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ダイヤモンドの女神  作者: 駿河ギン
3章 敗者が学ぶこと
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崩壊の音

 勝負の世界にいる以上負けはつき物だ。どんな強者でも負けを経験しないことはない。超高校級の投手だった俺だって負けたことはある。そんな負けにもいろいろ種類がある。いい負け方と悪い負け方がある。自分の実力を発揮できない負け方。自分の実力をすべて出し切る負け方。このふたつの負け方は自分の実力不足が原因だ。だから、もう負けないように練習に励む。実力が発揮できなかった原因は?実力を出し切って負けた敗因は?両者は負けることではっきりとわかり、次の勝負の勝利へと繋がる。だから、この負け方はいい負け方と言っても俺は良いと思う。一方で悪い負け方は勝負もせずに負ける負け方だ。それは相手へ侮辱する行為だ。勝負をするのだから真剣勝負だ。そんな真剣勝負を仕掛けてくる相手に勝つ気もなしに勝負をすれば相手は怒って当然だ。やる気がなくなる。二度と勝負してもらえなくなっておかしくない。

 星美高校女子野球部は負けた。それも悪い負け方だ。そんな悪い負け方の中でも最上級と言っても過言ではない負け方だった。監督であった俺ですらもこの試合で勝つつもりはなかった。ただ、試合を成立させればそれで良いと思っていた。まずはそれが大きな間違いに始まりだった。有紗の才能を甘んじて他の素人メンバーの鍛えが不足していたこと。勝負する以前に勝負する体制になっていなかった。だから、恵美は急なライナーに対応できず怪我を負ってしまった。何よりも問題なのが内部亀裂だ。

 他にも問題は盛りだくさんだ。今はそれを整理するのでいっぱいいっぱいだ。

「先生」

 病院の廊下に設置された椅子に俺は頭を抱えながら座っていた。それを心配そうな眼差しで有紗は見つめてくる。そんな顔をするな。俺はお前が楽しそうに野球をやっている姿を見たいんだ。女の子は野球をやっちゃいけないって言う偏見からようやく解放されたんだ。もっと、うれしそうな表情をして欲しかった。でも、マウンドいた彼女の表情は苦しそうだった。ピンチだったからじゃない。それは同じピッチャーだった俺が一番わかってる。

「恵美ちゃんが診察室から出てきました」

「そうか」

 保健室の先生が一応病院に連れて行ったほうがいいと言うことで恵美を病院に連れてきた。恵美は保健室の先生の車で病院へ。俺と有紗は原付を使って病院にやってきた。遅れて他のメンバーもバスを使ってやって来ている。

「脳と骨、それと目には異常ないみたいです。浅い切り傷みたいです。当たったのが額だったから出血がひどかったみたいです」

「それは良かった」

 まずは恵美の怪我が軽かったことにホッとしよう。

「あ、あの、すみませんでした」

 有紗が深々と頭を下げる。

「何で有紗が謝るんだ?」

「私が失投して打ちやすいところに投げたからこんなことに」

「別に有紗だけが悪いわけじゃない」

「……はい」

「あの試合は俺を含めた全員に責任がある。それは怪我をした恵美もそうだ」

「え?」

 戸惑う有紗を尻目に俺は立ち上がる。

「有紗。今から少しきついことを言うが悪く思わないでくれよ」

 願わくば、野球を嫌いにならないでくれ。有紗は弱いから。

 しかし、そんな俺の心配をよそに有紗はふっと息を吐いて覚悟を決めたようにじっと俺を見る。

「大丈夫です」

 その言葉には偽りはないな。

「有紗。楽しかったか?今日のマウンドは?」

「……楽しくなかったです」

「そうだろうな」

 味方に怯え、敵に怯え。びくびくしながらやって楽しいことなんてない。

「ミキも言っていたが、お前は堂々としろ。持っているものは持っているんだ。ノビのあるストレートも切れの良いスライダーもピッチャーなら誰もが欲しい素材をお前は持っているんだ。それをミキに怒鳴られて怯えながら使う物じゃない。勝負するのはミキじゃない。お前だ、有紗。配球が気に入らないのなら首を横に振れば良い。キャッチャーの配球ミスで打たれて、責任はピッチャーにかけられる。だったら、ミキの配球を無視してでも自分のやりたい方法で勝負しろ。それがピッチャーだ。それが嫌ならピッチャーなんて辞めちまえ」

 有紗の口元がかすかに震える。強くに両手を握る。

「わかって……います」

「そこにいたのね」

 金髪ポニーテールのミキもやってきた。

「有紗?どうしたの?泣きそうじゃない?まさか」

 疑いの目は俺に向けられる。しかし、俺は。

「そうだ。俺が泣かせた」

「……最低」

 冷たい視線が俺を突き刺すが、それをものともせずに俺はミキにもぶつける。

「ミキ」

「何よ?」

「お前って簡単に挑発に乗っかるんだな」

「はぁ!?」

「敵に煽られて乗せられて試合前に立てた作戦を簡単に放棄して。味方が言い争えば、それを解決もせず押さえ込む。それでも試合をリードするキャッチャーか?ピッチャーに何が何でも言うことを聞かせるのがキャッチャーなのか?」

「何が言いたいわけ?」

 はっきりと俺は言う。

「ピッチャーが気持ちよく投げさせないキャッチャーはいらない」

 それは事実だ。それはキャッチャーの経験があるミキもわかっているはずだ。

 そのストレートな言葉を飲み込んで答えようとする。そんなこと言うなら辞めてやるわよって。だが、それを言う前に有紗が立ち上がる。

「悪いのは!…悪いのは私だから。勝負をするのは私だったのに、勝負から逃げてたから。ミキちゃんは、ミキちゃんは何も悪くない!」

 病院の廊下に響き渡る有紗の声に誰もが目を向ける。

「ちょっと、有紗」

「ミキちゃんは悪くない。悪くないの。だから、お願いだから」

 有紗はミキの手を握る。ぎゅっと優しくも確実に。

「私とバッテリーを組んで。今度は逃げないから。逃げないで怯えないで勝負するから。だから……」

 有紗はわかっているんだ。

「有紗?」

 いつもの元気な雰囲気からは想像の出来ないような声と表情を見せるのは凜子だ。お前もそんな顔が出来るんだな。

「なんで泣きそうなの?」

 何かを察したのか俺のほうを見る。

「松葉先生のせい?」

 そうではあってほしくないと願っているように感じた。だが、残念だな、凜子。

「そうだ。俺のせいだ」

 それを聞いてシュンとまるでろうそくの炎が消えてしまったように消沈とする。

「凜子。お前はすごいよ。行動力の速さのおかげで野球から遠ざかっていた有紗をたった一月で野球が出来る人数を集めたんだから」

 その行動力の速さは俺は本気ですごいと思っている。でも。

「凜子の集めた寄せ集めのメンバーは有紗のために野球をやってくれない。それは凜子。お前も同じだ」

「え?」

 たぶん、今日の試合を途中棄権するきっかけとなった雪音や恵美よりも厳しいことを言う。

「有紗のために野球をやるために人を集めた。それは凜子も同じだろ。だが、お前は野球をやる気がない。ルールを教えてもすぐ忘れる」

「で、でも、凜子ちゃんは私のために」

 と有紗がフォローに入るが俺はそれを無視して続ける。

「今日の有紗、楽しそうに野球をやっていたか?」

 凜子は答えない。見ていなかったのか、忘れてしまったのか。

「苦しそうだったぞ。味方に怯えて息苦しそうに大好きな野球を有紗はやっていた。楽しいか?それで本当に野球が楽しいか?」

 凜子は俺を押し倒した。突然の攻撃に俺はしりもちをつく。凜子は―――泣いていた。

「いくら忘れるのが早い私でも見てるし、覚えるし!」

 凜子は涙を乱暴にふき取ってどこかへ走って行ってしまった。

「ちょっと!凜子!」

 ミキが追いかけるも足の速い凜子に追いつけるはずもなく途中で追いかけるのをやめて振り返る。

「あんた、男として最低よ」

 と俺に釘を刺して凜子を探しに行ってしまった。

「有紗ちゃん?」

「泣いてる?」

 いつもとは違う静かなトーンで心配そうに神野ツインズがやってきた。

「神野ツインズ」

「ん?」

「な~に?」

 今からきついことを言おうとしているのに無神経な反応だ。

「お前たちはふざけ過ぎだ」

「へ?」

「は?」

 初めて見せる、双子の違う反応に普段の心境なら笑いそうになるけど、今は違う。

「やる気あるのか?確かにスポーツは楽しんだ者勝ちだ。でも、お前たちの楽しみ方は違う。ただ好き勝手やりたいことだけをやってふざけているようにしか見えない。相手は真剣なんだ。お前たちの行為は相手を侮辱する行為だ。そんな態度で野球をするなら今すぐ辞めろ」

「ちょっと、先生」

 それ以上は辞めてくれっていう感じで言ってくる。それでも俺は辞めない。ふざけ続けるなら辞めてしまえばいいと俺は本気で思っている。

「皆の衆なぜ集まっている?まさか!闇の帝国軍が!」

「今は恵美さんが怪我をしてそんなふざけている場合じゃないですよぉ」

「……そうだね」

 正論を言われてしょぼくれるなっちゃんと恵美の怪我で少しいじり方にとげのある桃香がやってきた。

「なっちゃん。お前もふざけ過ぎだ」

 もはや、ただの八つ当たりだってわかっている。でも、腹が立った。真剣に勝負を仕掛け来る相手にふざけて試合を半分放棄状態で遊んでいる奴らを見ると。

「え?なんで?」

「何が闇の帝国軍だ?状況と場を考えろ。高校生だろ。勝負をしているときにふざけたこと抜かしてると俺だって怒るぞ?本気で?」

 俺の本気過ぎる言葉と声に怯えて桃香の後ろに隠れる。

「あのぉ~、先生。言い過ぎだと思いますぅ」

「桃香。お前は優しいが、優し過ぎる」

 俺の怒りの矛先は桃香に変わる。

「恵美が怪我をして駆けつけるのは間違いじゃない。でも、試合中は間違っている。本来ならいち早くボールを処理して試合を止めてあげることが恵美のためだったんだ」

「え?」

「桃香がボールを放置したせいで試合が止まらなかった。だから、俺もグラウンドに恵美の怪我の具合を見に行きにくかったしミキが保健室の先生を呼びに行くのも遅れた。もしも、打ち所が悪かったら?治療が遅くなれば危険な怪我だったら?」

 震える桃香。だけど、他の子達とは違ったのは。

「そうなんですか。ごめんなさい」

 しっかりと受け止めた。ちょっと、驚きだった。

「でも、私は……今日やったことが間違いだって思っていませんからぁ」

 おっとり感は変わらないが怒っているのはわかった。

「皆さん」

 弱々しい声で姿を現したのは恵美だった。額に包帯を巻いて予備のめがねは度があっていないのか少し目を細めている。今にも泣きそうな声で深々と頭を下げる。

「ご迷惑をおかけしました。私のせいで試合と途中で棄権してしまう事態になってしまって」

「べ、別に恵美ちゃんが悪いんじゃいよ」

 有紗がフォローするが俺はそれをぶち壊す。

「そうだ。お前が悪いんだ」

「ちょっと!先生!」

 神野ツインズのどっちかわからないが注意を受ける。

「いいんです」

 恵美本人が神野ツインズの優しさを気持ちだけでよいと受け取れる言葉で止める。

「雪音が気に入らないことは俺を含めてみんな知っている。だからってあの場でその不満をぶつけるのは間違ってる。試合中に接触プレーはゼロじゃない。問題はその後だ。私が悪かった。怪我はないかって声をかけるのが普通だ。雪音も出来ていなかったし、恵美。お前もできていなかった。ルールを守ることは大切だが、それ以上に相手を気遣うことも出来ないのならルールなんて守る必要ない」

「……はい」

 重く受け止めた。今にも潰れてしまいそうになりながら。

「雪音は?」

 恵美の怪我の原因と言っても過言ではない雪音にも言いたいことがある。しかし。

「雪音さんは……来ていないです」

「……そうか。チームメイトが怪我を負っていい気味だと思っている時点であいつは人間として最低だ」

「そうは限らないですよ」

「今、この場にいない時点でわかるだろ」

 立ち上がって出口へ向かう。もう、二度と有紗に会えないかもしれない。野球が存続するかどうかも怪しい状況だ。リーダーシップの取れる凜子とミキが野球を続けるかどうかわからない。統制を取ることが出来る恵美も野球を続けたいと思っているかどうかわからない。楽しいことをしたいと思っている神野ツインズも楽しくない野球部にいたいと思わないだろうし、なっちゃんは俺に怯えて会いたいと思わないかもしれない。桃香も怒っていた。

 何よりも野球部創部のきっかけとなった有紗が今の環境で野球を続けたいかどうかだ。続けたくないのならそれまでだ。俺も縁を切った野球とようやく関わらずにいける。

「先生!」

 有紗は病院の廊下いっぱいに広がる声で俺を呼び止める。それに素直にしたがって振り返る。

「明日も練習来てください。お願いします!」

 深々と頭を下げる。

 今の状況で明日も練習できるとは思わない。でも、今までとは有紗の雰囲気が違う。

「わかった」

 有紗はどうにしかしようとしている。バラバラになってしまった野球部を再びまとめ上げるのは難しい。このメンバーを集めたのは凜子だ。有紗に出来ることは多くない。でも、何か決意を感じた。その決意に賭けてみよう。野球をしたいのなら自分で努力してみるんだ、有紗。

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