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ダイヤモンドの女神  作者: 駿河ギン
1章 大嫌いな野球の神様は
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第二幕が開幕する

 人違いですっと少女に告げると、顔を真っ赤にしてすみませんと謝って89円ぴったり払って店を出て行った。

 正直うれしかった。俺のことを知っている人がまだこの世界にいるんだと思うと。切ろうとしていた野球の縁を切るのを再びためらってしまう。出身校まで覚えていた。どこまで勝ち進んだのかも覚えていた。友人や家族くらいしか知らないようなことを彼女は知っていた。見ず知らずの少女が。それだけでも野球をやってきて満足だっただろ?もう、未練はないよな。

 決心が付いた。もう、野球はやめよう。と思った次の日。いつも通りにバイトに入ると見覚えのある少女が再び来店してきた。いつも通りの89円のリンゴジュースを片手にレジにやってくる。昨日と違うのは隣に別の少女がいたことだ。

「89円です」

 とコンビニの店員をしていると、昨日の少女の隣の少女が声を張る。

「松葉俊哉さんですよね!」

 隣の少女は昨日の少女よりもしっかりと健康的に焼けたこげ茶色の肌に少し茶色の入ったボブヘアー。見た目からも感じる元気さに少し胃もたれしそうになる。そんな少女も俺の名前を呼ぶ。

「いや、違います」

「嘘つくなー!名札に松葉って書いてある!」

「いや、松葉って別にそんなに珍しい苗字でも」

「ねぇ、凜子ちゃん。もういいよ。私の人違いだったんだよ」

 と弱気な少女。それと元気一杯のボブヘアー少女は凜子というようだ。

「そんな弱腰なんだからいつまでたっても部が動き出さないんだよ!」

「で、でも」

 部が動き出さないってどういうことだ?

「松葉さん!急なお願いですが聞いてください!」

「え?はぁ?」

「ちょっと凜子ちゃん。迷惑だって」

 と静止する少女を尻目に凜子さんは言い放つ。店一杯に行き届く声ではっきりと。

「うちらの星美高校女子野球部のコーチをやってください!お願いします!」

 世界が静止した。

「はぁ?」

「ほら、やっぱり無理だよ。もしも、松葉さんだったとしても…野球はやりたくないですよね」

 いや、俺は松葉さんじゃないよって言ったよね?松葉さんだけど。

「俺は君たちが言う松葉さんじゃないし、野球なんて―――興味ないね。…89円です。他のお客様の迷惑です」

 とコンビニ店員の態度をとると少女はお金を渡して凜子さんの手を引いて店を後にする。

 100円が出されていた。

「つり銭はどうすればいいんだ?」

 どうしようか2秒間だけ考えてお釣の11円を無言で募金箱に入れる。

 少女は俺がここでコンビニ店員をしている成り行きを知っているように感じだ。野球はやりたくないですよねって、はいそのとおりだ。野球なんてやりたくないし関わりたくない。栄光と幸福を存分に経験させるだけさせてどん底に叩きのめす野球に俺はうんざりしている。肩と肘の怪我も私生活を送る上では何の障害にもならない。これでいいんだ。これで幸せなんだ。

 と言い聞かせる。野球の縁を切ろうとする俺の手は再びはさみに手をかける。

 だが、大嫌いな野球の神様は野球を辞めてなお俺に意地悪をする。

「お疲れ様です」

 店長に挨拶をして店を後にする。帰って求人票でもみようと店を出るとまるで待ち構えていたようにふたりの少女がいた。

「待っていましたよ!…えっと、誰だっけ?」

 忘れたんかい。

「松葉俊哉さん」

「そう!松葉さん!星美高校女子野球部のコーチをしてください!そうすれば、有紗の野球部は部として認められるんです!」

 どうやら、昨日俺の名前を知っていた少女は有紗というらしい。どうでもいいけど。

「だから、人違いだ。うっとうしいと警察呼ぶぞ」

 と脅かすと凜子さんはビビッて何も言ってこなかった。

 ふたりを背にして帰ろうとするとおどおどとしていた有紗さんが不意に声を上げる。

「ま、松葉さんじゃなくても、聞いて欲しいです」

 その呼びかけになんとなく立ち止まって振り返る。

 手を胸に当てて若干涙を浮かべながら少女、有紗は告げる。

「女の子は野球をしちゃダメなんですか?教えてください」

 不意に少女の透き通った瞳からしずくが流れる。

 少女、有紗に何があったか知らないが俺は思ったことを告げる。

「別にダメだとは思わない。やる気があるならやればいい。例え、周りがなんと言おうとも」

 俺もそうやって野球を続けてきたんだから。

 すると少女、有紗は笑みを浮かべる。

「そ、それだけが聞けてうれしかったです。ありがとうございます」

 と深々とお辞儀をする。その隣の少女、凜子は告げる。

「明日の4時に星美高校の校門で待ってます!」

「ちょっと凜子ちゃん!」

「有紗ちゃんの言葉の意味をちゃんと知ってほしいから!明日、バイト休みですよね!」

「ちょ、ちょ!」

 少女、有紗が焦る。俺が目をやると恥ずかしそうに顔を赤くして少女、凜子の背後に隠れる。どうやら、かなり前からこのコンビニで働いている店員が地元の高校を甲子園へ導きで活躍した松葉俊哉だとわかっていたようだ。俺がいついて、いついないかを知っているようだ。ちょっとしたストーカーだな、おい。

「凜子ちゃん行くよ!」

 少女、有紗が少女、凜子の手を強引に引く。

「来てくださいよ!それで!」

 その後の言葉に俺は迷わされる。

「有紗ちゃんの夢を叶えてあげてください!」

 夢を叶える?

 ふたりの少女はコンビニの角を曲がって消えてしまった。

 夢…か。

 たぶん、ふたりは15歳だろう。15歳の俺の夢はなんだったか…。

 ―――甲子園出場!そして、プロへ!

 不意に浮かんだ。野球をやめたときに焼きはなった高校の時の習字の授業で遊び書いた目標。そこに書いた夢の一部は叶えたが全部は無理だった。プロへ。その気持ちが強く出てしまった。だから、大学で無理をしてしまった。肩の怪我のことを考えてもっと落ち着いてゆっくり目指せばよかったという後悔が溢れ出てくる。

 切ろうとしていた野球の未練と縁をふたりの少女が必死に妨害してくる。

「野球の神様。…野球ができなくなった体になってもなお、俺に野球をしろと?」

 本当に意地悪だ。

 不意に少女、有紗の言葉が脳裏に響く。

 ―――女の子は野球をやっちゃダメなんですか?

 その問いかけの本当の意味は明日、星美高校の校門に行けば分かる。

 ハローワークは午前中しかやっていない。午後のバイトは少女、凜子のいうとおり明日はない。夕方は暇だ。

 仕方ない。成り行きで行ってみるか。

 プレイボールっとどこかで聞こえた。

 これが俺の野球人生の第二幕の始まりを告げるのだ。

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