6回裏、7回表 覚醒する有紗
別にわかっていたことだった。
私たちと四之宮さんたちにどれだけ力の差があるのか。
キン。
先頭バッターの凜子ちゃん。前の打席は足の速さを警戒されて三振を奪うためにカーブで翻弄された。今回も四之宮さんのカーブにタイミングを外されながらも何とか当てた。ここから凜子ちゃんの真骨頂。ロケットスタートでファーストへ。サードの三村さんが捕球して投げた頃には凜子ちゃんはファーストを駆け抜けていた。
「よし!」
初回に打って以来のヒットだった。でも、四之宮さんはまったく動じていなかった。
そして、私の打席が回ってくる。カーブを待っていることを簡単に読まれていた。そのカーブをあえてボール球で投げてそれを強引に打ちにいったせいで打ち取られた。
「有紗」
打席に向かう私に先生が呼び止める。
「打ちやすい球を待たなくていい」
「え?」
「ピッチャーのお前がやられて一番嫌なことを四之宮にやってやれば良い」
「一番嫌なこと?」
お前は純粋だなって先生は言う。
ポンと頭をなでられる。
「お前は決め球のスライダーを完璧に打たれたときの気分はどうだ?」
この試合何度もあった。
「落ちこみます。普通に嫌でした」
「なら、四之宮の得意のストレートを思いっきりぶちかまして来い。お前は四之宮の球をちゃんと打ててるんだから自信を持て!」
先生はそういって背中を押した。
ストレートか。第一打席は球威のないストレートを打ってライトフライだった。第二打席はストレートを打てないとふんで待っていたカーブで打ち取られた。でも、すべて芯で捉えた強い当たりだった。
「ふぅー」
一息入れて挑発するようにバットを相手に、四之宮さんに突き立ててから構える。
ストレート。
それだけが頭に浮かぶ。
そのストレートが初球に来たけど、高めに外れた。
これを打つの?出来るの?
そんな疑問を抱きながら2球目もストレート。今度は低めの打ちづらいところに来た。
無我夢中だった。ここで私が打たないという気持ちよりも先生の言葉の意味を考えるほうが先攻してしまう。私は本当に四之宮さんの球を捉えているのだろうか?私はここまでノーヒット。私以外にもノーヒットの子達はいっぱいいる。その中でも私は野球経験者だ。それでノーヒットは正直何も言うことができない。私は四之宮さんの球を打てていない。そう、錯覚していたのかもしれない。
カキーン。
何も考えずただバットを振った。来たボールをただ振った。今回も芯で当てることが出来た。
一瞬ヒヤッとした四之宮さんと六道さん。だけど、打球は右中間。センターの八王子さんが追いついてセンターフライに終わった。
「さすがですわ」
ほめられた。打ち取られたのに…。
「惜しかったわよ、有紗」
とミキちゃんにほめられる。
「ナイスバッティングだった、有紗」
先生にもほめられる。結果はセンターフライだったのに。
「どうしたらあの化物の投げるボールを打てるわけ?」
雪音さんが私に嫉妬した。
「さすが!」
「すごい!」
神野ツインズも驚いていた。
「やっぱり、経験者ですね」
と恵美ちゃんが感心している。
「あの魔王に一泡吹かせるとは、さすがダークレディだ」
なっちゃん…それはもう言わないで。
「すごいですぅ。ダークレディ」
桃香ちゃんは私の心が読めてるの?
「胸を張れ」
先生が私の隣に座ってきた。
「お前は夏の甲子園ベスト4のピッチャーだった俺が認める才能を持っているんだぞ。みんな有紗がいるからここにいる。ここまで戦えているんだってことを自覚するんだ」
私のおかげ?
カキーン。ミキちゃんが四之宮さんのストレートを捉えたけど、ショート正面に転がった。そのままセカンドに投げてセカンドからファーストへ流れるような守備であっという間にスリーアウトになった。
「でも、私けっこう打たれているんですけど」
「そうか?」
先生はキョトンとした。
「気のせいだろ」
気のせい?
疑問ばかりが頭の中をぐるぐると巡っている状態でマウンドへ。
私は打たれていない?
ここまで良長川女子野球クラブのヒットは全部で8本。うち、長打は2本で2本とも四之宮さんから打たれている。その四之宮さんが打席に入ってくる。
打たれていない気のせいだ。私はかなり打ち込まれている。7失点もしている。たぶん、この回も打たれて点が取られてしまう。そんな弱気だけが私の頭の中をいっぱいにしていく。
初球低めのストレートは見逃してストライク。2球目のスライダーは高めの甘いところに入ってしまったけど、四之宮さんはバットに当てるだけでファールとなった。簡単にスーストライクに追い込んだ。
ミキちゃんのサインはスライダーだった。
私はこの試合になって初めてミキちゃんのサインに首を振った。
なんとなくスライダーを打たれるのが嫌だった。先生は四之宮さんに嫌なことをさせて来いと言われた。今度は逆に私が嫌なことをされている番な気がした。スライダーは私の決め球。打たれるのが嫌だった。
次のサインはストレートだった。それも首を振った。先生は私のストレートを絶賛してくれた。そのストレートで抑えられているのか?自信がない。そうなると消去法で投げる変化球はシンカーだけ。
シンカーなら四之宮さんを最初に抑えることが出来たし、まだ対応できていないだろうと逃げの選択だった。
そのシンカーが甘く真ん中近くに入ってきた。
やばい!
しかも、ほとんど変化しなかった。それが功をそうしたのか四之宮さんはシンカーを芯で捉えきれずパワーで無理やり飛ばした。その結果、ショートの左樹ちゃんの頭の上を越えるレフト前ヒットで済んだ。打球に勢いはなくレフトのなっちゃんは難なく捕ることができてそのまま内野に返す。
長打にならなくて良かったとほっとすると、何か鋭い視線に刺された。
刺してきたのはミキちゃんだ。
確かに四之宮さんにヒットを許してほっとしている場合じゃない。次の五十嵐さんを抑えられたとしてもその次は六道さんだ。気を抜いちゃダメだ。
そのとき、体から力がすっと抜けた。ミキちゃんのミットまでが鮮明に見えた。不思議な感覚だった。ミキちゃんの要求はストレート。インコースの低め。ランナーがいるからクイックモーションから投げるボール。そのボールを握る力が全身からボールへ電気みたいに伝わる感覚に襲われる。
あ、打たれる気がしない。
バチン!
まるで雷が落ちたみたいにストレートがミットに突き刺さる。
「はぁ?」
五十嵐さんがその驚きを思わず声に出してしまった。
なんでこんな力湧いてくるのかわからなかった。
次もストレートだった。打たれる気がしない。今度も低めのぎりぎりのコースに入る。五十嵐さんは手も足も出なかった。次もストレート。外角低め。足を上げた瞬間、世界の音が消えた。極限の集中力がボールを握る右手に集中する。体重移動と同時にボールにこめた力を一気に解放する。
五十嵐さんは完全に振り遅れて三振となった。
どうした?急に?ってみんな思っているかもしれない。
私にも何がどうしたのかわからない。
六道さんを迎える。初球、体が軽い状況は変わらない。打たれる気がしなかった。でも、この極限の集中力はそう長く続かなかった。
足を上げた瞬間、
「走った!」
恵美ちゃんの声だった。ファーストランナーの四之宮さんが走っていた。その一瞬、ランナーに気をとられた瞬間、すべての力が勢い良く抜けて行く感覚に襲われる。ボールが甘く入ってしまった。
それを見逃さなかった六道さんはバットを思い切り振りぬく。
カキーン!
甲高い強い金属とともにボールは勢い良く飛んでいく。
終わったと思った。けど、ボールはどんどん左へ流れていってファールラインを超えた。
「ファール!」
「フェアリアー!今のフェアに出来なかったのはギルティ!」
少し自分に当たった六道さん。
でも、あの当たりは私には致命傷だった。
さっきまでの謎の集中力はどこか地平線の彼方へ消えてしまったかのように逆に今度は音という音が雑音に消えてしまってならない。体が重い。
ミキちゃんの要求はストレート。セットポジションに入ってから一度ファーストランナーの四之宮さんを見る。さすがに警戒されたと思ったのか、リードが少し狭くなった。それから六道さんに対峙する。要求はインコース。抑えられるのか不安になった。そんな迷いが私のストレートを軽くする。要求とはまったく違う外角の高めにストレートが外れる。
そのボールを受けた。ミキちゃんがタイムと取った。同時に先生もマウンドへやって来た。内野陣もそれにあわせて集まってくる。
「どうしたの?有紗?」
「……わからない」
私は自分の両手を見る。
「急に力が湧いてきたんだよ。周りの音がまったく聞こえなくなってすごく集中できた」
「それを完全に四之宮に狙われたな」
「え?」
「有紗のギアが急に変わったことに五十嵐の打席で気付いてそのギアを壊すために、集中力を少しでも削ぐために盗塁を試みた」
「あの、感じだと普段はまったく盗塁しない感じだったわね。有紗の集中力を途切らせるためにやったみたいだけど」
「その集中力はたぶん前の打席から続いている感じだな」
「え?」
「確かにあの四之宮の剛速球をライナーで打ち返すなんて普通じゃないわ」
と雪音さん。
「うん」
「うん」
頷く神野ツインズ。
「そうですね」
納得する恵美ちゃん。
「私たちは有紗に支えられてここまで来たんだから、今度は私たちが有紗を支える番よ」
みんながそれぞれ真っ直ぐ私の方を見てくれた。
「大丈夫!」
「今度はエラーしないから!」
「善処するわ」
「絶対にどんな球も捕って見せます」
それぞれの心意気がうれしかった。
「有紗!」
センターから凜子ちゃんの声が聞こえた。元気良く手を振っている。
「有紗」
今度は先生が。
「お前はここにいるのは野球を楽しくやるためだろ?そうじゃなかったか?」
暗く曇っていた気持ちがゆっくり雨上がりのように晴れて輝いてきた。
ああ、そうだ。忘れていた。苦しい場面が多くて忘れてしまっていた。
「先生」
「なんだ?」
「女の子は野球をやっちゃいけないんですか?」
「何を当たり前のことを言っているんだ?」
みんな笑顔だった。
「そんなことない!」
全員が同じ答えだった。
その言葉が何よりの私の力だった。
それぞれが内野の定位置へ戻っていく。
ミキちゃんはマスクを被る前にホームベースの前に出る。
「よーし!!しばって!!抑えて行くよー!!」
おー!!っと全員が威勢よく声を上げる。
「ファインね。でも、そのおかげでリカバリーしたみたいね」
大丈夫。私にはみんながいる。あの時とは違う。後ろには私を助けてくれるたくさんの人がいる。その人たちの力が集まってボールに篭もる。
さぁ、投げよう。楽しく野球をやるために。
振りかぶって投げたストレートは外角へ。
「ミーたちだって!負けない!」
その気合を入った声と同じく気合の入ったスイング。
バットとボールが激突する。まるで眩い光が火花みたいに飛び散る。
行け!行け!行け!行け!行け!
「負けないって言ったなら負けるな!」
四之宮さんの劇が六道さんに力を与える。
カキーン!
鋭い流し打ちがファーストの恵美ちゃんを襲う。
誰もがヒヤッとした瞬間だった。
それは一月前。当時はサードを恵美ちゃんは鋭いライナー性の打球を捕れずおでこを直撃して怪我をした。その恐怖はたぶん誰よりも脳裏でフラッシュバックしたのは恵美ちゃん本人だろう。
でも、彼女は言っていた。
―――絶対にどんな球も捕って見せます。
パン!!!
それを有限実行した。
とんでもない勢いのあるライナー性の打球を恵美ちゃんはしっかりとグローブにおさめた。
勢いに負けてそのまましりもちをついて一回転する。勢いでメガネが飛ぶ。砂埃を上げて全身を砂だらけにして全身を使って恐怖を克服した。しかし、すごかったのはそこからだった。
ファーストランナーの四之宮さんが飛び出していた。それを恵美ちゃんが見ていたのかわからない。メガネが外れて何も見えていないはずなのにボールを握ったグローブで慌てて戻る四之宮さんへタッチするべくダイブする。
四之宮さんもヘッドスライディングで戻る。
ファーストベース周辺で砂埃が上がる。
そして、砂埃が晴れるとそこにはファーストベースにタッチできず恵美ちゃんのグローブにタッチする四之宮さんの手があった。
「ア、アウト!」
一瞬にして場の空気が最高潮に達した。
「恵美ちゃん!」
「恵美ちゃん!」
半泣きの状態の神野ツインズが抱きついてくる。
「ちょっと!離れてください!汚いです!」
と嫌がっているけど、内心はすごくうれしそうだ。
「最初は全然捕れなかったのに」
「顔面でボールを捕ろうとしていたのに」
「別に顔面で捕ろうとしていないのですけど?」
私が駆け寄ってくるのを見て自信満々に答える。
「どうですか?有限実行ですよ」
私も泣きそうになる。
「さすがだよ。恵美ちゃん」
落ちたメガネを拾ってきた桃香ちゃん。
「すごいですぅ。また、大丈夫って駆け寄らないといけないところでしたぁ」
「冗談はよしてくださいよ」
と珍しく冗談を冗談として受け取った。そして、もっと冗談のようなことが起きる。
「ん」
雪音さんが砂だらけになって倒れて立ち上がっていない恵美ちゃんへ手を差し出した。
「なんの冗談ですか?」
「は、別に。そんなライナーどこき私ならそんな砂だらけにならなくても、でんぐり返ししなくても、メガネを吹き飛ばさなくても捕れるわよ。でも、前回の怪我の比べれば、まぁ、良くやったわ」
その言葉が何より励みになるのは誰もが知っている。
「どうもありがとうございます」
ここで屁理屈を言わないで素直なところが恵美ちゃんのいいところだ。恵美ちゃんは雪音さんの手を取って立ち上がる。そして、良長川ナインへ視線を向ける。
「有紗。あたしたちは思い出作りをしに来たわけじゃないわよ」
「知ってる」
「もう、思い出はたくさん作りました」
「そうだね。やりたいことは」
「全部やりきったしね」
「負けるつもりでここにいるわけじゃないわ」
「野球をもうやれたよ。だから、後やっていないことをやるんだ」
「その通りだ。皆の衆」
「ですねぇ」
みんな気持ちはひとつだ。
「勝とう。絶対に!」
運命の最終回へ。




