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ダイヤモンドの女神  作者: 駿河ギン
3章 敗者が学ぶこと
30/67

野球ごっこ

 まったく打てる気がしなかった。手の長さと長身を生かした高い位置から投げられるストレートは上から落ちてくるように見える。さらにストレートは女の子が投げているなんて思えないくらい速い。バッティングセンターで打つようなストレートとは比べ物にならない。そのストレートには絶対に打たれない、打たれるはずがないという気迫と自信が満ちていた。それがストレートを数字以上の威力に変えた。そして、大きく曲がるカーブ。力任せに打者を抑えるだけなくてタイミングをずらす小技も四之宮さんは出来る。勝てるはずがない。

 その四之宮さんは左打席でバットを持って再び私の前に立ちふさがる。

 ヘルメットのつばに出来る陰から四之宮さんの眼光が不気味に輝く。まるで弱い草食動物を狙う肉食動物のようだ。

 絶対に打ってやるっていう威圧感に私の手が震える。

 今のチームの現状では打たれるわけにはいかない。でも、私は負けてしまった。四之宮さんには打たれる。そんな感覚しかなかった。

「有紗!」

 ミキちゃんの活の一声にようやく私は我に返る。そして、再び現実と向き合うことになる。

 4番は9番まである打順の中で最も華のある打順。味方には試合をひっくり返してくれるかもしれないって期待を背負って、相手にはこのバッターは強打者だから打たれるわけには行かないと警戒される。重圧を常に背負って打席に立つ。それを跳ね返して期待にこたえる最強の打者が座る打順だ。

 まさにそんな4番にふさわしい風格を四之宮さんは持っている。

 勝てる気がしない。

 そんな弱気な私が投げる初球は大きく外れる。

「何を怯えていますの?」

 見抜かれていた。

「図星ですのね。それでは勝てる勝負も勝てません」

 まさにそのとおりだ。ミキちゃんから返球を受け取って気持ちを切り替える。首を乱暴に振ってミキちゃんのサインをみる。でも、その視界の左隅にちらつくたびに私の気持ちが再び弱気になってしまう。

 ミキちゃんの要求はインコースのストレート。でも、私の投げるボールは外角高めに外れる。ミキちゃんの表情が険しくなる。弱気な私に活を入れるためか返すボールには力があった。

 さっきまであんなに楽しかったはずのマウンドが今は考えられないくらい息苦しい。今の緊張感はとても心地いいとは言えない。早くここから逃げたいって言う気持ちだけが強くなってしまう。

 その不安定な気持ちが色濃く出てしまうのが野球というスポーツだ。

 次の配球もストレート。低めに要求されたストレートはど真ん中に行ってしまった。

 ボールを指から離れて真ん中に向かって行くのがわかってすぐに、

「しまった!」

 思わず声が出る。

 四之宮さんは不適に微笑んで大きく振りぬいた。

 カキーンという気持ちいいくらいの甲高い金属音が鳴り響く。打ち返されたボールはライナーでファーストの右樹ちゃんに向かって一直線に飛んで行った。

 普通ならファーストライナーでアウトになる場面。でも、素人の右樹ちゃんはボールがいつ飛んできてもいいように身構えていなかった。そのせいで突然飛んできたボールに思わず。

「危ない!」

 と避けてしまった。

 良長川女子野球クラブのベンチから喜びの声が聞こえる。

「抜けたぁぁぁ!!」

 いや、抜けたのではない。抜けさせたのだ。右樹ちゃんがよけて。

「七海!追いかけろ!」

 ミキちゃんの怒鳴り声に自称、異世界で不穏な動きを見せる帝国軍を監視する人の風格のないなっちゃんはミキちゃんの声に怯えながらライト線にすごい勢いで転がって行くボールを追いかける。

「右樹!セカンドベースの間に入って七海のボールを受け取れ!」

「了解!」

 とファーストの右樹ちゃんが動き出す。

「ゴメン!間違えた!左樹!あんたが行きなさい!右樹はファースト!」

 ミキちゃんわかるよ。私も最初は見分けがつかなかった。

「もう、ミキちゃんって見かけによらずおっちょこちょいなんだね」

「間違えて頬を赤くするミキちゃんかわいいよ」

「いいからさっさと動け!神野ツインズ!」

 完全に怒ったミキちゃんの言葉に慌ててそれぞれ言われたとおりに動き出す。

 すでに四之宮さんは一塁を蹴って二塁に向かっていた。

 ようやくボールに追いついたなっちゃんはボールを要求する左樹ちゃんに向かって投げる。しかし、ボールは前ではなくあさっての方向、真横に飛んでいく。しかも、勢いのないボールはそのまま転々と転がる。

「じゅ、重力の仕業か!」

 確かにそうかもしれないけど。

「凜子!変わりに投げなさい!」

 すでになっちゃんの近くまできていた。

 転がるボールを拾う。

「左樹に投げなさい!」

「了解!」

 凜子ちゃんはボールを投げた。

 右樹ちゃんのほうへ。

「そっちは右樹だぁぁぁぁ!!」

 双子って間際らしいよね。

 しかし、結果的に内野にボールが戻ってきたのでバッターの四之宮さんは三塁で止まった。

 その表情は怒っているようにも見えた。私はそんな四之宮さんの顔は見なかったことにして右樹ちゃんにボールを貰う。

 次のバッターは五十嵐さんだ。なぜか眼帯をしている。

 ライトのほうから―――あの眼帯は邪眼を―――とか聞こえるけど気にしない。それよりもセットポジションを取ることで見える三塁ランナーの四之宮さんの表情が気になって仕方がない。たぶん、不審に思っているんだ。このチームは野球をする気があるのかって。綾元さんは勝つ気があるのかって。

 あるに決まってる!野球をしたい!みんなでしたい!それで勝ちたいに決まってる!そのためにはもう打たれるわけにいかない!私がしっかりしないと私がしっかり抑えないと勝てない!

 そんな暴走気味に力の篭もったストレートで五十嵐さんからは三振を奪った。

「詩織はよく打ったわねぇ」

 と呟いて次のバッターへ。銀髪碧眼の少女、六道さん。

「ヘイヘイ。ひとつクエスチョン」

「はぁ?」

 キレ気味のミキちゃんに飄々した六道さんは何も恐れずに訊く。

「もしかして、ユーらってアマチュア?」

 その質問の意味がよくわからなかった。それはミキちゃんも同じだった。

「アマチュアに決まってるじゃない。高校生よ?」

「オー」

 と顔に手を当てて大げさに困った顔をする。

「これだから日本人は」

 六道さんは見た目は外人さんだけど話し方から日本育ちだよね?

「アマチュアは日本語に訳すと素人って意味。それを踏まえてワンモア!もしかして、ユーらってアマチュア?」

 その質問にはミキちゃんは無視して私にサインを送る。インコースのストレート。しかも、ミットを構えた位置は思いっきりぶつかるコース。

「オーノー。最低なキャッチャーですね」

 そうだよ。わざとデッドボールなんて。

「有紗は黙ってあたしのサインどおりに投げなさいよ!」

 という怒鳴り声を聞いてしまうともう何も言い返せない。従うしかない。インコースのデッドボール気味のストレートを投げる。

「スティベッド」

「え?」

 その英語はわからなかった。でも、ミキちゃんにはわかったみたいだった。

 その言葉と六道さんが取った行動に驚いた。

 六道さんはバットを寝かせてコツンとバントした。しかも、普通のバントじゃない。バットにボールが当たる前に押し出す。プッシュバントだ。

 バントをする主な目的はバッターがアウトになるリスクを払ってランナーを進塁させることだ。今の状況はランナーが三塁にいる。進塁することはつまりホームベースに帰ってくること。点数が入ること。この状態でバントをする目的は点数を入れることだ。いわゆるスクイズだ。スクイズを成功させるためには三塁の四之宮さんは私がボールを投げるのと同時にホームベースに向かって走る必要がある。でも、四之宮さんは走っていなかった。つまり、このバントはスクイズじゃない。

 狙いがなんだったのかすぐにわかった。

 プッシュバントとなったボールはサードを守る恵美ちゃんとショートを雪音さんの間に転がって行く。それは六道さんの狙ったところだ。

 ミキちゃんは少しためらった後で。

「恵美!」

 恵美ちゃんにボールを処理するように指示を出した。

 ルールと指示に忠実な恵美ちゃんは言われたとおりにボールを追いかける。それをみた四之宮さんがホームを狙う素振りを見せる。

 そのゴロは誰が処理すべきか。

「どきなさい!」

「え?」

 恵美ちゃんと同じように雪音さんもボールを処理するために走ってきていた。

「ちょっと!」

 お互いにひとつのボールで同じことをしようとしたせいで激突して倒れる。結局、ゴロは処理できず、六道さんは悠々一塁へ。私がすぐにボールを拾ったので四之宮さんは三塁へ戻った。ほっとしたのもつかの間だった。

「ちょっと邪魔しないで」

「邪魔って今のボールは私が処理するように言われていたんですよ!邪魔をしたのはむしろ冬木さんですよ!」

「はぁ?ランナーが三塁にいるのにそのランナー無視してゴロを処理しにいくマヌケがどこにいるのよ?あ、ごめんなさい。目の前にいたわね」

 確かにそうかもしれないけど。

「しかし!観月さんにゴロを処理するように言われたのは私です!その場合、三塁ランナーが動かないようにフォローするのがあなたの役割ではないのですか!」

 恵美ちゃんの言うとおりだ。あの場面でサードがボールを処理しに言ったのならショートは空いてしまった三塁のカバーに回るべきだ。つまり、今の場面で全面的に悪いのは指示を無視した雪音さんだ。

 でも、雪音さんは食い下がらない。

「今まであなたは転がってくるボールを拾って素早く投げられたことがあるの?」

「それは…」

「ないわよね!それに比べて私はあなたよりうまいのよ」

 野球のうまさは素人の中で雪音さんが圧倒的に上手だ。だから、先生は雪音さんを一番内野でボールに触る機会が多いショートに配置した。

「そうかもしれません。でも、チームプレイをするスポーツである以上、ひとりの身勝手な行動が試合の勝敗を左右します。それは私よりもあなたのほうがわかっているはずですよ!」

「強力なひとつの個の力でも勝てるのよ?知ってる?サッカーのブラジル代表のエースが怪我した途端、チームが惨敗したって言う話。プロ野球で無敗のエースが移籍したせいでチームは下位に転落したって言う話。私という強力な個がいれば後はゴミでも十分なのよ」

 真面目な恵美さんは自分勝手なことばかり言う雪音さんにとうとう堪忍袋の緒が切れた。

「もう許しません!いいですか!いくらあなたが私たちに比べてうまいからと言ってそれだけで勝てるわけないことあなたが一番知っているはずですよね!うぬぼれるのもいい加減にしてください!そんなことばかり言うから周りから孤立するのですよ!」

 確かに雪音さんはいつもひとりでいるイメージが強い。それがなぜかは人を見下すから。そんな風に扱われてうれしい子なんていない。

「それ以上言うと……殺すわよ」

 雪音さんも怒ったのか口調が鋭くなる。

「殺せるものなら殺してみてください!どうせ口だけなのですよね!」

「口だけって!」

「大口を叩いていますけど、さっきあっけなく三振で終わりましたよね?強力な個がいれば勝てるってあなたは言いましたよね?実際に勝っていないじゃないですか!チームを勝ちに導く強力な個っていうのはあの場面でチームを勝てる見込みを見せるべきではないのですか?それが出来ていない時点であなたは私と同じです!」

 根拠のない自信と傲慢な態度に怒った恵美ちゃんの言葉は正論だった。確かに無敗のエースがいたプロ野球チームはその年、日本一に輝いた。その次の年にアメリカに移籍してしまった途端、チームはBクラス。つまり、下位に沈んでいる。強力な個の影響力は私も知っているけど、今の雪音さんにその強力な個の力はない。

「うざいわね!黙りなさいよ!」

「それくらいしか言い返せないってことは図星なのですね」

 言い返せない雪音さんは平手を大きく振りかぶる。叩く気だ!

「喧嘩なら後に!しなさぁぁぁぁぁぁいぃぃぃぃぃ!!!!!」

 地鳴りでも起こっているんじゃないかっていうくらいのミキちゃんの怒りの声が響き渡って誰もが怯える。普段、なかなか出さない声を出して荒く息切れをしてマスクを被る。ふたりはそっぽを向いてそれぞれの守備位置へ。

 だ、大丈夫かな?今チームの空気は。

「有紗!あんたはバッターに集中しなさい!何おどおどしてるのよ!堂々としなさい!堂々と!」

「はぁ!はい!」

 もうだめだ。ミキちゃんには逆らえない。

 なんだろう。私がやりたかった野球ってこんなだっけ?

 絶対に打たれていけないプレッシャーと戦うものだっけ?違う。どうやって抑えるかって言うプレッシャーと戦うものだ。強打者と戦ってプレッシャーを楽しむものだ。

 喧嘩しながらするものだっけ?違う。みんな仲良くやるものだ。

 味方に怯えてやるものだっけ?違う。たぶん、違う。

 自分に自問自答しながら見つからない答えを頭の中で探していると目の前のバッターに集中できない。

 次のバッターは七尾さんだ。ピョンピョンと飛び跳ねながら楽しそうに左打席に入る。

 ―――うらやましい。

 ミキちゃんの要求は低めのストレート。

 私の投じたボールはアウトコース高め。つまり、バッターが一番打ちやすくさらに長打が打てるところに甘く行ってしまった。

 震えと冷や汗が止まらなかった。

 カキーンという甲高い音と共に鋭いライナーがサードに一直線に飛んで行く。

「恵美!」

 ミキちゃんは突然の速い打球に恵美ちゃんは反応できずそのまま顔面に直撃した。

 ゴンという鈍い音とボールと共に弾け飛ぶ血と砕けためがねの破片。

「恵美ちゃん!」

 そのまま倒れて直撃したところを痛そうに抑えて動かない。ボールはそのまま転々とレフト線へと転がって行く。サードランナーの四之宮さんは悠々とホームに戻ってくる。ファーストランナーの六道さんは二塁まで行って三塁を狙おうとしている。

 転々と転がるボールを桃香ちゃんがボールを処理しようと走る。私は動けない恵美ちゃんに代わってサードをっと思ったけど、桃香ちゃんは私の予想外の行動をとる。

「恵美ちゃん!大丈夫ですかぁ!」

 ボールなんて目もくれず恵美ちゃんへまっしぐらに駆け寄ってくる。真っ青な顔でグローブなんか投げ捨てる。

「ちょっと!桃香!」

 ミキちゃんの声は届いていない。ボールを顔に受けてメガネが弾け飛んで血が出ている友人を見ればあれが普通の行動なんだ。

「っち!有紗!」

 鬼のような命令に逆らうことは出来ず、レフト線に転がっているボールを捕りに走る。

 一番、近いはずの雪音さんはいい気味だと見下して動かない。凜子ちゃんは状況がわからずその場でじっとしている。なっちゃんも同様にあたふたしているだけでその場から動かない。神野ツインズは心配して駆け寄ってくる。守備そっちのけで。私がボールを拾った頃には六道さんはすでにホームに戻ってきていた。七尾さんは怪我をした恵美ちゃんを気にして一塁で止まってくれていた。ミキちゃんにボールを返してすぐに恵美ちゃんの元に向かう。

 先生もタイムをかけて恵美ちゃんに駆け寄る。

「恵美!大丈夫か!」

 異常に気付いた凜子ちゃんとなっちゃんもやってくる。ミキちゃんは桃香ちゃんに救急箱を取ってくるといって校舎に走って行った。雪音さんも仕方なく不満そうな表情を浮かべて近づいてくる。

 ボールは恵美ちゃんの眉毛の上辺りを直撃したらしく切り傷から血が出ている。先生が持っていたタオルで傷口を押さえる。

「恵美。目は大丈夫か?見えるか?」

「……メガネがないからぼやけていますけど、見えます」

 痛みのせいか涙声だった。

 先生と恵美ちゃんが大接近する。それを見てなんか…ドキドキした。先生はただ恵美ちゃんの傷を見ているだけなのに。

「目には当たってないな。傷もあまり深くなさそうだ」

「大丈夫なんですかぁ?傷残らないですよねぇ?」

 不安そうな桃香ちゃんは普段なっちゃんをいじめて楽しそうなのにすごく優しい。

 その優しさに涙が出そうな恵美ちゃんはそれをぐっと堪える。

「ありがとうございます。高山さん。それよりも試合が」

「それどころじゃないでしょ」

 ミキちゃんが戻ってきた。手には救急箱。

 それを受け取った桃香ちゃんが手早く消毒の準備を始める。助手みたいになっちゃんが補助に入る。普段、同じ部活で過ごしている時間が長い成果息ぴったりで応急処置を施す。

「一応、保健室には伝えてきたわよ。少ししたら保健室の先生も」

「すみません。ご迷惑をかけて」

「本当。迷惑よ」

 場の空気を読まない発言を口にしたのは不機嫌な雪音さんだった。

「ちょっと、雪音ちゃん迷惑とかじゃないよ」

「そうだよ。恵美ちゃんは怪我したくて怪我してないよ」

 神野ツインズの言うとおりだ。恵美ちゃんは怪我をしたくて怪我をしたわけじゃない。それはこの場にいる誰もがわかっているはずなのに、それを真っ向から否定する。

「だって、おかしくない?ボールはいつ飛んで来るかわからないのよ。自分のところに飛んでくるかもしれないって気を張ってれば、捕れなくても神野ツインズの……ファースト守ってたほう!」

「ファーストってどっち?」

「どっちだっけ?」

 ファーストを守ってたのは右樹ちゃんです。

「とにかく、気を張ってれば避けるくらいは出来るでしょ!何をあんたはボーっと考え事してるの?他の事を考えてるからそんな怪我するんじゃない。マヌケ」

 そういわれると恵美ちゃんも返す言葉がない。

「仕方ないですよ。あなたとぶつかってしまったプレー。本当は私が悪いのではないかって思って」

「なら、謝りなさいよ」

「おい。雪音。そんな言い方はないぞ。恵美だって必死に」

 あまりに理不尽な言葉をぶつける雪音さんを先生は止めようとする。でも、

「下僕は黙ってなさい。誰のせいで試合が止まってて、誰のせいでピンチが広がってるのかわからせる必要があるのよ。あんたみたいな下手くそのせいでチーム全体が迷惑を被ってるのよ。ミスひとつ程度でうろたえて目の前のことに集中できず怪我をする。怪我じゃなくてもチームに迷惑をかけていたのは必然だわ。役立たずは」

「おい!雪音!」

 先生の怒鳴り声も効き目はなかった。

「辞めちゃえばいいのよ」

 恵美ちゃんの瞳から涙がこぼれる。それは痛みのせいでも優しくされるせいもでない。惨めな自分が許せないことへの涙だ。

「何?言い返せないの?だったら、さっさと辞めなさいよ」

「雪音」

「ちょっと、下僕。黙ってなさいよ」

「雪音」

 瞬間、先生から放たれた重圧に誰もが怯えて黙ってしまった。

「き、来た」

 ミキちゃんの声に誰もが我に帰る。白衣を着た保健室の先生がやってきて額の怪我よりも心の怪我のほうが深く足元おぼつかない恵美ちゃんをなっちゃんと保健室の先生のふたりで校舎のほうへと連れて行く。

 先生はそれを見てため息をする。そして、良長川女子野球クラブのベンチに向かう。

「すみません。うちは9人しかメンバーがいない。だから、これ以上試合は続行できない。わざわざ来ていただいて申し訳ないですけど、試合は」

「いいですわ」

 ベンチの奥で私たちの様子を伺っていた四之宮さんが出てきた。

「すみません」

 と先生が再び謝る。

「謝る必要はありませんの」

 四之宮さんの鋭い眼光は、先生ではなく私たちに向けられる。

「あなたたちは本当に野球をするがありますの?」

 私と先生が最も恐れていたことが起きようとしている。

「綾元さんとその金髪キャッチャーさんはまだ野球をしていましたわ。でも、残りのメンバーはなんですの?まるで野球を覚えたばかりの素人ばかりじゃありませんの?守備がざる過ぎますわ。ファーストのあなた」

 右樹ちゃんのことだ。

「あなた、せっかくライナーで私をアウトに出来たのになぜボールを避けたのですか?」

「それは……ぶつかりそうだったから」

 長身の四之宮さんから見下さされる視線に怯えて右樹ちゃんは左樹ちゃんの背後に隠れる。

「そこのあなた」

「は、はぁい?」

 桃香ちゃんだ。

「確かにチームメイトが怪我を負って心配なのはわかりますわ。でも、これは試合中で勝負の世界ですの。チームメイトの怪我よりもボールを追いかけることを優先するべきです。まだプレイ中にも関わらずグローブを捨ててボールを無視して。試合中にその優しさはいりませんの」

「ちょっと!それは言い過ぎだよ!」

 と凜子ちゃんも反論する。

「あなたもスリーアウトの後で打席に立とうとしてましたわね。ルール覚える気ありますの?ルールも覚える気のない相手と遊んでて楽しいですか?それと同じ感触を私たちは味わっているんですの」

 凜子ちゃんは何も言い返せなくなった。

「それよりも許せないことがありますの」

 その矛先は雪音さんだった。

「あなたチームプレイをする気ありますの?味方が自分よりも劣っているから威張って自分のミスを人に擦り付ける。野球をする以前に人間として最低ですの」

「何ですって?」

 怒りに触れて一歩前に出る雪音さん。でも、四之宮さんはひるまない。

「野球をしている以上、味方の接触も少なくありません。必死になっている以上仕方ないことです。そんな必死だった相手に向かって邪魔とか下手とかマヌケとか言うのはありませんの。申し訳ないの一言もないのですか?敵も味方も跳ね飛ばして勝てるほど野球は甘くありませんの!味方が怪我をしてもいい気味だと心配もせず!あなたは人間として最低ですの!野球を辞めるのは怪我をした彼女ではなくあなたです!」

「下手な奴に下手って言って何が悪いの?」

 その言葉に四之宮さんは呆れる。

「どうしようもないですね。あなた友達いないでしょ?」

「は、はぁぁぁぁぁ?い、いるわよ!」

「図星ですの」

「あのね、あなたと違って」

「もう、あなたの言葉を聴きたくないですの」

「はぁ?」

「チームメイトに気をかけない自己中と話す耳も口も持っていませんの。それに私たちからすれば、あなたも下手くそですの」

 と意地悪に笑う。

「あんた!」

「雪音!」

 先生の大きな声にみんな驚かされる。雪音さんも黙り込んでしまった。

「すべては監督である俺の責任だ。申し訳ない」

 先生は頭を下げる。私も便乗して頭を下げる。

「期待した私たちがバカでしたの。せっかく、同年代の女の子同士で試合が出来たのに。ただの野球ごっこでしたわ」

 と悲しそうな言葉を残して良長川女子野球クラブは帰っていった。その間、先生はずっと頭をさげたままだった。

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