雪音の再起
次の日の昼休み。お昼前の日本史の授業が終わると私は誰よりも早く教室を飛び出す。後ろで恵美ちゃんが廊下を走るなって声が聞こえた気がするけど、そんな声は頭に入らない。この時間のために私はどれだけ頭の中でシミュレーションをしたかわからない。
「言ってやるんだ。負けるな、私」
ふたつ隣のクラスを覗く。ぞろぞろとお昼食べに学食や購買に向かう人や仲がいい同士机をくっつけてお弁当を広げる子もいる。そんな中でひときわ綺麗な人が教室の奥にいた。それは触れていけない茨の花のようにひとりでいた。私は大きく深呼吸をして教室に乗り込む。
「ゆ、雪音さん」
思わず声が裏返る。
雪音さんはぎっと私の声に反応して睨む。でも、負けない。
「あの、お話があるので、いっしょにお弁当食べませんか!」
弁当箱をかざして言う。
教室中がざわつく。雪音さんは綺麗な人だ。声をかけずらい存在だ。そんな雪音さんに体当たりでお昼を誘っている私を見て動揺しているんだろう。
雪音さんはゆっくりと立ち上がって無表情で。
「いいわよ」
と言ってくれた。
それから雪音さんについていって1階の渡り廊下の階段に腰掛ける。木が日差しをちょうどいいくらいに遮っていて心地いい。雪音さんは膝の上にお弁当を広げ始める。
「それで話って何?」
毒舌とか嫌味とかばかり話しているイメージが強い雪音さんが静かにお弁当を広げていると清楚で優しいお姉さんに見える。でも、そんな風貌の雪音さんとはかけ離れた話をしようとしている。
「昨日のお話です」
「昨日?何かあったかしら」
ととぼける。
「とぼけないでください。なんで昨日、病院に来なかったんですか?恵美ちゃんが心配じゃなかったんですか?」
「心配するわけないじゃない。あの怪我は自己責任よ。試合中にボーっとしてるから悪いのよ」
そうかもしれない。そうかもしれないけど。
「もしも、雪音さんが同じ立場で怪我をして誰もお見舞いに来なかったらどう思いますか?」
お弁当の最初の一口を口にして飲み込んでから答える。
「まぁ、自己責任だから仕方ないと思うわね」
「それは本当ですか?」
「本当よ」
「なら、お見舞いに来てくれたらどう思いますか?」
「はぁ?」
急に話と質問がかみ合っていないことに疑問を浮かべる。
「何が言いたいの?」
「昨日、恵美ちゃんと少しお話をしました」
「別のその話聞きたくないんだけど」
「それでも聞いてください」
私を見るとツンとそっぽを向いた。聞きたくないんだけど、ここから離れろとは言わない。だから、私は話す。
「恵美ちゃんは雪音さんに謝っていました。ぶつかってごめんなさい。迷惑をかけてしまってごめんなさいって」
「当たり前よ。ぶつかってきたのはあっちだし」
これだけではただ雪音さんが調子に乗るだけだ。恵美ちゃんはそれをわかっていた。だから、続けたんだ。
「でも、あのまま試合が続いてたとしても結果は悲惨なことになっていました。得にプライドの高い雪音さんには耐え難いことになっていたと思います。だから、私が怪我をしてよかったですね。その無駄なプライドが傷つかなくて本当によかったですね」
不意に立ち上がって私の胸倉に掴みかかる雪音さん。
「それを本当にあの子が言ったの?あの下僕に言わされたんじゃなくて?」
そう。誰だって代弁したらそう思う。でも、違う。
「恵美ちゃん本人の言葉だよ」
怪我を負った恵美ちゃんは怪我をしたことで何かが吹っ切れたように見えた。いや、単純に頭をぶつけただけかもしれない。でも、確かな意思を感じた。怪我をして試合をダメにしてしまった責任は自分にあってどうにかしなければないっていう。
「正直、あのまま試合が続けば確実に負けていました」
「それはあなたにも責任があるんじゃないの?」
「そうですね。あの試合の要は私でした。私が打たれないようにすればよかったんですよ」
「なら、あなたのせいじゃない」
「なら、あの試合私のせいで負けても雪音さんはなんとも思わないんですか?」
雪音さんは再び座ろうとするところで動きを止める。
「別に何も」
「思わないんですか?勝って相手がいい思いをして見下されてもいいんですか?我が物顔で大きな態度で接してきてもなんとも思わないんですか?勝者だから敗者は何も言い返す状況ではないですよ?それでも雪音さんはいいんですか?」
「いいわけないでしょ」
少し怖かった。
「負けて相手が大きな顔してるならその顔を潰すわよ。物理的に」
それはどうかと思います。
「つまり、悔しいんですね」
そう、これが言いたかったのだ。
「別に悔しくなんか」
「なら、負けでいいんですね。勝てなくてもいいんですね」
「さっきから!何が言いたいのよ!」
今度は完全に怒られた。
「負けて……私は悔しいです。先生は私のストレートもスライダーも通用するって言ってくれました。でも、実際はまったく歯が立ちませんでした。悔しい!私が自信を持ってきたものが一気に崩れ去って悔しかった。だから、次は勝ちたい!絶対に勝ちたいと私は思っています!雪音さんは!どうですか!」
いっぱいに広がる声を一番近いところで聞いていた。雪音さんは少し評し抜けていた。普段、大人しくて控えめな私が声を張って感情的になったからだ。その私の言葉が通ったのか雪音さんも本音が出る。
「悔しくない―――わけないでしょ!」
整った綺麗な顔が崩れて鬼のような形相になる。
「恵美と!あの馬鹿でかい女!」
たぶん、四之宮さんのことだ。
「言いたいことを好き勝手言って!私が強力な個じゃないって事くらいわかってるわよ!試合を左右できないことくらい知ってるわよ!」
たぶん、あんなことを言ったのは自分が悪いって言うことを認めたくないプライドが邪魔をしたんだ。そのプライドが恵美ちゃんの怒りに油を注いでしまった。
「有紗!どうしたら、私は強くなれるのよ!」
その答えは私が出すべきじゃない。というよりも雪音さんを満足させるような答えを出せないと思う。私の仕事は雪音さんを引き留めることで雪音さんを強くする方法を知っているのは先生だ。だから、私が言うべきことはこうだ。
「今日も練習に来てください。答えはそこにあると思います」




