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ダイヤモンドの女神  作者: 駿河ギン
5章 今度は負けない
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7回裏 高山桃香のオリジン

 高山桃香。おっとりとして優しい子だ。だが、ナインの中では体格はいい方だ。四之宮ほどではないが、身長が高くそれなりに手足も長い。まさにモデルさんだ。しかし、運動が苦手なのか動きは鈍く覚えも悪かった。なっちゃんも運動が苦手だったが、ルールを知っていた。だがら、動きも頭でわかっている分、飲み込みは早かった。まぁ、雪音や凜子と比べれば圧倒的に遅かったが。

 野球を知らない、運動も苦手。野球というスポーツに最もあっていないのは彼女だった。そもそも、スポーツに向いているようには思えない。スポーツに怪我は付き物。その怪我を負った恵美にプレイを放棄するような子だ。俺だったら考えられない。スポーツに向いているのと向いていないのとでは根本的に考え方が違う。

 一月前の敗戦で真っ先にいなくなってしまうんじゃないかって思っていたが、彼女は再びグラウンドに帰って来た。

「ちょっとまたバットが足りない!誰ですか!戻していないのは!」

 それはある練習終わりの光景。見慣れた光景。

 今日もバットが一本足りないと恵美が呼びかける。毎回、ちゃんと全部返ってきているかどうか確認してとはまめだなって思う。

「いいんじゃね?1本くらい?」

「ダメです!たかが1本と言って許しているとそのうち、1本が2本、3本と増えて最終的には学校の備品が紛失してしまいます!」

 大げさな…。

「先生。お疲れ様ですぅ」

「ダークエンペラーよ。今夜も月が丸いぞ」

「なっちゃん。何言ってるのぉ?」

「おう、お疲れ。また明日な」

 なっちゃんと桃香を見送ったときだ。

「ちょっと高山さん」

 恵美が桃香を呼び止めた。

「なんですぅ?」

「その肩にかけているものはなんですか?」

 それは黒いプラスチック製の筒だった。

「書いた絵を持って帰るためのアジャスターケースですけどぉ?」

「たまに持つのが面倒なダークフラッシュパラソルを入れて持ち運んでいる」

 へぇ~、傘とか入るんだ。便利だな。

「目的以外の使い方をしてはいけません」

「すいません」

「…もしかして、バット、入ってませんよね?」

「まさかぁ」

 笑顔の桃香と真剣な恵美がしばしにらみ合う。

 俺には見えないが恵美には火花がバチバチとぶつかっているように見えるのかもしれない。桃香には周りがお花畑が広がっているのかもしれない。

 根負けしたのか恵美がため息を吐く。

「そうですよね。高山さんなわけないですよね」

「信頼してもらってうれしいですぅ」

 その一悶着はその日だけだった。

 結局、その後に雪音がひっそりバッティングの練習をしていることを知ったので恵美はそれ以降、バットが1本足らないことに目をつぶるようになった。

 しかし、ある日だ。

 それは休日、有紗がバッティング練習をしたいと雪音が練習に没頭していたバッティングセンターに来たときだ。

「…なんで凜子ちゃんまで」

「行きたそうだったから」

「行ってみたかったから!」

 理由は単純である。

「せっかく先生とふたりっきりで―――」

「なんか言ったか?」

「何も!」

 なぜか有紗が怒っていたのをよく覚えている。

「あ!雪音だ!」

「げ」

「げってなんだよ!女の子らしくないぞ!」

「さっさとここに私がいることを忘れなさい!さっさと!」

「大丈夫だ、雪音」

「凜子ちゃん忘れるの早いから」

「あんたらが来たら意味ないでしょ」

 落胆するが心配するな。かなり前からお前がここで練習してるの知ってるから。雪音がいないだろうと狙って休日の朝、早い時間を選んだんだが。

「帰る」

 と雪音はバットをバッティングセンターのバット置き場に投げ置いていってしまった。

「おい!」

 呼び止めたが雪音はそのまま行ってしまった。

「まぁ、いっか」

 練習しているところを見られた程度で折れるような子じゃないし。

「先生」

 有紗が雪音が戻したバットに注目した。

「どうした?」

「このバットうちのじゃないですね」

「…そういえば」

 恵美がいつも足りないのは雪音がここで練習するためだと思っていた。だが、雪音が使っていたのはここのバットを使っていたということだ。

「確かに雪音が恵美にバットを持って帰っているんじゃないかって疑いをかけられたら面倒だからそんなことするはずがないか」

「じゃあ、バットは誰が?」

 もしかしたら、最初から1本足りないだけかもしれない。

 疑問ばかりが浮かぶ。

「有紗!先生!これどうやるの!」

 凜子がバッティングマシーンの目の前にいた。

「ちょっと!凜子ちゃん!何やってるの!危ないよ!」

 そんなちょっとしたホラーも凜子の早とちりな行動にかき消される。

 だが、練習後になくなるバットは練習中には必ず存在する。恵美がちゃんと数えて数があっているを確認しているからだ。

「素振り!行くよー!」

 場面は変わって練習時間。練習メニューに素振りの時間を組み込んでいる。最初にアップでランニング。これは来た人から始めている。次にキャッチボール。ノック。それで素振り後にそれぞれの子達の特技を磨く。その素振りの時間にバットが全員と余りが2本。これが11本が正しい数。このときはあるのに練習が終わると10本に減る。雪音が持って帰っているわけじゃない。しかし、恵美は雪音が持って帰っていると思って何も言わない。だから、いつしか誰も気にしなくなる。

「ちょっと下僕!」

「なんだ?」

「こんな何もバット振るだけで何か効果あるわけ?」

「大切だぞ。ただ振ってるだけじゃ意味ない。ピッチャーが振りかぶって、ボールを投げてくるイメージをしながら振るんだ。高めに、低めに、ピッチャーは投げてくる。頭の中で常にイメージしながら振ることが重要だ。後はスイングスピードを付ける効果もある。スイングスピードが上がれば打球の飛距離が上がる。得に俺たちが相手にしないといけないのは剛速球を投げる四之宮だ。あの剛速球に振り遅れない、振り負けないようにするためにバットを振って、そのバットが自分の体の一部みたいに扱えるようにならないといけない。もちろん、素振りだけじゃそんなことは出来ないが、まぁ、バットと友達になろうの入門編だと思ってがんばれ」

 俺もいろいろ考えながらバットを振ったものだ。素振りしながらホームランを打つ妄想をどれだけしたことか―――。

「先生!バットが話しかけてきた!目が回ったって!」

「凜子。それは幻聴だから真面目に振れ~」

 まぁ、地味でもやりたくない練習かもしれない。

「しっかり、俺が教えたフォームで振れよ。多少、違ってもそれは個性だから気にするな。でも、根源はしっかり守れよ」

 それぞれの子達が黙々と振る。もちろん、飲み込みが早い子や早く終わらせてこの後に控えている個人練習に早くかかりたいと素振りを素早く終わらせてしまう子もいた。凜子や神野ツインズ、雪音がそれだ。

 ブン!ブン!ブン!

 そんな中、飲み込みが遅く誰よりも長い時間バットを振り続けていることがいた。

 それが桃香だ。

 全員が個人練習に入ろうとしている中でまだ言われた数振っていないということでバットを振り続ける。恵美も練習に遅れていることをとやかく言わない。毒を吐く雪音も自分の練習に夢中で何も言わない。唯一、なっちゃんが付き合っているくらいで誰も見ていない。

「先生!打席に立ってみてください!シンカーを試したいんです!」

「あ、ああ」

 俺自身も有紗や他の子達の指導であまりかまってやれなかった。

 しかし、俺は知っている。誰よりも早い時間にやってきて、誰よりも長い時間走る。それは足が遅いからじゃない。誰よりも長い時間バットを振る。それは振るのが遅いからじゃない。

「桃香。もういいぞ。なっちゃんとキャッチボールをして投げるのに慣れるんだ」

 少し開いたタイミングで俺はまだバットを振り続ける桃香に言った。しかし、桃香は息を切らしながら言った。

「私覚えが悪くてドン臭いから遅くてすみません」

「別に遅いのが悪いって言ってるわけじゃないぞ」

「気遣ってくれてありがとうございますぅ」

 再びバットを振り続けた。

「おい、桃香」

「私はみんなに置いてかれてばかりなんですぅ。みんなと同じ練習をしているはずなのに、ドン臭くて覚えが悪い私は誰よりも早く来てたくさん練習しないいけないんですぅ」

 そういって彼女は今日もバットを振り続ける。誰よりも早く来て走り始める。その手には美術部員にはありえないマメが出来ているのを笑顔で必死に隠す。みんなに置いてかれている。普通なら嫌になって辞めてしまう。自分には合っていないと。しかし、高山桃香という子は強い子だ。焦らずゆっくりとそれでも置いて行かれないように努力を怠らない。強いからこそ出来ること。その強さを持っている子は星美高校ナインにはいない。

 場面は戻って7回裏の攻撃、ツーアウト。バッターは桃香。

「大丈夫。桃香ちゃんなら」

 自称、異世界で不穏な動きを見せる帝国軍を監視する人であることを忘れたなっちゃんだけは知っていた。

「桃香ちゃんは最初の敗戦で誰よりも早くバット握って誰よりも早くグランドにやってきて走ってる。覚えが悪くてドン臭いから誰よりも早くたくさん練習しないとって毎日、手のマメに絆創膏を張ってた。毎日、バットを持って帰って離れた分を取り返そうとしていた。だから」

「大丈夫だ」

 なっちゃんが半分涙目で俺の方を見た。

「桃香ちゃんを同じことをさっき私に言ってた」

 大丈夫。私は負けないから。

「そうだ。桃香だけがまだ負けていない」

 彼女が持つ強さがここで大きく新化を発揮する。

 今日、すべて三振のラストバッター。誰もが油断するこの状況で意外性を発揮し、そして、誰よりも輝いた。

 初球。四之宮はランナーがいる状態だが、クイックモーションは最低限。ランナーを見ても盗塁の可能性は低い。バッター勝負の態勢を取っていた。足を上げるモーションは小さい。足を上げることで体重移動が大きくなり、ボールに篭もる重さも増す。しかし、初球のモーションはまるで初回の有紗と対したときと変わらない。ゆっくりと体重を前に移動させたがほぼ手投げのようなボールだが、恵まれた体格から放たれるボールの速度は有紗のストレートと変わらない。そして、投げたボールも真ん中高めの甘めのコース。

 桃香はぎゅっとバットを強く握りしめた。ゆっくりと体重が左足に乗せるために小さく右足を上げた。体の前当たりに構えていたバットをゆっくり引く。そして、上げた右足を前に出すと体重が前へ。同時に下半身がはじめに回転を始めてくれて上半身も回ると同時にバットを振る。脇を開かずコンパクトでボールへ最短距離で強く振りぬく。

 彼女がずっとバットを振り続けて体にしみこませた理想的なフォーム。

 カキーン!

 下を向いている誰もがバッと顔を上げた。

 スイングは何回も何十回も何百回も何千回も振り負けないように行った素振りの成果。振り遅れたが四之宮のストレートでも振り負けないスイングスピードでボールはライナーでライトの頭の上を越えて落ちた。

「走れぇぇぇぇぇぇ!!!」

「桃香ちゃぁぁぁん!!!」

 俺となっちゃんが同時に叫ぶと打てたことがまるで夢だったようにふわふわとしていた桃香が現実に帰ってきてバットを置くように投げて走り出す。

「みんな!走って!」

 有紗が遅れて声を出す。

「この場面は!場面は!わわわ、どうするの!」

「ツ、ツーアウトよ!だから!」

「全力で走れ!戻ってこーい!」

 慌てる凜子とミキ。そして、元気な左樹。

「ライト!クルミ!中継!バックセカンド!!」

 六道の焦る声を初めて聞いた気がした。

 中継にセカンドの二葉が走る。打球はライナーとフライの中間のような当たりだった。しかし、その打球はライトの頭を軽く超えてフェンス際まで転がった。フェンスにぶつかって止まったボールをライトの九条が掴んですぐに中継の二葉に投げた頃にはセカンドランナーの恵美は余裕のホームイン。そして、ファーストランナーの右樹もサードベースを蹴っていた。桃香も大量の砂埃を上げてセカンドベースへヘッドスライディング。ホームへ投げようとしたが六道がバツのジェスチャーを送った。

「……やった」

 有紗がボソッと呟くとそれが起爆剤となって、

「やったぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 全員が飛び上がってホームに帰って来た恵美と右樹を讃える。そして、雪音を除く全員がセカンドベース上で砂を払う桃香へ向けてグットと親指を立てる。

「ナイスバッティング!桃香!」

 砂で顔が汚れている桃香も今までにみたことのない眩しい笑顔でブイサインを送った。

 努力は人を裏切らない。だが、それは努力をし続けた人にしか報いない。それを俺は知っている。そして、桃香は知った。

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