといわれている。
そしてそんな彼女のそばにいる人物で、有名なものたちが三人いる。
グラン・ロンチェスター卿。
元ライゼルト辺境伯でありながら、その地位を全て弟であるヴァン・ライゼルトに譲り、自身は女王の元へ婿入りした人。さらには、かつての妻との子がイルミナ女王の妹である、リリアナ・ヴェルムンドの婿にもなっている。
年を経てなお、精力的に活動し、女王の傍を離れずに支えるその姿は世の女性が自身の旦那がこうであれば、と思う理想そのものだ。
国一番の腕を今なお誇る・騎士アーサーベルト。
彼は平民の生まれながらその能力が買われ、国内最強となり騎士団長となる。
女王に一番最初に仕えた人物であり、団長を辞して彼女に騎士の誓いを行ったことでも有名だ。
見た目は熊のように恐ろしく、あまり人が寄り付きづらい相貌であったが、女王の子供たちは好んで彼と遊んでいるらしい。
年を取ってなお、剣の腕は衰えず、騎士団からは恐れられている。
そして若くして宰相へとなった天才・クライス宰相。
貴族の生まれでありながら貴賤を問わずに誰とでも仕事を組む。
噂では彼のいる宰相室は魔窟と呼ばれているが真偽は定かではない。
その美しさと対応の冷たさから氷の貴公子と呼ばれ、巷の令嬢たちを騒がせていることでも有名だ。
いまだ独身のため、夢見る令嬢たちの的だが本人はその気はないようで、そっけない態度をとるという。
アーサーベルトとヴェルナー・クライスはイルミナ女王の双璧と呼ばれ、彼女が幼いころから共にいた話はヴェルムンドでは本になるほど有名な話だった。
(~~~クライス様とお会いしてしまった・・・!
なんてお綺麗な方なのかしら・・・!!)
その一方。
分かれた令嬢―――ティアナ―――は一人表情を変えずに悶えていた。
父が忘れた書類を届けに来ただけなのだが、なんという収穫だろうか。
幾度となく登城しているが、まさか、かの宰相様に出会えるなんて。
ティアナは初めて書類を忘れた父にお礼を言いそうになった。
だが、ティアナの持つ感情はあくまでも恋愛感情ではない。
なんというか、知識として知っているが会えるはずもないと思っていた人に会えたことによる興奮だ。
そしてそれをティアナ自身も良く理解していた。
いうなれば、かの宰相殿の伴侶になろうだなんて思うはずもない、というところだ。
「ティー」
「お父様」
不意に声を掛けられ振り向くと、そこには父であるレネットがいた。
「わざわざすまないな」
「いいのよ。
でも大切な書類なら忘れちゃだめよ?」
「気を付けるよ」
ティアナの父であるレネットは城の勘定方に長く務めている。
以前は常に疲れきり口数も少なくなっていたが、今では見違えるほどに生き生きとしている。
「そうだ、久々に城に来たんだ。
庭でも散歩しないか?」
「仕事は大丈夫なの?」
「あぁ、ひと段落ついたところなんだ」
ティアナは父の提案を受け入れた。
城の庭は女王陛下が気に入られるほどに丁寧に手入れがされているということを父から聞いていた。
多忙な女王陛下のお心を少しでも慰めることができれば、と庭師が丹精込めているのだ。
城に来ることもそうそうない。
ならば見ないわけにはいかないだろう。
「レネット政務官」
「おやこれはクライス宰相。
如何されました?」
「お休みのところ申し訳ありません、この書類についての確認なのですが・・・、貴女は先ほどの・・・」
「クライス殿、私の娘がなにか・・・?」
「いいえ、先ほど私の不手際で書類を落としてしまったのですが、拾うのを手伝っていただいたのです」
「そうでしたか、
クライス殿、私の娘のティアナといいます」
ティアナは父に背を押されるようにして一歩前に出る。
まさか、さっきの今でまた会うことになるとは夢にも思わなかったティアナは、内心で騒ぎながらもゆったりとしたカーテシーで挨拶をする。
「先ほどは名乗りもせずに大変失礼いたしました、クライス宰相様。
ティアナ・レネットと申します」
「レネット嬢、
ヴェルナー・クライスといいます。
宰相位を賜っており、父君とは仕事仲間になります」
キリリとした目に、青がかった銀の髪、そして麗しい相貌。
令嬢たちが一度は夢みる結婚相手だ。
「いつも父がお世話になっております、宰相様」
「いいえ、こちらこそ」
まさかそんな相手と、こんなにも会話が続けられるなんて、きっと今日の運はすべて使い切ったのだとティアナは内心で思う。
「今日は何用で城に?」
「実は私が書類を家に忘れてしまったので、気づいたティアナが届けに来てくれたのですよ」
あははとばつの悪そうに笑う父に、クライス宰相様は苦笑いを浮かべる。
「あぁ、私もたまにしてしまいます。
わざわざ届けに来てくれるとは、とても素敵な娘さんですね」
「そ、そうですか?
いやぁ、ティーは昔から勉強をするのが好きな子で、忘れたのを見て大事なものと気づいてくれる器量の良い娘なのですがね・・・、どうしてか貰い手が未だに見つからなくて」
「お父さま?」
ティアナは少しだけ父に凄む。
いくらなんでも、言っていいことと悪いことがある。
「私もですよ。
未だに仕事ばかりでして・・・。
陛下からはいい加減誰か見つけるようにも言われているのですがね」
そう言って少しだけ草臥れたように微笑むクライス宰相に、ティアナの胸は高鳴った。
それが恋愛からくるものなのか、見た目に反して可愛らしく思えてしまったのかはわからないが。
「・・・出来れば、もっと手数が欲しいところですね」
「それは言っても詮無きことでしょう・・・」
「そんなにお忙しいのですか?」
二人揃っての深いため息に、ティアナはついそう口を挟んでしまう。
「えぇ・・・。
陛下の行われている政策に関してもそうですが、通常にある業務もありますからね」
「ティアナが手伝いに来てくれれば楽なのだがなぁ・・・」
「お父さま」
レネットがつい零した言葉に、ティアナは窘めるように言う。
いくら父と言えども、それ以上は駄目だろう。
「・・・レネット嬢は家で手伝われることが?」
「あ、はは、まぁ、書類整理などですがね。
いやはや、どうしても片付けが苦手なものでして、よくティアナが手伝ってくれるんですよ」
「い、いえ、そんな大したものでは・・・」
ティアナがそう言うもクライス宰相は手を顎にやりながら少しだけ考え込むようにする。
「・・・一度、城で書類整理を手伝ってみませんか?」
「「え!?」」
父娘の驚きの声が重なる。
「レネット政務官がそう仰られるほど、能力は高いのでしょう。
でしたら、短期間でもいいので書類整理だけでもいいので手伝ってほしいのです。
正直、猫の手も借りたいほど忙しくて・・・」
「そ、その、宰相殿・・・。
手伝うと言っても私の個人的なものを手伝ってくれているだけでして・・・」
「もちろん、一度試しでお願いしてからになりますし、そもそも陛下の許可を頂いてからとなりますが・・・。
どうでしょうか、レネット嬢」
「え、あの・・・」
あまりの急展開に、ティアナの頭は止まってしまっている。
そう簡単にはいと言えるはずがない。
そもそも自分が彼の望むような結果を出せるとは思えない。
「少しの間でも構いませんし、無理強いするつもりもありません・・・。
ですがどうか、国を助けると思って考えていただけませんか?」
「やります」
「ティ―――!?」
「だってお父さま、そこまで忙しいのでしょう?
クライス宰相様の望むほどの仕事が出来るとは思えないけれど、もし少しでもお手伝いできるのであれば、私やりたいわ」
「し、しかしだね、ティー、
城には男ばかりなのだよ?
もちろん無体を働くようなものはいないがね、だが、心配でもあるんだよ」
「レネット政務官。
もちろん陛下からの許可を頂いてからの話になりますし、ご令嬢をそんな危険に晒さぬよう私も目を光らせますので」
「し、しかしですがね・・・」
「お父さま、国の為と言われて手伝わないなんて言えないわ。
それに長い期間でないと宰相様も仰られているのですし」
「むぅ・・・」
唸る、ということは一考する余地があるということだ。
であれば父はきっと了承するだろう。
「とりあえず、またこちらからご連絡をさせていただきます。
あぁ、もうこんな時間に・・・、申し訳ないのですが私はこれで」
「あ、はい!」
そう言ってクライス宰相は足早にその場を後にした。




