4回表 鼓舞される有紗
なんとしないとそんな考えばかりが先行してしまって頭が回らなかった。俺は選手として一流だったかもしれない。でも、監督としては未熟者だ。こういうチームの勢いが沈んでいるときは俺が一番がんばらなければいけないってなる。投球に力が篭もる。走るストレート。突き刺さるストレート。度肝を抜かれたバッターはバットを振ることさえ出来ない。振ったバットは当たる気がしない。俺自身、当てさせる気さえなかった。それに周りが鼓舞されてチームに勢いが増す。
だが、有紗にそんな全盛期の俺のようなことはできるような子じゃない。ならば、どうすればいいのか?俺がまだエースと頭角を現していないときどうだった?俺がいた野球部が甲子園に出たのは俺がエース番号を背負ってからだ。それまでは甲子園に出ることはなかなか難しかったが、県内では強豪校だった。その強豪校が甲子園に出られるように仕立て上げたのは俺たちのような選手ではなく監督の影響が大きかった。
その監督は俺たちをどうやって育てた?俺たちが苦しいとき監督は何をしていた?どうやって声をかけていた?
経験しているはずの経験を生かせないことがこんなにも悔しいと感じるのは生まれてはじめだった。
「ストライク!バッターアウト!」
先頭バッターの九条を三振に押さえた。
気迫の投球だった。息は荒れて苦しそうだった。
何か声をかけないといけない。彼女が少しでも苦しくないと思わせるように。
だが、言葉が見つからない。なんと声をかけていいのかわからない。
次のバッターはトップバッターに戻って一瀬。打ち所の球が来るまで粘るかなり厄介なバッターだ。初球のストレートは高めに外れる。次に投じたスライダーも高めに浮くが手を出さずストライクになる。次のスライダーは外角に外れてボールになる。ストレートは低めにワンバウンドしてボールになる。インコース高めに来たストレートは軽くバットに当てられてファールになる。最後の投球にしてやると気迫の篭もったストレートは内角低めの打ちづらいいいところにいったがそれをうまくあわせられてファールになる。それで有紗の集中力が切れたのか次に投げたスライダーが真ん中に来てしまった。
それを待っていたかのように一瀬はスライダーを打ち返した。
「サード!雪音!」
ミキがすぐに叫ぶが鋭いゴロは雪音と左樹の間を抜けてレフト前へ。
有紗は手を膝について打球を見守る。レフトのなっちゃんは転がってきたボールを捕ろうとしたがボールはミットに収まることなくそのままなっちゃんの股の下をくぐって後ろへ。
「あ!」
設定を忘れた素の反応をなっちゃんは見せた。
「回れ!回れ!」
良長川女子野球クラブベンチが盛り上がる。足の速い一瀬はファーストベースを蹴るとすぐにセカンドベースに達した。それに負けず劣らず凜子がすぐにボールに追いついて内野にボールを返した頃にはすでに一瀬はサードベースに達していた。
「ご、ごめん」
有紗は大きく息を吐いて笑みを浮かべる。
「大丈夫だよ!なっちゃん!」
「そうだ!あんまりきにするな!」
ミキもあわせてなっちゃんを励ます。
エラーでワンアウト三塁。先頭バッターを気合で抑えたのにその気合が空回りしてヒットを打たれた上に味方のエラーでピンチが広がる。本来なら味方に当たりたいところをじっと耐える有紗。
誰よりも戦っている。そんな有紗の姿を見れば誰だって応援したくなる。だが、俺も有紗も嫌いな、大嫌いな野球の神様は非情に冷たい。
カキーン。
次のバッターの二葉に初球のストレートをライト前に落とされてあっという間に追加点を取られた。
息が荒くぬぐう汗の量も増えてきた。
次のバッターの三村。その次にはあの四之宮が待ち構えている。状況はさっきの回と同じだ。ここで焦ってしまえば、またエラーを生む。フォアボールにするのも不味い。ランナーを溜めた状況で四之宮を迎えるのは不味い。
ワンアウトだから三村を抑えたとしても四之宮に打順が回ってくる。ここは少しでもランナーが少ない状況で彼女を迎えなければならない。そのためにはなんとかここで抑えないと。じゃあ、どうすれば。三村も四之宮と同様器用なバッターだ。抑えるのは簡単じゃない。インコースを攻めれば粘られて一瀬の時みたく甘い球を打たれる。ならば、新しい変化球。シンカーを中心に攻めるしかない。シンカーとスライダーを織り交ぜて三振を捕りに行く。そうすれば、不安定な守備に頼る必要はない。四之宮のプレッシャーに守備がもたつくこともない。
よし、そう声をかけにいこう―――と思ったときだ。
左樹がすぅーっと大きく息を吸った。
「こっちに打ってこぉぉぉぉぉぉい!!!」
割れんばかりの声は敵どころか味方の度肝も抜いた。
「さ、左樹ちゃん?」
若干、引いている有紗を尻目に、
「違ぁぁぁぁぁぁう!!!」
今度は右樹が叫び出した。
「打つのはこっちだぁぁぁぁぁぁ!!!」
「ちょ、ちょっと、右樹ちゃんまで」
と焦り出す有紗を見た雪音が。
「ちょっといい加減にこっちに打ってきなさいよ。暇なんだけど」
と挑発する雪音。
「ゆ、雪音さんまで」
「か、かかってきなさい!絶対にとってやるんだから!」
と精一杯声を上げるのは恵美だ。
「恵美ちゃんまで」
「有紗!」
ミキが立ち上がる。
「あたしたちに任せな」
それだけ言ってマスクを被って構えた。
有紗はマウンドから振り返って自分の後ろを守ってくれる仲間の表情を見た。外野の3人も同じだった。爽やかな風が吹いた。彼女はずっと孤独に野球をやって来た。それは野球を辞める前の少年団の時からそうだった。仲間外れにされ、嫌われ、チームを追われた有紗はいつも孤独だった。それに比べてどうだ?今は?少年団の時と比べて頼りないメンバーかもしれない。でも、今の有紗はチームといっしょに戦っている。ピッチャーはマウンドでどうしても孤独になってしまうときがある。だが、左樹の叫びから始まったみんなの叫びは精神的支柱の有紗を必死に支えようともがく声だ。その声に答えずにどうする?俺がピッチャーならその声が最も安心できる声、力をくれる声だ。
それは有紗も同じ。
俺はマウンドへ向かうのを辞めた。
有紗の表情が変わったからだ。




